少女とトカゲ

 そこは、戦場だった。

 痺れるほどの緊張感が空気を揺らし、相対するは一人の少女と一体の異形。


 そして、少女――南條 桜は冷や汗をかいていた。

 まさか、ヤケクソになって一人でダンジョンにまで来たは良いものの、気づけば五階層まで上っていて、そしてこんな化け物と戦うことになるなんて思ってもいなかったのだから。


 自分たちのリーダーであり、幼馴染でもある少年――赤城 智也とちょっとしたことで喧嘩になり、そして飛び出してきてしまったあの時の自分を殴ってでも止めてやりたい、と苦悶の表情を浮かべて相対する魔物に目を向ける。


 ソレは今まで遭遇してきた魔物の中でも圧倒的な存在感があった。

 いや、存在感だけではない、強い、というのが立っているだけでわかるのだ。


 南條 桜は剣の扱いだけを見れば未だ素人の域を出ていない。

 最近になって剣術の道場に通いだしはしたが、それでもたったの数週間前のことであるし、ここまでの戦闘はほとんどがスキルによるゴリ押しであった。


 しかし、その素人目でも対面に立ち、無言で武器を構える魔物の力量を察することが出来るほどなのだ。


「……グァ」


 その魔物は簡単に説明するならば、二足歩行する人間大のトカゲ……だろうか。


 鋭い牙が口から覗き、太い尻尾が臀部から伸びる。さらに赤い鱗が全身を覆い、それが防具の役目を果たす。そのかわり、と言えるのかは分からないが、服などの体を隠すものは股間部分だけ申し訳程度に布が掛けられているのみ。


 平時であれば、赤面の一つでもしただろう桜はしかし、そんなことをしていられる余裕もなく、油断のカケラも見られない青い顔で剣を構えていた。


「くッ……五階層ってのはゴーレムだけって話だったじゃない……なんで、なんでこんな……」


 もう、泣きだしてしまいそうなほどに緊張が張り詰め、悪態を吐く。

 そうでもしないと気が狂ってしまいそうな空気感なのだ。


 それに、ギルドから事前に聞いていた限りでは五階層はゴーレム系の魔物しか出現しないから、桜の“スキル”さえあればどうにかなる程度でしかなかった。

 しかし、これがこのトカゲの魔物であれば話は違ってくる。


 ――勝てるビジョンな全く浮かばない。


 桜の心中は絶望で埋め尽くされていた。


 智也たちとはさっき喧嘩してしまったし、こんなところまで助けに来てはくれないだろう。というか、それ以前にこの五階層まで辿り着いている探索者の絶対数は極少数であることを彼女は知っていた。


「しに、たくない……私は、死にたくないっ!!」


 叫び、そして地を蹴った。


 逃走は不可能。

 背を向けて逃げれば、すぐさま彼の剣は桜を貫く凶器となる。


 それが分かっているからこそ、取れる手段は戦って勝つ。

 それしかなかった。

 救援は望めないこの状況下で、少女は一人、化け物相手に剣を振る。


「ハァァァァァ!!」


 裂帛の気合いを乗せて、剣は風を切り、トカゲの魔物へと迫る。

 が、しかし……それが届くことはなかった。


 ギィン、と。

 剣と剣が衝突し、押し負けたのは桜であった。

 反動で体は仰け反り、無防備な状態を晒す。


 トカゲはニヤリ、とようやく生き物らしい表情を浮かべたかと思うと、追撃をするでもなく剣を下ろした。


「ッ――この!」


 舐められている。

 それを察して桜は感情的になる。

 絶対に剣を当ててやる、と躍起になってその剣筋は一振り、もう一振りと数を増すごとに雑になる。


 このままであれば、先に疲労し、死ぬのは少女の方だ。


 第三者の視点から見ていれば分かる。

 このトカゲ、超がつくサディストである。

 苦しみ、絶望し、もがき、無駄だと知りながらも必死の抵抗を続ける桜を見て、楽しんでいるのだ。


 そして、桜もそれに気がついた。

 自分はこのトカゲ野郎に遊ばれているのだと。


 屈辱に顔を歪ませ、桜はバックステップで距離を取る。

 対するトカゲはまたも、ニヤリと口角を大きく上げた。


「こいつ――ッ! 絶対に、殺してやるんだからっ!」


 肩で息をしながら、それでも桜の目にはいまだ闘気が灯っていた。


 再び疾駆してトカゲとの距離を詰め、そして、彼女は“スキル”を発動させる。


 それは桜にとっても切り札でもあり、そして頼れる相棒でもあった。


「――【断剣】」


 その名の通り、断ち切る剣。

 剣を持っていることが前提条件であるスキルで、いままでこのスキルを使って斬れなかったものは無かったほどだ。


 桜は一寸の迷いもなく、トカゲに【断剣】を使った剣を振り下ろし、そして――


 パキィン。

 折れたのは、桜の持つ剣の方だった。

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