“鎖縛”


 南條さんがサイクロプスによって吹き飛ばされた、その後。


 叫びと共に、智也の体がさらに濃い紅に染まったのを、僕は見た。

 立ち上る蒸気が揺らめき、獰猛な獅子を象る。


 怒りによるものか、それともそのスキルによる副作用なのか。

 それは分からないが、智也の様子がおかしいことに、僕はすぐさま気がついた。


 意識が白濁としているのだろう。

 キレ、速度、共に上昇しているものの、動きが本能に任せた動物的なものに見えた。

 さらに、周りのことが見えていないのか、囮役としてサイクロプスの注意を引いていた舞鶴さんへの配慮がない。


 無意識的なものだろうが、野生の獣と化した智也の攻撃……いや、その攻撃を避けようとしたサイクロプスの体が、彼女へと衝突しようとしていた。


 瞬時、僕は動き出す。

 あらかじめ発動させていた“黒鬼化”を全開で脚に力を溜め込む。


 そして――


「翔ぶ!!」


 地面を蹴った。

 寒空の下、埃が舞う。


 僕の体は風を切って高速で移動する。


 次に自分の身に降りかかるだろう衝撃を予期して、舞鶴さんはギュッと目をつぶっていた。

 僕はそれを、疾走する勢いに任せて体を抱き寄せ、回収する。


「……柊木、さん?」


 予想していた痛みと反して、自らの体を優しく包む手の感触を自覚して、舞鶴さんは固く閉じた瞳をそっと開く。


 そして、僕の顔を見つめて数秒。

 過去の記憶を掘り起こしたのか、ぎこちなく、困惑したように僕の名前をつぶやいた。


「……なんで、ここに?」

「んー、まあ、それは……あとで話すよ」


 僕は舞鶴さんを抱えたまま避難させる。

 優しく彼女を地面に下ろすと、再び動き始める。

 体を動きやすい体勢へ。


「な、なにを……?」


 舞鶴さんは不安な表情を残したまま、僕へ問いかける。

 瞳は少し、潤んでいた。


「君の仲間を、助けてくる……」


「だから少し、待っていて」と。

 僕は所在無さげに伸びた彼女の手を握って、静かに下ろした。


 再度、脚に力を流し込む。

 黒い光沢をもった筋肉が隆起。


 再び地面を蹴る。


 まずは未だ地面に倒れ伏し、意識を失っている南條さんを回収。

 後に、恐怖で体を硬直させている女――涼子さんを脇に抱える。


 抵抗はなかった。

 というよりも、そんなことをする気力がなかった、というほうが正しいかもしれない。


 人二人を抱えたままの移動、というのは人生でも初の体験だったが、幸いにもレベルアップによる身体強化と“黒鬼化”の手伝いもあって苦ではなかった。


 彼女ら二人を舞鶴さんの下まで運び終えると、僕はひとまず小さく息を吐いた。


 まだ、終わりじゃない。


 僕は鋭くサイクロプスと智也の戦う戦場へと目を向ける。


 智也が、力一杯、獣のように、吼えた。

 同期して、彼の体に纏わりつく焔が一層勢いを増す。


「死ねぇぇぇぇぇ!」


 智也の、紅を纏った拳が放たれた。

 全力全開。

 見ればわかる、全てを乗せた、渾身の一撃。


 目測で八メートルはあるだろう身長のサイクロプスだ。顔面や心臓部等への攻撃は身長差もあって無理だと悟ったからだろう。

 彼の一撃は、脚――サイクロプスの左脚を突いた。


 体勢を崩して、次の一手で決めるつもりなのだろう。


 予想通り、重いうめき声と共にサイクロプスは片膝をついた。


 しかし、それと同時に、智也の動きが止まった。

 遠目からでも分かるほどに、体が硬直している。


 加えて、体に纏う炎は勢いをなくし、鎮火を始める。

 目の奥に灯る光は未だ消えてはいないようだが、しかし、それに反して体が言うことを聞かない状態、ということ。


 片膝をついたサイクロプスが、ニヤリと笑った。

 片膝をついているが故に、サイクロプスにとっては攻撃するには丁度いい位置。

 腕を伸ばせば届く距離に、自分をここまで追い詰めた人間が、男がいる。


 サイクロプスが手を出さない理由があるだろうか? いや、ない。


 僕の考えは見事に的中。

 サイクロプスは、その巨腕を、未だ立ち尽くしたまま動きを止める智也へと振りかぶる。


 このタイミングで、僕は動き出す。

 もちろん、ここから走り出したんじゃあ、待ち合わない。


 だから、“能力”を使う。


「――“鎖縛さばく”!」


 伸ばした手のひらから、薄鈍色に輝く鎖が顕現し、飛来する。

 ジャラジャラと喧しい音を立てながら、一条の鎖はサイクロプスの振り下ろしかけた腕へと巻きついていく。


 “鎖縛”。

 十二階層に生息する鎖蛇から奪取した能力のうちの一つ。

 拘束力に特化した能力で、その束縛力は相当なものだ。


 サイクロプスほどの膂力の持ち主には使ったことがないため、どれくらいまで持つかは分からないが、数秒の間だけでも動きを止められたのなら御の字。


 その数秒が、戦場では命取りとなるのだから。

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