ドキドキ
人が一人、目の前で死んだ。
魔物に無残に貪り喰われて……死んだ。
ダンジョンでは簡単に人が死ぬ。
それは分かっていた。
でも、僕の体からは震えが消えなかった。
【隠術】がなければ、自分もああなっていたんじゃないか?
冬華も、むざむざと殺されていたかもしれない。
そう考えると、どうしようもない恐怖を感じてしまうのだ。
でも、ここは危険だ。
ここにいれば死ぬ、死んでしまう。
生きるためには逃げなければいけない。
ただその一心で、僕は冬華の手を引きながら安全地帯にまで走り続けた。
ここも安全と言えるかはわからないのだが、それはいい。
少なくとも、見える範囲に脅威はいないのだから、さっきよりは幾分かマシだ。
現在は【隠術】を解いて座り込んでいる。
緊張と長時間のスキル維持、長距離を走ったことの反動で着込んでいた服は汗がビチャビチャだ。
外はまだ冬だというのに、この有様。
ま、ダンジョン内と外界は隔絶されているらしいから関係はないのだが。
何はともあれ、一先ずは命の危機を乗り切った。
それだけは確か。
あとは、これからどう動くか、だ。
“転移門”さえ使えば、いつでも脱出できると思っていたからこそ、当初は冷静でいられたが、そうでないならばピンチもピンチ、大ピンチである。
ここから下の階層へと下っていくにしても、あまりにも時間がかかる。
僕の今までの経験からしても次の階層へと続く階段を見つけるのに早くとも一週間、遅ければ一ヶ月以上。
そもそも、ここは未踏の領域。
二十階層までと同じ広さとは限らない。
むしろ、より広大になっていると考えた方がいい。
となると、ここからの帰還は凄まじい時間を要するだろう。
いや、いや待て……この階層で“転移門”が使えないとしても、一つ前の階層――八十九階層まで行ければ使用可能になる可能性もある。
前の階層へと続く階段を探すのは有効か。
と、一人思考に浸っているところで、トントンと肩をたたかれた。
冬華だ。
「大丈夫ですか?」
心配そうな表情だ。
僕は、そんなに酷い顔をしていただろうか?
僕は取り敢えず大丈夫、と返したけれど、笑顔が若干引きつっていた気がする。
これより先の計画は彼女と一緒に考えた方が効率が良さそうだ。
僕はさっきまでの考えを彼女と共有することにした。
「ふむ……じゃあ、一先ずは一つ下の階層へと続く階段を探してみましょう。というか、今の段階ではそれがベストなような気がします」
僕の意見を話した上で、やはり彼女もそう判断した。
「でも、虱潰しに……となると、なかなか時間がかかりそうですね」
「うん、そもそも、この階層がどれくらい広いのかすらも分かっていないからね……地図でもあれば良かったんだけど」
ま、そんなものはないだろうね。
なにせ、ここに足を踏み入れたのは、ぼくたちが最初だろうし。
「いや……あいつらなら、何か知っているかも」
特に、あの派手めな鎧の男。
あいつの持っていた端末――恐らくはスキルによるもの――があれば、少しくらいはここの情報を仕入れることが出来る……かもしれない。
となれば――
「アイツを探そう。あの鎧の男。今ならまだそう遠くには行っていないはずだ」
「了解です!」
冬華も素早く僕の思考を理解し、頷く。
まだ、殺されていなければいいが……。
いや、あの性格だ。
地味に意地汚く生き残っていそうだ。
しかし、生きていたとして、そう簡単に情報を渡してくれるとも限らないよな?
その場合は力尽くで聞き出す……しかないか。
見た感じ、そう強くもなさそうだし、やってやれない事はないだろう。
ま、心情的にはあまり宜しくないが、それは仕方がない話だ。
アイツのお仲間の方も、実力だけ見れば大したことはなかった。
一人はあの合成獣に殺されたが、運が良ければ残りの仲間の方は生き残っているかもしれない。
無駄な命を散らせないためにも、サッサと見つけてしまおう。
少し休んだことで体の疲労も少しは回復してきた。
これなら【隠術】の再使用も問題はない。
僕は冬華と再び手を繋ぎ、【隠術】のスキルを起動させる。
もう何度もやったことだが、やはり彼女と手を握るのはなんだか嫌に緊張する。
こんな状況なのに自分の手汗を気にしてしまうくらいにはドキドキしている。
さっきは緊急事態だったのもあってあまり気にならなかったが、また二人っきりになったのもあっていつのまにやら意識してしまっていた。
邪念を振り払うように頭を左右に振りながら、僕は極力手に意識が集中しないよう気を分散させる。
周囲を警戒することで、ちょうど良い塩梅に気は紛れた。
しばらくすると僕の体も落ち着きを取り戻し始める。
時折、なにかを確かめるように、冬華が僕の手をギュッと握ってくることもあったが、そこは僕の強靭なる精神力で耐え切った。
【隠術】の影響で彼女の顔は見えないが、なんとなく、少し微笑んでいるように感じなくもなかった。
そんなこんなでドキドキしつつも、別の意味のドキドキを乗り越えながら、僕たちは警戒を続けて足を進めていく――
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