シュゴス討伐
僕へと向かって飛び込んでくる黒い物体――シュゴスを視認するのに、僕はしばしの時間を要した。
シュゴスは僕の炎に焼かれて動けなかったはずなのに、それでも僕へと向かってきた。
それがまず信じられないことだったからだ。
僕は、しまった。と心の中で独白しながらも、次の対処に向けて、脳は超高速で回転していた。
飛び込んでくるシュゴスの速度はそこまでではない。
十分に対処可能なレベル。
体積の減少によって、接触による衝撃も大したものではない。
そこまでの解に行き着いた時、僕の体は自然と動いていた。
強化に強化を重ねた体をヒョイと捻り、シュゴスの体当たりを軽々と躱す。
同時に大きく距離を取ることにした。
すると、どうしたことだろう。
シュゴスは僕ではなく、小泉の方へと向かっていくではないか。
どうして? と思うまもなく、シュゴスは飛びかかった。
主人であるはずの小泉に向かって、だ。
もしかしたら、シュゴスの持つ視覚のような機能を持つ器官が炎によって焼かれたのかもしれない。
あくまで予想だが。
とはいえ、それなら説明がつかないこともない。シュゴスが、小泉の隷属から逃れて叛逆した……というのもないわけではないだろうが、可能性としては薄い。
シュゴスが隷属状態から逃れたのであれば、何かしらのリアクションがあって然るべきだし、最初に僕に襲ってくるのではなく、小泉へと向かっていくはずだからだ。
まあ、理由がなんであれ、僕からしたら好都合。
シュゴスの体は萎んだし、ステータスも以前よりも大幅に減少している。
だが、小泉程度であれば逆らうことのが出来ないレベルであることには変わりない。
ぼくは、小泉な襲いかかるシュゴスの姿をボンヤリと見つめていた。
助けてやるつもりは、元からなかった。
途中、「やめてくれ」、「助けてくれ」と喚く声が聞こえた。
肉が溶ける音が聞こえた。
吐瀉物と排泄物の匂いが充満しているのに気がついた。
ハタと、小泉の姿を改めて視界に入れようとしたとき、彼の姿は無くなっていた。
全てをシュゴスに溶かされたのだ。
そして、それは手に持っていた宝玉もまた、同じように溶かされていた。
あ、と思った。
瞬間、視線の先から増幅する存在感を察知した。
シュゴスだ。
隷属状態が解除され、本来の力が解き放たれたのだ。
シュゴスの黒い粘体が、ウネウネと喜びを表すように変化する。
黒の触手をビタンビタンと地面に叩きつけると、衝撃でダンジョンの床に亀裂が入る。
触手が空気を切る音も尋常じゃない。
シュゴスはひとしきりはしゃいだ後、やはり僕を認識した。
ま、あれだけ自分を痛めつけた相手を忘れろって言う無理な話か。
存外、僕の頭は冷静だった。
知り合いが死んだにしてはあまりにあっさりしている。
そんな自分に少しだけ驚いた。
しかし、それもほんの少しの間だけ。
あいつは死んで当然だった。僕は、あれだけ自分の手で小泉を殺すことを躊躇っていたのに、本心では死を望んでいたのだ。
そう考えると、スッと胸が軽くなった。
小泉に抱いていた憎悪がほんの僅かに和らいだ気がした。
それと同時に僕は気づく。
ああ、僕の心は、腐っているのかもしれない、と。
自らの心の中にあるヘドロのような醜い何かを感じ取ってしまった。
僕が心の中に陰が差し込み、自己嫌悪に陥ろうとしていた僕だったが、状況はそれを許さない。
目の前に立ちはだかるのは本来のスペックを取り戻した九十七階層のフロアボス。
黒い粘性体の持ち主であり、その体は触れれば腐り溶け落ちる。
レベル的に同等である僕でも、それは例外ではないはずだ。
それを知ってか知らずか、シュゴスは先ほどの雪辱を果たしてやろうと、体を尊大に震わせる。
そこからは、自分の勝ちを確信して譲らない傲慢さが滲み出ていた。
たかが魔物の分際で、だ。
なんだか無性に怒りが湧く。
自分に対する嫌悪感はシュゴスに対する怒りに変換され、増幅。
「ただデカくなっただけの黒いスライムみたいなもんだろ? 結局、勝つのは僕だ」
ただ、僕は死ねと願った。
そして、シュゴスは再び炎に包まれる。
予備動作なしで放たれた僕の“極炎吐息”は、さらに火力を増していた。
フロア内の温度が急激に増加していく。
空気が燃え、床が、壁が燃え、そしてシュゴスが燃える。
メラメラと黒い炎に焼かれながら。
炎の黒と、シュゴスの黒が混じり合い、もはやそれは炎なのか、それともシュゴス本体であるのか、判断ができない。
それほどまでに、熾烈な炎熱、灼熱。
主人と同様、シュゴスは呆気なく姿を消した。
その場に落ちる魔石と、シュゴスを燃やし尽くしてなお広がる黒い炎の余韻だけを残して。
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