狂った男
「……思い知らせる、か……」
僕は冬華の手を引きあの場を強引に逃れ、ポツリと呟いた。
朝の出勤ラッシュの時間帯と言うのもあって人混みで隠れることが出来たのは幸いだったが、ともすれば逸れてしまいそうな状況。
そういったこともあって、今も僕たちは手を繋いでいるわけで、この時の僕の小さな呟きも、冬華には聞こえていたらしい。
「あ、あの……すみません。奏くんまで巻き込んでしまって……」
冬華はシュンとした様子で顔を俯かせる。
だがしかし、アレについて、冬華が悪い……なんてことを考えるはずがあるだろうか。
今回、冬華は完全に被害者だ。
というかあの男、一歩間違えればストーカー……いや、もうすでにそう言っても過言ではない。
故に、冬華が謝ることはないし、僕が冬華を責めるようなことはありえない。
それを伝えると、ホッとしたような、申し訳ないような、でもやっぱり安堵の感情が強いのか、仄かに笑みを浮かべた。
それにつられて、僕も人心地つけた。
ただ、最後にあの男の吐き捨てたセリフには少しだけ引っかかりを覚えてならなかった。
もしかしたら、親類や友人関係に僕たちをどうにか出来るような人間がいるのかも知れない。
それがどういった方面で力を持つものか、ということも分からない以上、無闇に喧嘩を売ったような形になったのは少しばかり浅慮だったかもしれない。
まあ、僕はあの時の自分の行動に一ミリたりとも後悔はしていないが。
現に、今もあのクソヤリチン野郎のアソコを抉り取ってやりたいくらいにはモヤモヤした感情が胸の奥で渦巻いている。
やっぱり生殖機能が正常に働かないくらいアソコを潰してやったら良かったかな。
そっちの方がよっぽど安心できたというものだ。
「――それに、力で訴えてくるだけならどうとでもなる」
それ以外の手だったら僕たちだけじゃどうにも出来ない可能性もあるが。
まあ、それを今考えても仕方がない。
今は、もうあの男に合わないことを祈るだけ。
出来ることなら、今後一生視界に収めたくはないな。
僕たちは、人混みに紛れるようにして、重い足取りでダンジョンへと向かった。
◆
「クソ、クソクソクソクソクソクソッ! クソがぁぁぁぁあ!!」
人の溢れる街道。
そのど真ん中で、朝も早い時間から金髪高身長、顔もそこらの俳優並みに整った男が大声で怨嗟の声を喚き散らしていた。
「あいつ……あの、童貞インキャ……絶対に許さねぇ!」
グッと握り締められた拳からは、力を込めすぎたせいか、爪が肉を抉り、ドロドロと血が流れる。
元々の端正な顔立ちは、奏への一方的な恨みのせいで般若の形相。
道行く人々は、彼の様子を覗き見ては怪訝な顔で通りすぎる。
「お、俺の……俺の天使を奪いやがって! 俺の女なのに! 俺のなのに! なんで……なんであんな奴にぃ! ありえねぇ! ありえねぇよ! 俺の方がイケメンだろ? 俺の方がいい男だろ?」
なんで? なんで? と男はただただ、狂ったように繰り返す。
「……あぁ、そっかぁ……脅されてたのかな? そうだ、きっとそうだ! そうに違いない!」
下品な笑いがこだまする。
その様相は、重度の麻薬中毒者とよく似ていた。
「ああ、待ってろよ、俺の天使ぃ! す、すぐに助けてやるからなぁ!!」
男の頭の中には、自らに微笑みかける黒髪の少女――天使しか写っていなかった。
彼にはもう、周りのことなんて見えていない。
彼の思考が、独りよがりで、気持ち悪いものだということに気づいていなかった。
そして、それを指摘するような人間もまた、ここにはいなかった。
サラサラに整えられた金髪が風で浮く。
長めの髪が揺られて瞳が煌めく。
狂気に染まった、漆黒の瞳が。
男はおもむろにポケットに手を突っ込み、愛用のスマートホンを取り出し、電話をかけ始めた。
「……あっ、パパ? ちょっと、お願いしたいことがあるんだけど……」
相手は父親。
電話に出た途端、声のトーンが一段高くなった。
大層機嫌の良さそうな声音で、男は自らの父親にあるもの・・・・をねだった。
その選択が、自分の人生を狂わすことになるとも知らずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます