対トカゲ
折れた剣を片手に茫然と立ち尽くす少女――南條さんとそれに対して二足歩行するトカゲの魔物を視界に収めると、僕は白月さんをその場に下ろして再び駆ける。
“黒鬼化”の能力はまだ継続中で、そのエネルギーを十全に使った踏み込みは床を抉った。
一陣の風となり、切迫する僕に気づいたのはトカゲの魔物が先であった。
反対に南條さんは未だに気づいてはいない。
茫然自失、といった様子で折れた剣を見つめるだけで、戦意というものが感じられない。
僕たちがもう少し遅れていたら、この魔物に斬り殺される運命は避けられないものだったであろう。
とはいえ、魔力が無くなった白月さんと、体力の消耗が著しい僕の二人では、こいつを倒せるかどうかも分からないが。
「ハァァァァァ!」
そんな不安を搔き消すように、僕は叫んだ。
最初は奇襲を仕掛けるつもりだったが、気づかれた以上仕方がない。
せめて、自らの闘気を昂らせるための糧にしてやる。
「死ね!!」
平時であれば滅多に吐かない汚い言葉も、戦闘となれば躊躇もなく口を出る。
前に進む勢いをそのまま利用した神速の刺突はトカゲの鳩尾辺りを貫く――はずだった。
ガキィン、と。
音がなった。
金属と金属がぶつかり合うような甲高い音。
それは、到底生身の体を槍で攻撃した時に出る音ではない。
金属鎧でも纏っていれば、話は別だが。
いや、このトカゲ野郎は鎧を纏っているのか。
鱗という鎧を。
体中にビッシリと纏われた赤い鱗は、それこそ金属を凌駕するほどの硬度を誇っているかもしれない。
僕の体が、ブルリと震えた。
これは、武者震いか、それともただ恐怖ゆえか。
どちらだとしても、僕には戦う以外の選択肢なぞ、存在しないのだが。
逃げるにしても、白月さんと南條さんを囮にすればなんとか……といったところか。
まあ、そんなことをするつもりは毛頭ないけれど。
トカゲの縦長な細い目が僕を睨みつけ、威圧してくる。
今までで一番といってもいい重圧感に体が強張り、槍を握る手に力がはいる。
彼我の距離は十メートル前後といったところ。背後には白月さんと南條さん。
はてさて、この局面でどうやって戦えばいいのやら。
僕は引き攣った笑みを浮かべながら、もう一つの手札を切る。
「“恐慌の紅瞳”」
黒いゴブリンから奪い取った、“黒鬼化”とは別の能力。
これは視界を合わせた相手に恐怖を植え付ける能力なのだが、自身よりも格上の存在には効き目が薄いのが欠点であり、そしてそれは今回も適応された。
つまり、このトカゲ野郎は僕よりも格上の存在である、ということが分かってしまった。
この状況、簡単にいうならば絶体絶命というやつではないだろうか。
孤立無援で戦えるのは僕一人、戦意を喪失した女の子と、魔力をほとんど使い切り、近接戦闘が全くできない女の子が一人づつ。
神様は僕に、僕たちに死ね、とでも言うのだろうか。
だとしたら、
「――神様なんてクソ喰らえ」
僕は傲岸不遜に言い張った。
それと同時に、今まで大人しかったトカゲが自ら動き出す。
剣の構えは無茶苦茶だが、何故か隙の見当たらない。
ジリジリと僕との距離を詰め、互いの距離が五メートルを超えた辺りでトカゲの魔物は加速した。
一瞬、消えたように錯覚するほどの速度に僕は狼狽し、隙が出来た。
「――しまッ!」
声が出た時にはもう遅かった。
トカゲはすでに僕の懐まで潜り込んでいたのだ。
ビュッ!
剣閃が風を切り、僕を捉えると上半身と下半身が切り離された。
ただし、血は一滴も溢れることはなかったが。
――“液体化”
スライムから得た能力、その一端が効力を発揮した。
切り離された体はそのままに上体だけを使って無理矢理槍を突き出す。
腰の入っていない中途半端な刺突は、それでもトカゲの意表をつくことに成功した。
偶然にもそれはトカゲの瞳を切り裂いた。
狙ったわけではない。
本当に偶然だった。
トカゲは憤怒に顔を濡らしながら、血の噴き出る右目を押さえる。
「ハハッ」
僕の口から、乾いた笑いが溢れでた。
そして、顔には愉悦の色さえ浮かんでくる。
余裕が出来たわけじゃない。
片目を潰したいまだって、気を抜けばすぐさま殺される状況に変化はない。
けれど、一矢報いたという事実が僕を奮起させるのだ。
ビチャリ、という音を立てて地面に崩れ落ちた上半身は既に下半身とくっついていた。
横一線に切れた革鎧とインナーは不恰好だが、そんなことを気にする人間はここにいない。
薄汚れた体を震い立たせて、僕は不敵に微笑み、宣言する。
「ほらこいよ爬虫類、僕がお前を殺してやるからさ」
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