1-8 炎熱と氷結


「イヴ、いけるか?」


 直感的に頼ったのは右腕で抱えていたイヴだ。ひとまずコイツが一緒にいて良かった。


「オーケー、ようやくあたし達らしい仕事になって来たじゃない」


 俺の腕から離れたイヴは不敵な笑みを浮かべ、赤龍と対峙する。その表情には恐怖などという感情が一欠片も存在しない。二年前となんら変わらない頼もしくも、小さい背中だ。


「まずはカグラ達との合流が優先だ。良いな?」


「ふんっ、別にあたしだけでも十分よ!」


 短く息を吐いて、イヴが集中する。そして、右足を一歩前に踏み出した。

 たったそれだけの動作で魔術が起動し、周囲の温度が急激に低下する。さらに、イヴの踏み出した足下から冷気の奔流が流れ出す。それはイヴの前方に放出され、空気さえも凍てつかせて悉くを氷結させる。


 身体を一瞬にして凍結させられたところで、ようやく赤龍が動き出した。


 イヴの冷気に対抗するかの様に赤龍の周囲に熱波が渦巻く。赤龍を閉ざしていた氷はみるみる溶けていき、こぼれ落ちた雫すらも蒸発する。陽炎を立ち上らせるだけに留まらず、赤龍の発していた熱は炎となりその身体を包み混んだ。


 ……どうやらあれが本来の姿らしい。攻撃性に特化していると判断するべきか。


「おい、立てるか?」


 俺とした事がイヴと赤龍の攻防につい目が行ってしまったが、優先するべきはセレーネだ。


「はぁ、っは、ぁ……はぁ」


 呼びかけてみるが反応が無いので訝しみ、抱き起こしてみるとセレーネは苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。


「おい! どうした!?」


 セレーネはうっすらと瞳を開け、俺ではなく後ろの赤龍を見据えた。


「おと……さ、おかぁ、さん」


 掠れた声で喘ぐ様に言葉を漏らす。

 クソッ、トラウマのフラッシュバックか? 凄惨な過去を抱える奴が希に起こす現象だが、こんな状況でか!


「イヴ!」


「わかってる!」


 イヴもセレーネの状態を見て、俺の伝えたい事を察知してくれる。変異種と対峙しても不遜な態度だったイヴが、ここに来て初めて焦燥を見せる。


「面倒をかけてくれるわねっ!」


 良いながらイヴが右手を水平に薙ぐ。すると紅い輝きが幾つも閃き、それら全てが軌跡を描いて赤龍に殺到し、爆発。

 俺はセレーネを担ぎ上げ、イヴの巻き起こした爆風を背中で受けながら走り出す。


「エルフィ! 聞こえてるか!」


 入力ボタンを押す事すらもどかしく感じながら、エルフィに応答を求める。


『感度良好です~!』


「現在変異種と戦闘中、セレーネが発作を起こして戦闘不能になった。変異種に追跡されているが、拠点に後退している!」


 迅速なエルフィの応答を機に、俺は現在の状況を端的にまくし立てる。


『了解でぇす、ではプランBですね~!』


「あぁ、それで行く。配置についていてくれ」


『はいっ!』


 エルフィとの通信を終了し、俺の隣を併走するイヴへと目配せをする。


「アレはどうなった?」


 アレとはもちろん変異種の事だ。


「あの程度で倒せるわけ無いでしょ。すぐに追いかけてくるはずよ!」


「……同意見だ」


 変異種の討伐が楽じゃない事なんて、特務部隊で働いていた俺達が一番良く知っている。

 なんて事を考えていると、背後の建造物群が弾け飛ぶ。土煙を共に躍り出てくるのは勿論、業火をその身に纏った赤龍だ。


「しつこいわねぇっ!」


 イヴはスカートの裾をひらりと花弁の様に広げながら踵を返し、赤龍へと向き直る。距離は二十メートル以上あるが十分イヴの攻撃圏内だ。


 このまま本格的な戦闘に入るとは思えない以上、イヴを信用して俺は歩みを止めない。

 いくらイヴが絶対的な戦闘能力を持っているとしても、変異種の追跡を逃れながらとなると時間稼ぎ程度しかできないはずだ。それも僅かな猶予しか俺達には与えられない。


 だが、それでも余裕が生まれれば取れる選択も増える。


 俺達は狭い路地から抜けて、廃都を貫く大通りへと逃れていた。もちろん目的地への最短ルートだが、もう一つ俺達に有利な点がある。


「ゼル! あのデカブツ、あたしとの相性最悪だわ!」


 俺に追いついてきたイヴは、苛立っているのか整った柳眉を逆立てている。


 龍にも人間と同じ様に属性魔術の素養というものがある。それが変異種ともなれば、有利な属性でしか魔術によるダメージは望めない。今回が良い例だろう。

 イヴの持つ属性の素養では、同系統の赤龍へ有効な一手は期待できそうに無い。


 だが――、


『ゼルさん聞こえますか? 敵を目視、狙撃いつでもいけまぁすっ』


 いつもより気合いの入ったエルフィから通信が入る。


「了解! 俺とイヴが散開したタイミングで撃て!」


『了解でぇす!』


 この都市のメインストリートは直線だ。昔は商業で賑わったらしく、馬車なんかの交通量が多くて、直線の方が何かと便利だったらしい。

 そんな地理の恩恵にあやかれるのが狙撃手。

 エルフィにとってこの程度の距離なら、龍の頭を吹っ飛ばすくらい訳ない。あいつは組織最高の狙撃手、天才だ。


「エルフィの援護が入るぞ!」


「ふーん、じゃあ、あたしも手伝ってあげようかしら!」


 イヴは再び赤龍へと向き直り、その巨体と対峙する。俺はエルフィやイヴの邪魔にならない様、近くの民家に飛び乗り行き先を見守る事にする。


 イヴと赤龍の距離は数十秒あれば縮まってしまうだろう。赤龍はデカい図体の割に俊敏な動きをする。あの巨大な腕と鋭利な爪に捕まれば、人間の身体など一瞬でミンチだ。


「逃げるだけじゃあ、つまらないものね。少しは本気出してあげるっ!」


 赤龍が片腕を振りかぶり、イヴへと襲いかかる。

 イヴは赤龍を恐れるどころか、全く逆の表情を見せた。こんな状況でも、小悪魔っぽく笑う。イヴが軽く地面を蹴ると、地面が白銀へと色を変える。さらに無数の氷柱が生み出され、赤龍の振り下ろす腕を受け止めた。


 イヴの行動は早い。身体強化を施し、生み出した氷柱をその足で駆け上がると、今度は赤龍のこめかみに相当するであろう部分に回し蹴りを叩き込んだ。


 接触と同時に爆発が巻き起こり、その威力に赤龍の巨体が傾いた。イヴは空中で猫の様に体勢を直し、容赦なく追撃を撃ち込む。イヴの踵落としが赤龍の脳天を捕らえ、再び爆裂。バランスを崩していた赤龍は為す術も無く、地面へとその頭蓋を叩きつけられる。


 地面が陥没する程の衝撃に煽られ、暴風が土煙を孕みながら駆け抜けた。


 イヴは空中に氷の足場を作成し、器用に飛んで赤龍から距離を取る。


「エルフィ、今よ!」


 二つに束ねた銀色の髪を遊ばせながら、イヴが指示を送る。


 刹那、遠くの位置で重い破裂音が響いた。それから一瞬遅れて何かが飛来する。目で追う事のできない超高速の物体は言うまでも無く、エルフィの放った対龍弾。人間が撃たれれば即座に消し飛ぶ代物だ。

 それから、対龍弾が一瞬動きを止めた赤龍の頭部へと命中。イヴの見舞った攻撃とは比べものにならない衝撃が生まれ、赤龍の頭が見事に消滅した。


 ここまで苛烈な攻撃を受けてもなお、変異種の龍が死ぬ事はない。身体のどこかに存在するコアを潰さない限り無限に再生する。


 ピクピクと何度か痙攣したと思ったら、赤龍は頭部を失ったまま起き上がる。首はすでに出血が止まり、高速で細胞分裂が繰り返されていた。このペーズじゃあ、あと二十秒もすれば完全に再生しやがる。


 予想よりも高い再生能力に肝を冷やしていると、エンジンの駆動音が聞こえてくる。

 音の方を見れば、俺達がこの廃れた都市へ来るために使った車両が、限界ギリギリの速度で向かってきていた。


 車両は俺達の眼前に迫ると、タイヤを滑らせ、向きを反転させながら停止する。すぐさまドアが開らかれ、中から運転手のカグラが顔を出す。


「早く乗りやがれ!」


「良いタイミングだぜ!」


 俺達が荷台に乗り込んだのを確認すると、カグラはフルスロットルでエンジンを吹かす。

 赤龍の生成に必要な時間と、車両の速度があればエルフィを途中で回収しても逃げ切れる。


 調査任務は実質失敗だが、流れ者が隠れ潜んでいる地下からあの龍が出現したという時点で、あの場に生存者はいない。

 だが、そんな事がありえるのか? 人間に裏切りが発生し、その潜伏場所が変 異種の龍に襲われるなど。何が何でも、龍側に都合が良すぎる。奴らは知能を持たない、そのはずだ。


 一体、この世界で何が起きようとしているんだ……?

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