百階層へ
巨人――ヘカトンケイルの体は魔石を残して消え去った。
緊張状態からの解放によってドッと疲労感が押し寄せてくる。
ふぅ、と一つ息を吐くと、拾い上げた魔石を口に含む。
普通は、魔石を喰らうという行為自体異常なことだが、もう今となっては躊躇もない。
魔石が喉を通り、胃に到達した時点で、僕は新たな能力の開花を自覚した。
その名も“巨人の複腕”。
巨大な腕を新たに複数生成する能力だ。
主に腕が生えてくるのは背中のよう。
ヘカトンケイルは腕が百ほどもある規格外な巨人ではあったが、この能力で生える腕は最大でも五つ。
腕を多く生やすほど俊敏さは失われるし、疲労も重くなる。
短期決戦用としては有用ではあるが、長期に及ぶ戦闘の場合は使用が戸惑われる。
とはいえ、手が増えるというのは便利だ。
まだ、複数の腕を自由自在に動かすことはできないが……最後のボス戦に移る前に、少し、ここで練習を積んでおこうか。
最後――百階層のボス戦を前に、僕は万全の準備を整える。
「腹、減ったな……」
自然と、腹の虫がグゥっと鳴った。
よく考えると、今日は何も食べていないな。
「ボス部屋の奴らってなんでこう、魔石以外ドロップしないかなぁ」
肉のドロップが欲しい。僕は切実にそう思った。
とはいえ、手元には何もないのだからこの空腹を満たすこともできない。
空きっ腹をさすりながら、体を休める。
◆
十分な休憩を取ったことで、疲労感は完全に抜けきった。
立ち上がってグッと伸びをする。
「さて、いこう」
これが、本当に本当。最後の戦いだ。
僕は、決死の思いを胸に秘め、百階層に続く階段に足をかけた。
ドンッ! とした威圧感を放つ扉に少しばかり腰が引ける。
いや、僕はやるんだ。
覚悟はもう決めていたはずだろ!
僕は僕自身を叱咤する。
気合を入れ直し、扉を押す。重い手応え。ギィと音が鳴り、視界が広がる。
部屋の中央で待ち構える正真正銘最後のモンスター。ラスボスの全容が明らかとなる。
鱗に覆われた赤い体表。鋭い爪と牙。鼻や口から時たま溢れ出る炎。体の倍ほどもある二対の巨大な翼。瞳孔が縦に割れた黄色の瞳は刃物のようにギラリと鋭い。
その威圧感たるや、王者にふさわしい。流石、ダンジョンの最後の砦。僕に立ち塞がる最強。
――ドラゴン。
空想上の存在であり、誰もが一度は憧れた異形。あらゆる国で伝説として描かれる、生態系の頂点。
ゾクリ。背筋が凍るような恐怖とともに、伝説と立ち会っているという事実が奇妙な高揚感を引き立てる。
「ゴガァァァァァァァァァァァアア!!」
僕を視認したドラゴンが咆哮をあげる。“咆哮”という行為そのものにデバフ効果でもついてんのか? ってくらい、怖い。恐怖が押し寄せる。
けど、それさえも無理矢理押さえ込む。これが、これが最後なんだ。
ここで僕が勝てば、冬華を生き返らせることが出来るんだ。
そう考えると、恐怖から来る震えも収まるというもの。
僕はもてる限り、全てのバフをかける。
すると、途端に筋肉は隆起し、肌は黒く、暗黒が体表に纏わり付く。
更に――【限界昇華】!
「最初から全開で行く!」
ここで舐めプなんてしないし、出来ない。
手に持った槍の重量を変化。
まずは最軽量化。
羽のように軽くなった槍を握りながら、今にも炎をぶっ放しそうなドラゴン目掛けて突っ込む。
しかし、何も無策で突っ込むわけではない。
【隠形】を発動。
その瞬間、ドラゴンは僕の姿を見失った。
チャンス!
僕は高速で駆け寄り、ドラゴンの右前脚目掛けて槍を振り下ろす。
刃が接触する時、槍の重量を最大に変化。
鱗を貫き、肉を裂く感触。
次いで、ズンッ! と地面が揺れるほどの衝撃が体全体に伝わる。
「グゥッゴァァァァァア!!」
ドラゴンの鼓膜を裂くような悲鳴が空気を揺らす。
思わず耳を塞ぎたくなる……が、手を離せば槍も手放すことになってしまう。
それは出来ない、と僕はひたすら耐える。
グッと歯を食いしばる僕であったが、その硬直こそがかつてないほどの隙であった。
【隠形】によって姿を隠していたとしても、痛みの発生源に敵がいる、というのは知られていた。
ドラゴンは僕の槍によって風穴を開けられた右前脚を傷みに耐えながら、振り回す。
超重量、超質量が衝突。
それによって、僕の体は後方にぶっ飛ぶ。もちろん、それだけで大ダメージ……とはならないものの、【隠形】は自然に解けるし、詰めた距離はリセットされる。
何より、【隠形】が解けてしまったのは痛い。
ようやく僕を視界に入れたドラゴンは、恨みのこもった眼差しを向ける。
そして、口元に異常なまでの熱量が収束。空間が歪む。
――ブレス。
炎が巨大な球状になって迫る。
即座に“水纏体”を発動。
その状態を保ったまま、緊急回避。しかし、それでも間に合わない。回避しきれない。
走馬灯のように、流れる時間が緩慢になる。
回避しきれなかった左腕に火の玉が直撃した。
「――ガ……ぁぁぁぁぁぁああああ!?」
堪えきれずに叫びをあげる。左腕は真っ赤に焼け、皮膚はドロドロとしている。所々骨が見え、肉の焼ける匂いは、より不快感を煽る。
が、ここで立ち止まってはいられない。
涙を堪えて僕は動く。一歩、足を動かすたびに刺すような痛みが走り、呼吸が安定しない。
“適応”では、あまりの熱量をカバーしきれなかった。
僕はドラゴンの足を一本。ドラゴンは僕の腕を一本。
数字上では互角の戦い。
しかし、今の僕とドラゴンの立ち位置は、互角とは言い難い。
恐らく痛みに対する耐久値が違うのだろう。
足の傷は癒えているようには見えないが、それでもドラゴンには痛みに悶える気配はない。もう、痛みに慣れたとでも言いたげに、僕を憎々しげに、そして見下すように、鋭い眼光が僕を貫く。
捕食者と、逃げ回る非捕食者。
僕は、この関係を逆転させてやる。
熱と痛みがジクジクと襲う左腕を庇いながら、僕は思考する。
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