転移
「発動! 転移結晶!!」
突如、目を焦がすほどの極光が辺りを包んだ。
発生源は彼のもつ結晶。
彼の言葉を借りるなら、転移結晶。
言葉の意味がそのままであるならば、どこかへと転移するためのアイテムといったところだろう。
どこへ行くのか……というのはよく分からないが。
そんなふうに思考を巡らせていくうちに、眩い光は徐々に勢いを失っていく。
――唐突に浮遊感を感じた。
内臓が浮くような不快な感覚に目を回しながら、しかし僕は冬華の手は話すまいと力を強める。
それに返すようにして、彼女も手を握り返す。
そして――。
「どこ……だ、ここは?」
ポツリと呟いた僕の声に反応したわけではないだろう。
何かを確かめるように、鎧の男が辺りを見渡す。
「よし、成功だ……」
噛み締めるようにして、男は小さく声を溢した。
あの結晶を手に入れるや否やすぐに使用したことといい、今の言動といい、どうもあの宝箱から出てくる物が何なのか、事前に知っていたかのような口ぶりだ。
どこかで情報を仕入れようにも、そのソースはどこなのか。
仮に誰かに教えてもらったとして、何でその人物は自ら動かなかったのか。
知っていたなら、自分の物にしてやろうと思うのが普通のはずだろう?
一体どういうことなのか?
そんな僕の疑問に答える人間など、いるわけもなく。
未だ僕たちの存在を認識することができていない鎧の男たちは一塊になって周囲の警戒を始めた。
そして、彼らの雇い主と思わしき派手な装飾の白銀鎧の男はいつの間にか、【鑑定板】とよく似たタブレットを手にしていた。
しかし、【鑑定板】とは異なる何かだということは早くに察した。
では、それは一体何なのか。
僕は気になったが、それの正体はすぐに判明することとなる。
ニヤけた表情でタブレットを覗き込んだ男が、驚愕を滲ませた怒声を発したのだ。
「きゅ、九十階層だとッ! そんなこと、聞いてないぞ!!」
九十階層。
彼は確かにそう言った。
そんでもって、さっき使ったのは転移結晶。
僕は――いや、僕と手を繋いだままの冬華も理解したことだろう。
――僕たちが今いるこの場所は、未踏のダンジョン九十階層なのだ、と。
「う、嘘だ……そんなの嘘だ! コイツが故障しているんだ!! そうでもなければ……」
鎧越しにも、男の声が震えているのがわかった。
そして、彼にここから元の場所へと戻るための手段はないのだということも。
男は錯乱して手に持ったタブレットを地面に叩きつけ……それは光の粒子となって消滅した。
やはりスキルにより作られたものだった。
おそらく、彼の情報源はあのタブレット。
しかし、詳しい内容まで知ることはできないのではないだろうか。
重要な情報は一通り網羅しているものの、それに含まれない情報も多い。
そんなところか。
「く、クソが……ッ!」
悪態を吐く男を尻目に、ドスンドスンと何かが迫り来る音を僕の耳が捉えた。
「魔物、か……」
周囲には鎧を纏っただけの男が四人。
そして僕たち二人。
彼らは見るまでもなく、低レベル帯だ。
九十階層どころか、二十階層でも厳しいだろう。
そんな彼らが、この階層の魔物と戦うのは無理がある。
もちろん、本当にここが九十階層であるなら……の話だが。
さて、どんな魔物が出てくるのか。
僕は場違いにも少しワクワクしてしまった。
それは、【隠術】によって安全圏から見ていられるから、というのもある。
当たり前だが、僕はこのスキルを解除して彼らを助けるような善人であるつもりはない。
僕たちだって、九十階層は未知の領域なんだ。
これまでの最高到達階層が二十一。
その差は六十九もあるのだ。
まともにやって勝てるはずがない。
いまは大人しく嵐が過ぎ去るのを待つ以外に選択肢はないんだ。
僕は冬華の手を引いて壁際に移動する。
万一に備えて今のうちに退路も確保しておくことにする。
そうこうしているうちに、目視できる範囲に例の魔物が現れた。
象のような太く、重い四本足。胴体は鋭く尖った毛に覆われ、顔は縄張り荒らされた獅子の如くであった。
威圧感だけならば、今まで出会ったどんな存在よりも重い。
僕たちは【隠術】によって隠れているというのに、なおも貫かんとする殺気には、気を抜けば腰が抜けてしまいそうなほど。
しかし、その姿を見るに、どうやら足はそこまで早くはないようだ。
いざとなればサッサと退散してしまおう。
【隠術】が作動している間であれば、イレギュラーが起こりさえしなければ、それも可能のはずだ。
「ま、魔物! 魔物だ!!」
冷静に状況整理なんかしていた僕とは対照的に、パニックを起こしたように、鎧の男たちは取り乱す。
さっきまで組んでいた陣形も崩れてしまっている。
これでは殺してくれと言っているようなものだが、対する魔物は動かない。
どういうことだ、と僕は視線を魔物に向けた。
すると――ソイツは獲物が逃げ惑う様をみて、笑っていた。
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