誓い

「帰ったぞー」


 随分久しぶりに聞いた父の声が玄関先から届いた。


「あ、お父さん帰ってきたみたい!」


 母さんの言葉にわずかな喜色が篭る。

 それに比例して冬華の表情にまた少し緊張が走っているのがわかった。


「大丈夫だよ。うちの父さんはまともだから」


 暗に母さんは頭がおかしいと言っているようなものだが、冬華からは仄かな苦笑が帰ってきただけだった。

 その間に母さんは父さんを迎えに玄関へと向かい、自然と僕たちは二人になる。


「なんだか、言い出せる雰囲気じゃなかったですね」

「……でも、言わないといけないことだからね」


 母さんはあんなだし、最初からまともに話が続くとは思っていない。

 本命は父さんだ。


 つまり、本番はここから。

 さて、敵――というのとはちょっと違うが、父さんを口で負かすのは簡単じゃないぞ。



 ◆



「大学を辞めたい?」

「……うん」


 四人用のリビングルームのテーブル。僕と冬華の対面に座る父さんが疑問の声を上げた。


 そう聞いたのは、なんで大学を辞めるのか。それにどんな理由があるのか、という思いからだろう。

 そう考えるのもよくわかる。

 僕だって突然そんなことを言われれば戸惑ってしまう。


 父さんは年相応に老け込んだ顔の目元にさらに皺を寄せて腕を組んだ。


「……理由は? なんで大学を辞めたいのか、父さんたちに言えるちゃんとした理由はあるのか?」


 やはりその類の質問はしてくるだろうと思っていた。

 ただ、僕のこれから言おうとしていることに賛同してもらえなかったら? そんな未来を想像して、ネガティブな感情を抱きながら、僕は静かに口を開く。


「父さんたちは、探索者って知ってる?」

「……名前くらいならな。ダンジョンとかで一時期有名になっていたし……」


 突然なんの話だ? と思ったのだろう。父さんは困惑の色を瞳に宿した。


「僕は……冬華と一緒に、これから探索者として生活して行こうと思ってるんだ」

「それは、大学を辞めて探索者っていうのを職業にするってことか?」


 僕は確認する様に首を傾げる父さんに「うん」と短く言葉を返した。


 しかし、それに対する反応は薄い。


「それは……本当に今じゃなきゃいけないのか? お前も大学受験を頑張ってやっと入った所だし、それに、探索者ってのは大学を出てからじゃあできないものなのか?」


 今じゃないとダメだ。とは言えなかった。

 たしかに、大学を出てから探索者として本格的に動く、というのも一つの手だ。

 というよりも、寧ろこちらの方が良い手だとすら感じる。


 だが、僕にはこの道しかないと、最近になって感じ始めてしまったのだ。

 ダンジョンに潜るたびに、その考えは深まるばかり。

 なにをするよりも、ダンジョンのことを考えているように思う。


 それこそ、他の職業に就く気さえも失くしてしまうくらい。


 最初は面白そうだという好奇心にのみ従った、刹那的なものだったが、今の僕は、そうではない。

 探索者というものを、他に気を取られないで全力を注ぎたい。


 危険なのは百も承知で、命がけの探索を続けたい。

 そんな危ない思想が、脳に蔓延って離れない。


 けれど、そんなことを口に出せば、危ないだなんだと言われて反対されるのは分かっている。

 だから僕は言葉ではなく目で訴えた。


 ジッと静かに父さんの瞳を覗く。

 父さんもまた、僕の目を穴が開くほどに見つめる。


 互いに言葉はなく、静寂が続く。


 しばらくして、「はぁっ」と一つのため息が落ちた。


「なんで探索者って職業を選んだのかは聞かない。何かお前なりの理由があるんだろう。この仕事をやりたいって思うきっかけは誰にだってあるものだ。それを俺は否定しない。やりたいならやればいい。でも、本当にお前が大学を辞めてまでその仕事に就くにあたって、俺からお前に、いくつか条件をつける」


 いくつかというあたり、一つ二つではないのは当然。このくらいのことは覚悟していた。


「まずは一つ目、今までの大学の授業料は自分で払え。仕送りもしない。生活費は自分で稼げ。仕事に就くというのなら、それくらいはやってみせろ」


 そう言って父さんはピンと人差しは指を上にあげた。


「二つ目。怪我はしてもいい。でも、絶対に死ぬな。死んでさえいなければ人生どうとでもなる」


 続けて中指が立てられた。


「三つ目。他人を傷つけることだけはするな。これはいつも言っているが、特に女には優しくしろ」


 子供の時から言われていることだ。分かっている。


 僕が頷くと、父さんはニカっと笑みを深めてさらに薬指を立てた。


「四つ目。何事に置いても油断をするな。驕るな。他人を見下すな。全員が全員、自分には出来ないなにかを持っている。勿論、中にはそうじゃない奴だっているかもしれない。こいつだけは無理だって奴はいるだろう。でも、他人に敬意を抱くことを忘れるな」


 今度は真剣な眼差しで、小指を立てた。



「そんで、最後。……好きな奴は絶対逃すな」


 父さんは僕にだけ聞こえるくらいの小さな声でそう囁いた。そして、その視線の先には冬華がいた。


 なぜ分かったし! と思わず赤面しそうになったが、家にまで連れてくる段階でもう気づかれているかと納得した。


 母さんも最初から僕と冬華を恋人だと思っていたようだし、無理からぬことか。


 最後のはなかなか難しいなぁ、と呟いて、しかし僕は父さんの要求を受諾した。


「頑張るよ。金は今すぐ返すのは無理だけど、少しずつでも絶対自力で返す。危険な橋も出来るだけ渡らないようにする。人を無駄に傷つけたりもしない。油断も慢心もしないよう心がける。そんで……」


 僕は言葉を切って目線だけを冬華へと移す。


 ――冬華に釣り合うだけの男になって、冬華と付き合ってみせる。


 僕は心の内で父さんとの誓いを立てた。

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