二人の戦い

「それに、あのスキルは諸刃の剣です。一度使えば過剰なくらい体を酷使してしまう。一時的に、とはいえ、体を作り変えられて、本能のままに動く狂戦士になってしまうわけです。だから、私としてはあまり使って欲しいものではなかったのですが……」


 悲痛に歪んだ熊野さんの眉間に、更に皺が寄る。

 彼の見つめる先には、血走った目をギョロギョロと右往左往させ、絶好の獲物を見つけた獣の如く口角を吊り上げる犬飼さんの姿があった。


 その狙いは、直近のオークに定められている。

 狂人、狂戦士とも形容すべき彼に睨みつけられたオークは、さっきまでの威勢は何処へやら。萎縮するように体を縮こまらせ、一歩、後ずさった。

 目からは僅かに怯えの色が見て取れる。


 それは本能的なものなのか、無造作に構えた棍棒がプルプルと震えていながらも、しかし、背を向けようという気は一切ないようであった。


「――ガ、アアァァァァ!!」


 犬飼さんが、叫んだ。

 その姿、まさに理性なき獣。


 彼の目的ただの一つだけ。

 目の前の敵を屠ること。


 肥大した脚の筋肉が、更に膨張した……ように見えた。

 ――瞬間。

 ダンジョンの床は抉れて陥没。

 その巨体は瞬き一つの間にオークへと詰め寄っていた。


 彼の巨体には見合わないブロードソードが、鈍色の光を反射しながら閃く。


 理性、知性を失っても、その体に染み付いた技術はそう簡単に抜けるものではないのか、彼の放った一閃は熟練者のソレであった。


 鮮やかな剣撃は吸い込まれるようにオークの体を両断してみせた。

 それは、本来の体であれば筋力不足によってなし得ないことである。

 しかし、異常ともいえるほどに発達した筋肉を持つ今の犬飼さんには関係がない。


 盛大に血しぶきを上げて倒れ込んだオークを足蹴にしながら彼はニヒルに笑った。

 剣にこびりついた赤々とした血を振り払い、次なる目標に狙いを定める。


 ――一体、二体、三体、四体。


 次々にオークの群れは数を減らしていく。

 犬飼さん、ただ一人の手によって。


 僕たちは呆然として、その光景を目ているだけだった。

 あまりの犬飼さんの無双ぶりに、声すらも失っていたのだ。


 犬飼さんは幾体ものオークに囲まれようとも、その勢いを殺すことなく巨体を進めた。

 斬りはらい、蹴りつけ、時には殴り飛ばす。


 そして――彼の剣先は、遂に僕らへと向けられる。


 ヒュッ、と短い悲鳴が喘がれた。

 それは誰のものだったのか、もしかしたら僕のものだったからもしれないが、今はそんなことを一々気にしていられるだけの余裕は、無かった。


「ッ――!」


 いち早く彼の動きに反応したのはやはり、熊野さんだった。

 固まる僕らの前に躍り出て、その剣を戦友である犬飼さんへと向けたのだ。


 タラリ、と玉のような汗が頬を伝って滴り落ちる。


 それを知性のない頭でどう解釈したのかは分からないが、彼はニヤリと嗤い、再び咆哮。


 合図は無かった。

 動き出した、と思った時にはもう、彼らは剣を交えていた。


 ギィン。

 硬質な音が反響する。

 オークたちの小うるさい鳴き声も気にならないほどに、その音は良く耳に通った。


 純粋な剣技というのであれば、熊野さんに若干の軍配があがる。

 しかし、現在スキルによって身体能力が大幅に強化されている犬飼さんの総合的な戦闘力を加味すると、熊野さんが勝利する可能性、というのは限りなく低い数字となる。


 ――周りからの妨害がなければ。


 当然、さっきまでやられっぱなしであったオークたちは黙っているはずもなく、なんの躊躇もなしにこの二人の戦いに横槍をいれてくる。


 ブヒッブヒッ、と鼻息を荒げてオークたちは棍棒片手に彼らの元へと群がりはじめ、しかし、そんなものを気にした様子もなく二人の剣戟は続く。


 時折、向かってくるオークの首を刎ねながら、注意はお互いに離さない。


 しかし、熊野さんはただオークを殺す、というのではなく、オークたちの敵意を向ける標的を犬飼さんの方へと集めることに注力しているようであった。

 その理由としては、体力面でも犬飼さんに劣っている、ということがあげられる。


 このことからも【ベルセルク】っていうスキルの理不尽なまでの強力だってのがつくづく分かるというものだ。

 運動量では圧倒的に犬飼さんの方が多いはずなのに、今息が上がっているのは熊野さんの方なのだから。


 まずい。

 このままだと、熊野さんが死んでしまうかもしれない。


 そう、頭では分かっているのに、体が動こうとしない。

 動いてくれない。

 それは、ここにいるみんながそうで、助けたいのに、体が上手いこと動いてくれない、と血が滲むほどに唇を噛みしめる。

 さっきまで感じていた強烈なまでの殺気が、僕らの中から消えてくれないんだ。


 疲労と恐怖が、僕たちを束縛する。


「動け……動けよ!!」


 バンバン、と。

 足を叩いて自らを鼓舞する。

 なんで、なんで動いてくれないんだ、と。


 どうすれば――


 苦悩する僕の背後から、シャリンと刃物が鞘から抜き放たれる音がした。

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