母は強し

「お願い、ですか?」

「はい」


 唐突に放たれたそれに僕は困惑の色を隠せないでいた。

 しかし、それもほんの数秒。

 水穂さんの真剣味を帯びた視線に晒されて僕もつられるように自然と姿勢を正していた。


「あの子――冬華とパーティを組んでもらえないでしょうか」

「はぇ……?」


 水穂さんが言う「お願い」。

 想像もしていなかった要求に僕は素っ頓狂な声を上げた。


「あの子ってば、一人でダンジョンに行っているでしょう? でも、今回みたいなこともあるし、せめて誰かと一緒に行動して貰いたいの」


 愛娘の身を案じてのことだろう。

 白月さんへの心配、不安、そして僕に対しての申し訳ないという感情はその表情を通して伝わってくる。

 でも――


「でも僕が前に冬華さんをパーティに誘った時は断られてしまいましたし……彼女が僕とパーティを組むことを良しとするかどうか」


 それも、結構キツめの断り方だったような気がする。

 もう一回あんな断られ方をされたら僕のメンタルはズタボロになってしまうよ。


「それについては大丈夫。私がなんとかするわ」


 僕はやんわりとそれは無理じゃないか? と伝えたが、これをどう解釈したのか水穂さんは自信満々になんとかすると言い放った。


「いや、なんとかするって……一体どうやって――」


 そこまで言いかけてドタドタと地面を揺らす音に気がついた。

 慌ただしい足音だ。


「お母さんっ!」


 バンッ! という音を立てて荒々しくドアが開かれ、姿を見せたのは白月さんだった。


「あらあら、冬華。今はお客さんもいるのだから静かにしていなさい」

「お、お客さん?」


 頭上に疑問符を浮かべてこちらに視線を向けると白月さんは動きを止めた。

 ピシリとでも効果音がつきそうなほどに体は固まり、正気を取り戻すのに数秒を要した。


「――って、なんで貴方がいるんですかっ!」


 困惑による停止が解けると今度は予想もしなかったという驚愕からか彼女の口から怒声が降り注がれる。胡乱な表情で俺を睨みつけ、拳にも力がこもっているようにも見える。


 どうやら直近の記憶が混濁しているみたいでついさっきまでのことを思い出せていないようだ。


 白月さんの声に、当事者である僕よりも母親である水穂さんが先に反応を示した。


「冬華、柊木さんはわざわざあなたをここまで運んできてくれたのよ? 感謝することはあっても怒ることなんてないんじゃないかしら?」


 水穂さんの口から出た言葉には自らの娘に対する少しばかりの怒気がこもっていた。


 これには白月さんも今まで見たことがないまでに狼狽え、動揺する。


「まずは座りなさいな」


 一切の反論は許さないとばかりに厳かに発せられたその一言に白月さんは静かに従う。

 ソファに座る僕と対面して椅子に腰掛け、水穂さんの顔色を伺うと次に僕の顔を凝視し始めた。


 しばらくの間沈黙が続き、数秒。白月さんは何かを思い出したかのように「あ……っ!」と声をあげた。


「思い出した?」

「う、うん……」

「それならなにか、柊木さんに言うことがあるでしょう?」


 さっきまではすっかり忘れてしまっていた記憶を取り戻した白月さんはしおらしくなって俯き、水穂さんの言葉を聞き入れると申し訳なさそうに対面に座る僕へ向かって勢いよく頭を下げた。


「え……と、ありがとうございます。わざわざここまで運んできて下さって。あと、怒鳴ってしまってすみませんでした」

「え……ああいや、別に僕は気にしてないから……」


 そう返した僕だったが、それでも何度も謝り倒してくる白月さんをなんとか宥めて椅子に座らせる。


 嫌な沈黙がまたもや続く。

 が、水穂さんがそれを破壊した。


「冬華、お母さん言ったわよね? 探索者になることは許すけど、無茶なことは絶対にしないでって……」

「うん……」

「もし破ったら辞めさせるって約束もしたわよね?」


 水穂さんの怒涛の言葉責めに白月さんは意気消沈して終始押され気味で小さく縮こまっているだけ。

 それでも、探索者を辞めさせるということだけは許容出来なかったのか、若干涙目になりながら口を開く。


「……うん。で、でも私はっ!」


 そこまで言って、白月さんは口を噤んだ。自分が母と結んだ約束を破って危険を冒したということをよく理解していたからこその反応だ。


 罪の意識に苛まれ、それでも探索者をやめることだけはしたくない。

 彼女の頭の中をそれだけが支配していた。

 そんな中で今度は水穂さんが優しげな笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。


「今回だけ……今回だけは不問にするわ。でも、そのかわり私から新しく条件を追加します!」

「え……?」


 こんなにアッサリと許してくれるとは思ってもいなかったのだろう。

 最悪すぐにでも探索者を辞めさせられるだろうとさえ考えていた彼女は戸惑いながらも即答でその条件を承諾した。が、彼女にとってそれは悪手とも言えた。


「それじゃあ冬華、貴女は明日からこの柊木君と一緒にダンジョンに行きなさい」


「それが私から出す唯一の条件よ!」とそれだけ言い残すと満足げな表情を浮かべて水穂さんは俺たちを残して席を立った。


「はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 少しの静寂の後、呆然とする僕を他所に一つの叫び声が響き渡ったのは言うまでもないことだろう。

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