馬鹿の所業
「――はじめッ!」
ギルドマスターの野太い声を合図に決闘が始まった。
その瞬間に俺の耳は地を蹴る音を補足する。
しかしこれは……速すぎる。
確か柊木なんとかって言ったか……名前はまだ知らないが、あの天使の金魚の糞をしているだけの雑魚かと思ったが、案外そうでもないようだ。
まあ、彼女よりは弱いのだろうが。
そして、こいつよりも絶対に俺の方が強い。
なにせ、俺は苦節十年空手に打ち込み、都大会十六位にまで上り詰めたのだから。
たしかにスピードは向こうに分があるが、技術で圧倒的に優っている俺の敵ではない。
すぐに捉えて潰してやる。
そう意気込んで、俺は全身の神経を張り巡らせる。
風を切る柊木の姿がチラリと見えた。
自分から見て左側面。
来た――
ここで腕を掴んでしまえば! そう脳が判断した瞬間、寒気が全身を駆け巡った。
咄嗟に左腕に力を込める。
刹那、響き渡る衝撃。
左腕が持っていかれるような強烈な一撃が身体の芯を揺さぶるようであった。
冷や汗が垂れる。
生命の危機すら感じた俺は、柊木から一旦距離を取る。
あくまで一旦だ。
まだ俺が負けたわけじゃない。
俺の方が格上。
そこに間違いはない。ない……はずだが、しかし。
「撃ち方は下手な癖に、やたらと速い……それに、一撃が重い」
自身の下した評価はまず間違っていないはずだ。
先ほどまでは舐め腐っていたが、天使の後に追従するくらいの能力は、この柊木という男にも備わっていたらしい。
なんとも憎たらしいことだ。
俺は痛めた左腕を無事な右手で押さえつける。
恐らく骨は折れている……よくてヒビが入っている程度か。
どっちにしろ、この戦いの間ではもう使い物にはならない。
だが――
「ふんっ! 右腕一本あれば、お前程度造作もなく蹴散らせる!!」
根拠はない! しかし、自信はある。
こんな男には絶対に負けないという自信が!
柊木が体勢を低くした。
来るか――!
俺は即座に右半身を前に出し構えた。
さっきの速度にはもう慣れた! 次は必ず捉えられる!
そう、思考したその瞬間のことだ。
柊木の体が掻き消えると、俺の視界が横転するようにブレ、暗転した。
◆
僕の拳が小泉の顎をかち上げ、脳を揺さぶった影響か、彼の体は地面に倒れ臥す結果となった。
ドサリと仰向けに倒れた小泉は端正な顔を歪ませて、鼻水と涎を垂らしていた。
ばっちい。
「あー、小泉氏戦闘不能により、勝者柊木」
半ば投げ捨てるように、ギルマスがアナウンスする。
ギルマスも僕が勝利するだろうことは分かっていたはずだが、なぜ小泉を止めなかったのか。
まあ、何やらめんどくさい大人の事情とやらがあるのかもしれない。
知らんけど。
それはともかくとして、これでようやく面倒ごとが終わった。
宝石の報酬はまだ貰っていないが……それは後で小泉の親に請求すればいいことだ。
僕と冬華は、小泉の意識が戻る前に撤収することにした。
「ってことで、あとはよろしくお願いします」
ギルマスに小泉を託して早足にギルド地下を出る。
もちろん背後からの「おい待て! 待ってくれ! お願いだから!」という切実な叫びは全力で無視した。
ギルマスも中間管理職みたいなもんで大変らしいけど、頑張って生きてくれ。
僕たちがギルドから出ると、外はもう薄暗くなり始めていた。
さらに、まだまだ冬の季節ということもあって大変寒い。
いくらステータスが上がってもこの寒いとか暑いとかの感覚はこのままだ。
ちなみに“適応”は、過度な熱やら寒さやらには対応してくれるが、人間が普段感じる程度の痛みや熱なんかには対応してくれない仕様だ。
どういう仕組みかは、僕もいまだに分かっていないのだけど、それはスキルの持つ不思議パワーとしか表現できないな。
ま、この話はどうでもいい。
今の僕たちに重要なのは例の依頼なのだ。
僕は帰りの道を歩きながら冬華へ、「そういえば」と、さも今さっき思い出したように話しかける。
「結局小泉にさ……あの宝石渡してなくない?」
実はだいぶ前に気付いていた事実を告げる。
いや、別に渡すことはできたんだが、目を覚ましてまた絡まれるのは面倒だし……と後回しにしてしまった。
一時の感情で動いたことだったが、もしかしたらあの一件で依頼そのものがなくなる可能性もあると考えると、なかなかまずいんじゃなかろうか。と思考が至った。
冬華もそれに気付いて若干顔色を青くしていた。
彼女にとってはあの依頼がなかったことになるのは大問題だからな。
そうなるのもわかる。
しかし、こう考えるとなんで僕はあの時ギルマスに宝石を渡しておく、程度のことも出来なかったのか。そもそもなんで思いつかなかったのか。
――ふむ、やっぱり僕は馬鹿だったのだなぁ。
どこか他人事のように、僕は頭の中で呟いた。
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