1-9 色あせる花弁


 車に揺られながらの帰還途中、セレーネの様子はどうにか元に戻った。けれど、自分が部隊の足を引っ張ってしまったとう事実に落ち込んでしまった。それに、部隊を仕切る俺もそれ相応の処置を執らなければいけない。


 まずは、メディカルチェック。そして、メンタルケアだ。

 メンタルケアに関しては、医者に任せるより、現場で行動を共にする部隊の人間がやったほうが良いだろう、たぶん。一先ずはちゃんと話を聞くところからだな。


 そんな事を考えながら果物の皮をナイフで剥いていると、俺の袖が申し訳程度に引っ張られる。


「あの、兄さん……」


 俺の妹、ルノアは病棟の清潔なベッドにちょこんと座り、心配する様に俺を上目遣いで見てくる。

 セレーネの検査が終わるまで、ちょうど良いので俺は妹の面会に来ていた。


「どうした?」


「リンゴ、実まで剥いてますよ?」


 言われて初めて自分の手元を見る。そこには螺旋状に続く赤い皮と、その先に続く白い果実の部分。おっと、考え事が過ぎていたらしい。

 俺はリンゴを切り分け、さらに小さい一口サイズにしてやる。カットしたリンゴは小皿に移して、フォークと一緒にルノアに渡してやる。


「ありがとう、兄さん」


 ルノアは優しく微笑むと、その華奢な白い指で小皿を受け取る。フォークをリンゴの欠片を刺すとその小さな口へと運んだ。


 俺と同じブルーアッシュの髪は長く、腰より先の髪はベッドの上で渦を巻いている、大きく愛らしい金色の瞳。病衣から除く肌は病的に白く、きめ細かい。いつも病室で過ごす彼女には日の光など無縁なのだ。

 性格は穏やかで物静か。趣味は読書だ。


 シャリシャリと音を立てながらリンゴを咀嚼するルノアを横目に、俺は窓際に飾られた花瓶へと目をやった。

 そこにあるのは一輪の白い花。しかし、花弁は生気を失って萎れ、葉の先は茶色く枯れている。俺がこの病室を訪れた時に花瓶に差したものなのにこの有様だ。時間で言ってもまだ十分も経っていない。


 この世界に存在する有機物には全てマナが宿っている。保有するマナの量は個体によって様々だが、人間が突出して保有量が高い事がわかっている。理屈は知らないが、そういうものらしい。


 そして、ルノアがこの病棟で生活している――、というより、隔離されていると表現するのが妥当か。それで、ルノアがここにいる理由だが、他者のマナを無意識のうちに奪い取ってしまうというものだ。


 ルノアの奇病には例外なく、隣にいる俺や窓際に飾られている花もマナを奪い続けられている。

 妹の生活を維持するのにも、彼女の体内に蓄積し続けてしまうマナを処分するのにも、金がかかる。もちろん自分の生活にだって金は必要だ。


 だから俺は戦わなきゃいけない。相手が龍だろうが、裏切り者の人間でも。

 極端な話、世界だってミッドガルが敵だと判断すれば、俺は剣を取る。

 金のために戦っていると言われれば、聞こえは悪いが頷くしかない。


「どうしたんです? 悩み事ですか?」


「あぁ、悪い。……そうだな、一つ話を聞いてくれ」


「任せてください。私、それくらいしかできませんから」


 ルノアはリンゴの乗った小皿をサイドテーブルに置くと、真剣な表情でこちらを向いた。はにかんで見せるが、その笑みにはどこか失意の色が垣間見える。


「まぁ、なんだ……。新人の面倒を見る事になったんだが、ソイツけっこう重いトラウマを抱えててな。俺はソイツにどうしてやるのが正解なんだろうな」


「……そうですね。やっぱり、まずはちゃんとその娘と話をした方が良いと思いますよ。兄さんの事だから一人で考え込んでるだけなんじゃないですか?」


 流石、妹だ。痛いところを突かれる。


「アイツ、そんな簡単に過去の話をしたがらないと思うんだが」


「兄さんの努力次第です」


「っぐ……」


 ぐうの音も出ない、とはまさにこんな状況だろう。俺は返す言葉がみつからず、しばらく黙り込む。


 不意に窓際の花瓶に目をやると、しなびていた花弁は全体が茶色く変色し、すっかり枯れていた。つい他の事に気を取られていて忘れていたが、そろそろ時間の様だ。


「ルノア、ありがとな。まぁ、できるだけやってみる事にするよ」


「はい、頑張ってください。応援してますよ」


「おう。あぁ、……それとこれ、頼まれてたヤツ」


 俺は床に置いていた鞄から一冊の本を取り出し、ルノアに渡す。ずしりと重みを感じる分厚いその本は、薬草に関するものだ。凝った装丁から察する通り、少し値の張る良い物を買ってきた。


「ありがとうございます。大切にしますね」


 ルノアは表情を綻ばせ、よほど嬉しかったのか受け取った本を両手で抱えると胸に抱きしめる。


「いつもあまり長くいられなくて悪いな」


「気にしないでください、これでも融通して貰えてますから」


 ルノアの言葉を聞いて、俺の胸中には行き場の無い憤りが渦巻く。

 どうしてコイツだけこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。もしも神なんてものが存在して、妹の不自由を望んだのならぶん殴ってやりたいぜ。


 俺が勝手に抱いている刺々しい感情をルノアに見せるわけにもいかず、俺はなるべく平静を装って病室を後にする。


 病室の扉を閉めたところで大きな溜息を吐き出し、気持ちを落ち着かせる。感情に流されるななど、どの口が言えるのか。


 軍服のポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認してみる。時刻はちょうど昼の三時を過ぎたところだった。


 セレーネのメディカルチェックが終了するまでの間、同じ建物という事もあり都合が良かったので、ルノアの様子を見に来ていた訳だ。


 昇降機で階層を下り、待ち合わせに指定していたロビーへと踏み出す。そこで、ソファーにちょこんと座ってた獣耳少女と目が合う。


「……先輩、遅いですよ。もう三十分は待ちました」


 セレーネが溜息混じりに言う。俺は最初の待ち合わせの時の事を思い出し、まさかとは思いつつ懐中時計を取り出す。

 ……間違い無い、待ち合わせの時刻だ。俺は遅刻などしていない。


「すいません、冗談です。大丈夫ですよ、先輩に落ち度はありません。私が早く終わっただけなので」


「なんだ、そういう事か」


 セレーネはソファから立ち上がると、一歩踏み出して俺の眼前へとやってくる。

「はい、異常がなさ過ぎて検査には何も引っかからなかったです。メンタルチェックも受けましたが、結果は同様でした。……その、先日は迷惑をかけてすいませんでした」


 言葉を言い終えると同時に、セレーネは深く頭を下げた。


「気にするな。同じ部隊のメンバーだろ」


「……そうはいきません。私は確実に部隊の足を引っ張っています」


「そうは言うが、まだ実戦経験の少ない研修生だ。迷惑なんてかけて当たり前だろ? ほら、頭を上げろって」


 セレーネは俯いたまま、しばらく動かなかった。

 流石に俺もこれ以上かけてやれる言葉がなくて、彼女が心の整理をし終えるまで見守る事しかできない。


「……先輩、相談があります」


 ようやく顔をあげたセレーネの瞳には、芯のある光が見て取れた。辞めたい、なんて言い出すツラじゃない事にひとまず安堵する。

 彼女の過去もできれば打ち明けて貰いたい俺に取って、セレーネの申し出は願ったり叶ったりだ。


 さて、その相談事とはどんなものだろうか。

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廻る世界のウロボロス 空庭真紅 @soraniwa

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