九十八階層フロアボス

「勝った……」


 それなのに、なぜだか実感がない。勝利による快感もない。

 押し寄せる虚脱感に抗う術もなく、僕は薄汚れた地面へと倒れ伏した。


 そしてそのまま意識はシャットダウン。視界は暗転した。




 あれからどれほどの時間が経ったのか。僕は体の痛みと口の中で動き回る砂の味による不快感で目が覚めた。


「ここは……あぁ、そうか」


 僕は一人、先ほどまでの光景を思い出した。“再生”の能力によるものか、体の痛みと疲労感は幾分かマシにはなっていた。


「動かないと」


 冬華の蘇生のためには、このダンジョンを攻略しなければいけないのだから。

 僕は床に落ちるシュゴスの魔石をひょいと拾い上げた。


 さて、これでどんな能力を使えるようになるのだろうか。

 僕は一寸の躊躇いもなく魔石を口に含んだ。



 手に入れた能力は“腐毒”。

 触れたものを腐乱させる毒を発する。まさに、殺すことに特化した有用な能力と言える。

 半ば予想通りとはいえ、いい収穫だ。


 僕は思わず頬を緩めた。


 さて、もうここに用はない。小泉の遺品の一つでももって行ってやろうか、とも思ったが、それもシュゴスに溶かされてチリひとつ残っていない。


 もうここには、自分以外何も残ってはいないのだ。


 僕は次なるモンスターへの敵意を滾らせ、新たに開かれた階段に足を踏み入れる。



 ◆



 ボス部屋の前にたどり着いた。

 もう今更後戻りはしない。恐怖も高揚感もない。

 ただ、適度な緊迫感を維持したまま、僕は自然体で扉を開いた。


 瞬間、吹き荒れる存在感と威圧感に目を細めた。力はシュゴスや吸血鬼と同等程度に感じるが、さて、どうなるか。


 僕は身体強化用の能力をフルで使って対抗。目を見開いて九八階層のボスを視界に入れる。


 同時に“鑑定板”によって鑑定も施す。


「なるほど……ね」


 流石に強い。レベルは600と少し。能力は【風神】。見る限り、風を扱うのだろう。厄介そうだ。名前はパズズというらしいが……まあ、それはどうでもいい。


 見た目は人の胴体に獅子の頭と腕、鷲の脚、背中に二対四枚の鳥の翼、蠍の尾をもち、股間部は蛇。シュゴスほどに不快感を催すものではないが、異形の肉体だ。


 僕たちは互いに睨み合い、僕は槍を構える。

 対するパズズはデンと立ったまま微動だにしない。


 なんだ? と困惑に首を傾げたが、それも束の間。

 パズズが邪悪な笑みを浮かべ――風が吹いた。強烈な突風。


 体が浮いた。抗う術もなく、そのまま壁に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。


「いったぁ……」


 これが、パズズの攻撃方法か。

 僕はすぐに起き上がる。まぁでも、この程度の痛みであれば“再生”ですぐにでも治る。


 さぁ、反撃だ。


 槍を握り直して地を蹴り跳躍。数十メートルの距離を瞬時に詰めて突きをかます。

 が、強烈な風の膜で威力が減衰。軽々とした身のこなしでパズズに避けられた。


 その間際に見えたパズズの顔からは、見下したような色が伺えた。


「なめんなぁぁぁああああ!!!」


 咆哮し、“鎖縛”で拘束をはかる。そして、“獄炎吐息”。


 飛び出した鎖はバックステップで躱され、“獄炎吐息”はパズズの体の前面に張られた空気の膜に拒まれた。


 だが、その間の視界は塞がれた。

 隙は充分。それだけあれば……!


 僕は【隠形】を発動。

 身を隠し、パズズの背後に回った。


「――死ね」


 静かに。疾く。殺気を隠して。ただ突く。

 渾身の刺突。

 それは確かに、パズズの心臓をとらえた。


 心臓を抉り、スッと槍を引き抜く。血は、流れなかった。


「うん?」


 手応えはあった。しかし、ここで悪寒が走る。

 僕は直感に従って警戒の姿勢をとる。突風だ。体が問答無用で吹き飛ばれるほどの強力な風。


 今回はなんとか尻餅をつくのは防げたが、隙ができた。


「くそ!」


 悪態をついたすぐ後。パズズに目を向けると、僕の刺突によって空いた風穴は綺麗に塞がっていた。


「まじか……もしかして不死身か?」


 それともとんでもなく治るのが早いのか。まあ、不死身ってのは無いと考えるにしても、こいつを倒すには回復の限界まで殺しまくるか、体を跡形もなくなるまで消し飛ばすってくらいは必要になる、のかな?


 まあ、僕の今取れる手段はそう多く無い。

 槍では殺しきれない可能性が高いし、そうなると、“獄炎吐息”で焼き尽くすか、“腐毒”で体を溶かし殺すか。


 “獄炎吐息”はさっき空気の膜で防がれたが、隙をつけばなんとかなるか。


 僕は再び【隠形】を発動。パズズは僕の行方を見失った様子。


 しめしめと僕は笑みをこぼしながら、こそかそと背後に回り込む。

 “獄炎吐息”。あたりが極光と熱風に包まれる。


「よし、やったか!」


 が、炎が消え、そこから現れたのは煤汚れ、所々に火傷を負ったパズズの姿。しかし、致命傷があるようには見えなかった。


 風で防御したのか。それとも他に手段があるのか。

 それはわからないが、なんとも面倒だ。


 僕は、思わず舌打ちしてしまった。


 なら、あとはもう“腐毒”しかない。これなら、確実に殺しきれる。僕はそう思い込むことにした。

【隠形】。またもや背後に回り込み……しかし、今度は風の刃に襲われた。


「くっ――」


 なんとか致命傷は避けたが、鎌鼬のような切れ味の風に、体の所々に裂傷が出来た。

 とはいえ、行動に支障が出るほどでもない。


 背後からの攻撃がダメなら、【隠形】を保持したまま、動きまわってやればいい。

 そうすれば、僕の居場所もそう簡単にはバレはしない。


 気配を完全に遮断した状態のまま、僕は“腐毒”を発動。


 パズズの周りを動き回り。時には石を投げつけて注意を逸らし。

 遂に、腐乱の効果を纏った僕の右手が、パズズに触れた。


 すると、パズズの体がジュウッという音と共に腐り始めたのだ。そして、その効果は全身に広がっていく。終わりのない死の気配に、パズズは慌てて僕を吹き飛ばすも、もう遅い。


 何をしても、腐乱の毒は止まらない。

 パズズは地面を醜くのたうちまわり、数十秒。


 その後、数秒の静寂があった。


 僕はそれでも警戒を解かずに槍を構え、しかし、すぐにパズズの体は魔石へと姿を変えた。


 それは、呆気ない死であった。

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