対トカゲ(2)

 僕の挑発にまんまと釣られたトカゲは憎々しげに目を細め、奇声とともに迫り来る。


 右目からはいまだドクドクと鮮血が流れ続けているが、そんなものはどうでもいいとばかりにトカゲは剣を片手に舞い踊る。


 その動きは先ほどまでと変わりはなかった。

 傷を与えることは出来たが、それによる戦力低下は望めないようである。


 僕は振り下ろされた剣閃を柄で弾き、腹を押すようにして蹴ることで距離を取る。


 啖呵を切ったはいいものの、やはり勝てる気がしない。

 それに、一度でも攻撃を受けたら致命傷足り得る、という緊張感からか、いつもより体力の消耗が早いように感じる。


 ハァハァと断続的な荒い息遣いが静かな空間でよく響く。


 トカゲは威嚇のつもりか、シャーッと喉を鳴らした。

 爬虫類らしい二つに割れた長い舌がチロチロと見え隠れして、次の瞬間、僕の頭の中で痛いくらいに警鐘が鳴り響いた。


「――ッ!」


 声なき声が口から漏れ、転がるようにして回避。


 横合いから繰り出された攻撃は目で追えないほどに高速で加速したトカゲのものであった。


 直撃、とはならなかったものの、“液体化”を発動させる暇もなかったために、服ごと横腹を切り裂かれ、血飛沫が舞う。


 まあ、かすり傷程度だから戦闘には支障ないだろう。“黒鬼化”がなかったら危なかったかもしれないが。


 僕は腹に感じる違和感に眉を顰めながら立ち上がる。


 ――まずいな。


 僕は直感的にそう感じた。

 一度、トカゲの視線が白月さんと南條さんに注がれたのだ。


 彼女らが標的にされる前に仕留めなければ。

 僕は使命感に狩られて動き出す。


 “黒鬼化”の能力はいまだ健在。

 体力は……十全とは言えないまでも戦えないほどじゃない。

 気力に関しては十分すぎるほどだ。


「カァッ!!」


 一喝。

 喉から込み上げる気迫を声に乗せて放出し、威嚇とする。


 しかし、トカゲは驚いた様子は一切なく、鋭く剣を突き出した。

 僕は身を捻って剣による突き出しを避けると遠心力を使った横薙ぎの一閃をお見舞いする。


「ガ――カァ、カハッ!」


 トカゲの口から強制的に空気が漏れる。


 追撃のチャンス。

 僕はそう判断して連続で突きを繰り出す。

 一。

 二。

 三。

 四。

 そして、五。


 連続での刺突はそこでストップした。

 腹に深々と突き刺さった槍をトカゲの魔物は人外じみた――いや、人外の膂力で掴みとったのだ。


 ギロリと、鋭い眼光が僕へと向く。


 ゾワリとした寒気が襲い、背筋が凍るような錯覚に陥った僕はおもわず槍を手放して後ずさり……


 ――しまった!


 そう思った時にはもう遅かった。

 槍を習った師匠にも言われていたことだった。

 戦場では絶対に得物だけは手放すな、と。


 丸腰になった僕をトカゲは吐血しながら、狂気に染まり爛々と輝く瞳で見つめる。

 それはさながら獲物を窮地に追い詰めた狩人が如く。


 不覚にも恐怖から体が小刻みに震える。

 鋭く細められた金の瞳が僕を覗き、ビクリと肩が跳ね上がった。


 トカゲはそんな僕を一瞥すると、ニチャリといやらしい顔を浮かべて剣と、そして僕から奪い取った槍をチラつかせる。


 そこからは土手っ腹に風穴を空けられても痛みを感じているようには見えなかった。

 それは耐性からか、極度の興奮による副作用か、それとも所持している能力のせいなのか。

 今の僕には分からないことだけれど、確かに言えるのは僕が絶対絶命の危機であり、そしてこのトカゲ野郎はイカれたサディストだということだ。


 隠すことのない悪意が襲いかかり、蓄積された疲労も相まってか遂に僕は尻餅をついて地面に崩れ落ちた。


 抵抗する手段はもう、僕にはない。

 できることといえば精々、“液体化”によって防御を固め、トカゲが諦めるのを待つくらい。

 しかし、僕を攻撃するのに飽きたならこの魔物はすぐさま標的を変えるだろう。


 僕はこの先の少し未来に訪れるであろう惨事を想像して胸を痛めた。


 こんな魔物に殺されて、僕たちは死んでいくのだと思うと、悔しくてたまらない。

 いつのまにか目には涙が溜まり、視界が歪んでいた。

 ギリッと音がするほどに歯ぎしりして涙を堪えるが、それでもそう簡単に止まってくれるほど、人間の体は単純ではなかった。


「く……そッ! クソ……がぁ!!」


 せめてもの抵抗だった。

 僕は残りのありったけを込めて、腹の底から咆哮する。


「地獄に落ちろッ! トカゲ野郎!」


 僕の言葉を理解できていたのかは分からない。

 だが、その言葉を合図にしてトカゲの持つ直剣が鈍色に輝いた。

 紫電一閃。


 振るわれた一撃はしかし、何者かによって阻まれた。


「遅れてすみません。でも、もう大丈夫。コイツは私が責任を持って……殺します」


 その後ろ姿には、見覚えがあった。

 数ヶ月ぶりに見た彼は、信じられないほどの安心感を僕に与えてくれた。


「――熊野さん……」


 緊張の糸が切れたからか、僕の意識は自然と暗闇へと落ちていった。

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