油断大敵

 ゾワリと、背筋の凍るような悪寒が警告を告げる。


「ッ――“転移門ワープゲート”」


 虫の知らせに従って、僕は即座にその場を離れた。


 瞬間――元いた場所を、サイクロプスの剛腕が斬った。

 タラリ、と冷や汗が流れる。


 もし、あそこでとっさの判断が出来ていなかったら、僕は死んでいたかもしれない。


「は……ははっ」


 少し、自惚れていたかもしれない。

 この、サイクロプスという魔物を、幾分か甘く見ていたのかもしれない。


 乾いた笑いが、こぼれ出る。


 《転移門》を使っての移動ということもあって、サイクロプスとはそれなりの距離を取ることに成功した。

 とはいえ、サイクロプスは既に攻撃が空ぶったことなんて気に留めた様子もなく、僕へとその鋭い瞳を向けている。


 未だ立ち込める重い威圧感に、体の動きが僅かながらに阻害されているのを感じる。


「これは……まずいな……」


 雰囲気に呑まれている、というのに気がついた。

 所謂負けムードってやつだ。


 対して向こうは、先ほどまでの余裕な表情を取り戻していた。


「まさか、“転移門”での移動にも付いてくるなんて……」


 人外じみた……いや、人外ではあるのだが、ありえないレベルの反応だった。

 少なくとも、今の僕には絶対にできない。


 これだけで、僕とサイクロプスの間にある格の違いが浮き彫りになった。


 本当に、僕はこいつに勝てるのか? という疑念が湧き上がる。


 ――いや、勝てるのか、じゃない。勝たなきゃいけないんだ。


 勝たなきゃ、死ぬ。

 死ねば負ける。

 でも、負けさえしなければ、死なない。


 そうだ、一度冷静になれ。


 フゥッと、僕は重く重いため息をつく。

 それだけで、少しだけだけれど体が軽くなったような気がしないでもない。


 俯き始めていた顔を無理矢理にでも前へと向き直し、サイクロプスを凝視する。


「もう一度、“転移門”を使うか……?」


 いや、それはダメだ。

 さっきの完全な奇襲でもダメだったんだ、手の内を知られた今、もう一度同じことをやっても、絶対に通用しない。


 再度使うなら、“転移門”への意識が薄まり、注意の逸れた時、という条件が必要になるだろう。

 となれば、今はまだ使えない。


 ――なら、他の手を。


 そう考えをめぐらせるものの、“転移門”以上の移動手段を、僕は所有していない。


 “液体化”した体ゆえに、リーチは生身の時よりも長くなったが、しかし限界がある。

 少なくとも、ここからでは確実に攻撃は届かない。


 そして、サイクロプスの、あの体だ。

 ある程度近づけば、それだけでサイクロプスの間合いに入ってしまう。


 と、なると……僕の取れる手段は……。


「……特攻、か?」


 正直、僕の持つ“能力”には身を守ったり、回復させたり、というものが多い。

 それを総動員させれば、サイクロプスの強烈な攻撃を掻い潜って、僕の一撃を届かせることだって出来はずだ。


 もちろん、リスクはある。

 それも、結構なハイリスク。


 しかし、現状サイクロプスに勝つには、この方法が一番手っ取り早い。


 一歩間違えば死に直結する、リスキーな賭け。

 ぼくは、それを選んだ。


 まあ、選んだとはいっても、他にまともな選択肢なんて無いようなものだったのだが。


 僕は僅かな苦笑と共に“液体化”を一時解除する。

 “転移門”による瞬間移動じみたものならばまだしも、普通に走るというなら、液状の腕というのは邪魔にしかならないからな。


 僕は、自由になった腕をプラプラと動かし、違和感がないのを確認する。


 サイクロプスは、僕の様子を伺っているのか、今のところ目立った動きはない。しかし、時折視線が遠くに飛んでいるのが、少しばかり気がかりではある。


 とはいえ、たとえサイクロプスが何かアクションを起こそうとしていたとして、今の僕に阻止できるか、と言われると微妙なところ。

 なら、今はただ、自分のやるべきことに集中するのが第一。


 僕は、黒く染まった己の拳を強く握る。

 そして、左足を一歩後ろへ。

 両手を地面に。


 クラウチングスタートの構えを取り、僕は疾駆する。


 それに対して、サイクロプスは獲物を見る目で僕を睥睨する。

 余裕を持った、ゆったりとした動きで対面に立ち、その距離は約五十メートル。


 この速度なら、接触まであと三、四秒。


 さあ、勝負はここからだ。

 その余裕な面、すぐに僕が剥ぎ取ってやる。


 僕は、サイクロプスをしっかりと視界の内に捉え――仕掛ける!


 僕は疾駆しながら、徐ろに右手をサイクロプスへ突きつけた。

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