九十六階層

 九十六階層。


 僕たち三人は九十五層を攻略し、ここまで登ってきたわけだが……なんだかこの階層、これまでと何か様子が違う。


 これまでは、ボス部屋から繋がる階段を上がると広い一本道があった。

 そこから分岐する道を探りながらボス部屋を見つけるのが今まで。


 しかしこの階層、階段を登ってすぐに扉があった。

 しかも重厚で荘厳。

 まるでボス部屋のような作り。


 これを開けばすぐにでもフロアボスが出てきそうなほどの威圧感がそこにはあった。


 僕らはゴクリと生唾を飲み込んだ。


「どういうことだ……これは?」


 僕はそう言って、視線を小泉へと移した。

 小泉はそれに反応てしてか、すぐに【ダンジョンマップ】を顕現。

 手元に目を向けた。


「ああ、そういえば……」


【ダンジョンマップ】を眺めること数分。

 小泉が神妙なトーンで呟いた。


「ど、どういうことなんだ。一体何が分かったんだ?」


「……言うのをすっかり忘れていた。この階層……いや、ここから先の階層はボスしかいない。ボスラッシュになるぞ」


 小泉は、先の階層のことは調べたものの、僕たちに伝えるのを完全に忘れていたらしい。

 今思い出した、とでも言いたげな反応だった。


 しかし、ボスラッシュか……。


 となると、モブ魔物で簡単レベル上げ、というのは出来なくなるのか。

 厳しいな。


「で、どうする? 魔物が出てこないこのボス部屋前は絶対的なセーフティゾーンだ。ここで一回休んでおくか?」


「……いや、進もう」


 正直、疲労感はそこまでのものでもない。

 それに、ダンジョン深層に飛ばされてからもう大分時間が経っている。


 もしかしたら、外では僕たち三人死んだことになっていてもなんら不思議じゃない。

 というか、その可能性のほうが大きい。


 細かい時間は覚えていないが、一月以上は経過しているのは間違い無いはず。


 僕の両親や、冬華の母親――水穂さん。それに、小泉の親や、源なんかも心配してくれているはずだ。

 できるなら、すぐにでもここを攻略してしまいたい。


 急ぎ過ぎてはミスが出てしまうかもしれない、という不安もあるが、ここまでの勢いを殺したくない、という考えもある。


 そして僕は、後者を選んだ。


 冬華と小泉からも反対意見は出なかった。

 僕は沈黙を了承として捉え、ボス部屋へと続く扉へと向かう。


 これを開ければすぐにでもフロアボスが現れる。

 次はどんな魔物が出てくるのか、という若干のワクワクと、今回も無事に攻略出来るのか、という不安がない混ぜになって僕の胸中を掻き乱す。


 だが、それを握り潰して胸の奥へと仕舞い込む。


 意識を切り替えろ。

 イメージする。

 今までの死ぬ寸前、ギリギリの戦いを。


 カチリ、と僕の頭の中でスイッチの切り替わる音がした。

 周りの音はもう、聞こえない。


 僕は重厚な扉を押し開いた。

 瞬間、鼻腔をくすぐる死の匂い。


 体がズシンと重みを増したような感覚に襲われた。

 身体が竦む。

 とんでもない威圧感だ。


 恐らく、獣王のそれよりも一段……いや、それ以上にヤバい。


 だが、立ち向かえないほどか、と言われればそうでもない。

 獣王と対峙したあの時よりも、僕のレベルは上がっているし、装備もスキルも充実している。


 それになにより、今回は一人じゃない。

 獣王よりも強くたって負ける気はしない。


 僕は気を強く持ちながら、フロアボスの姿を探す。

 そして、それはすぐに見つかる。


 部屋の奥。

 豪奢な玉座の上に一人、男がいた。

 肌は病的なまでに白く、額には美しさすら感じるほどに真っ黒な角。

 切れ長の瞳は血を想起させる赤。

 口元から覗く牙はギラリと鋭い。


「ヴァンパイアだ……」


 小泉が呟いた。


 ヴァンパイア。吸血鬼。

 創作物ではよく目にする存在だ。

 当たり前だが、実物を見るのはこれが初めて。


 物語の中では醜悪な姿で描かれることも多いが、コイツはどちらかというと美しいという言葉が先に出る。


 ただ、美しさのあまり、怖いとすら思える。

 不気味な存在だった。

 とはいえ、見た目は完全に人間。


 僕はそれだけで、動きに迷いが生じた。

 本当にこいつを殺すのか? と。


 今までは動物のような……明らかに人とは違う生き物を殺していたからまだ大丈夫だった。


 でも今日は違う。

 相手が魔物だということは分かっているのに、姿形が人に似ているから、と僕は恐れを抱いてしまった。


「――なに、やってんだ」


 覚悟はとっくに決めたと思っていたのに。

 不甲斐ない自分に嫌気がさす。


 僕は僕を叱咤して、頬を叩く。


 そんな僕を見て、ヴァンパイアが密かに笑った。

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