合成獣

 僕は自分が安全なうちに【鑑定板】を顕現させた。

 相手の能力を知っておこうという魂胆だ。


【隠術】の影響で目には見えないが、手に確かな感触を感じた。

 ただ、このままでは画面を覗くことすらできない。


 僕は仕方なく【鑑定板】の画面部分だけを見えるように調整する。

 これで少し魔物に気づかれる可能性も広がってしまったが、致し方ない。


【鑑定板】のカメラを例の魔物へと向ける。

 続けてシャッターを押すと、次の瞬間には画面に結果が表示される。



 ――ステータス


 名前:合成獣

 Lv.152

 《個体能力》

【獣毛硬化】

【獅子の咆哮】

【重震脚】


 ――


 レベル152……この鑑定結果に、僕は思わずタブレットを落としてしまいそうになった。

 彼の言ったことが現実なのだと突き付けられた。


 勝てるわけがない。

 あの二十階層ボス、ジュエルタートルでさえ、レベルは40程度だった。

 単純計算でその四倍弱。


 勝てるわけがない。

 わかってはいた。

 元々、ここに辿り着ける段階じゃなかったんだ。

 当たり前のことだ。


 今戦えば確実に死ぬ。


 僕が相対しているわけじゃないのに、急に凍えるような感覚が通り過ぎた。


 そしてそれは、実際に狙われている鎧の彼らがより鮮明に感じていることだろう。


 実際、四人のうち一人はすでに腰を抜かして無様に地面に倒れ伏している。

 残る三人も逃げ腰だ。


 当然、腰を抜かした仲間を助けよう、なんてことは思っていない。

 みんながみんな、自分のことがかわいいのだ。それは当然のこと。


 僕の鼻を、ツンとしたアンモニア臭が刺激する。

 あまりの恐怖から、腰を抜かした男が漏らしたようだ。


 視線を向ければ、壁から放たれる緑色の燐光が地面にぶちまけられた小水を照らしていた。


 魔物――合成獣とやらはニタリとした笑みを浮かべて舌舐めずりをした。

 獲物が漏らしても食べることに関係はないようだ。


 僕は漏らした直後の動物を食べたいとは思わないけど、そこは魔物との価値観の差だ。


 僕はここで、彼はもう助からないと直感した。

 助ける人間がいないのだ。

 とてつもないほどの奇跡でも起きない限り、死あるのみ。


 僕は彼らを見限って“転移門”を発動させることにした。

 これで元の場所まで戻ってしまえば、僕たちは助かる。


 彼らは見捨てることになるが、もとより面識のない人間だ。

 彼らを助けるために僕たちの命を危険に晒すことはできない。

 例え見殺しにすることになっても。


 僕は獲物に釘付けになっている複合獣に気づかれない程度の声量で発動句を紡ぐ。


 ――“転移門”。


「あ、れ?」


 しかし、僕の予想に反して、その能力は発動されなかった。


「なんで……?」


 ――“転移門”!


 また、いつものように言葉を紡ぐ。

 しかし、やはり発動しない。


 ――“転移門”、“転移門”、“転移門”、“転移門”、“転移門”、“転移門”、“転移門”!!


 なんで!! 

 僕は叫びそうになる弱い心を押しとどめ、頭の中で考えをまとめる。


 しかし、やはりわからない。

 僕は取り敢えず、この階層では“転移門”が使えない状況にあるのだということだけは認識することにした。


【隠術】が使えることから、なにもスキル等の全てが使用不可なわけではないのも分かっている。


 もしかしたら、この階層から脱出するための能力だけが使えないのかもしれない。

 まあ、これはなんの根拠もない僕の憶測だが。


 何はともあれ、今はそんなことを考えていても答えは見つからない。

 ひとまず、この状況をどうするかを考えよう。


 目の前には魔物に喰われようとしている同業者が一人。

 その先に魔物から逃げる男が三人。


 そして、目下最大の脅威――合成獣が一匹。


 戦うのは下策だ。

 何か奥の手でもあるならばまだしも、自分の四倍近くのレベルを相手にできるほどの決定力は僕にはない。

 それは、冬華も同じはず。


 ならば、逃げることが優先だ。


 逃げて逃げて逃げて、それからのことはそれから考えよう。

 まずはこの危機をなんとかしなくては。



 僕は【隠術】をそのままに冬華の手を引く。


「今はここから逃げよう」


 隣の冬華にだけ聞こえるくらいの音で、僕は彼女に囁いた。


「了解」


 短く、彼女もまた、囁く程度の声で返事を返した。


 いそいそとその場を後にしようとした僕らの背後で、魔物――複合獣がついに動いたのを感じ取った。


「ひ、ヒィやぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」


 情けない断末魔だった。

 後ろを振り返らずともわかる。

 グチャグチャと汚らしい音を鳴らしながら、複合獣は男の鎧を突き破り、肉を貪る。


 時折、ガギッという音さえすることから、もしかしたら金属鎧もろとも喰らっているのかもしれない。


 振り返らないまま後退する僕たちには、それが本当なのかもわからない。


 僕たちではどうしようもない。

 助けられるのなら助けた。

 でも、それができるだけの力がなかった。


 仕方がなかったんだ。

 僕は、心の中でしばらくそう反芻し続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る