上位種

「グオオォォォァァ!!」


 獣じみた咆哮が僕たちの耳を劈く。ゴブリンの軍勢を押し退けて筋骨隆々の一際大きな魔物が現れた。ゴブリンと同種ではあるのだろうが、その体の構造があまりにも違いすぎる。


 通常のゴブリンとは比較にならないほどの大きな黒みがかった体躯、ギラついた牙、隆起した筋肉、身の丈ほどの大剣、そしてその頭に生えた一本の角。


 口からはボタボタと涎を垂れ流し、眼光は紅く怪しく輝いて吐息は異常なまでに荒い。


 恐怖を煽るその形相に睨まれて僕たちは茫然自失したまま体が震えて動かない。これは決して武者震いなんかじゃない。圧倒的なまでの恐怖による震え、硬直だ。


 でも、このままじゃ何もできないまま死んでいく。熊野さんの救援を待とうにも時間が足りな過ぎる。


 戦闘開始から体感時間で約五分。あと五分の間、この化け物を足止めできるか?


 普通に考えれば無理。不可能だ。でも……


 ――やるしかないんだ!


 震える下半身に喝を入れる。


「こっち来いやクソゴブリンがぁぁぁ!!」


 普段は滅多に出さない怒号。テンションがおかしいまでに上がっていく。そのテンションに比例して槍を握る力もまた上がっていく。


 僕を路傍に転がる石を見るかのような目で見つめる黒ゴブリンの意識を全て僕へと集中させる。その隙に源と白月さんが逃げる時間を稼ごうという魂胆だったのだが……


「うぉぉぉぉぉ!!」


 源は僕の行動の意図に気づかなかったのか、大槌を握って黒ゴブリンに突っ込んでいく。

 驚きの声を上げる僕だったが、今更彼を止めることはできない。


 焦りながら僕は源の後を追う。スピードは源よりも速い自信はあるが、それでも追いつくことはできず、視線を僕から源へと移した黒ゴブリンはニタリと不気味な笑みを浮かべ、肉厚で重厚な大剣を握った。


「ゲヒッ」


 嘲笑と共に息を吹いて、木の棒でも持っているかのように軽々とその大剣を振るった。


 源はハンマーを振るおうとした無防備な態勢でその攻撃を諸に受けてしまう。


 だが、黒ゴブリンは武器の扱いはそこまで上手くはないのか切り裂かれることはなかったが、有り余るパワーで薙ぎ払われた一撃は相当な威力を誇り、源はものすごい勢いでダンジョンの壁に衝突。


 体は痙攣するばかりで立ち上がる様子はない。それどころか気を失って、さらに体中から止めどなく出血。だが、今はそれを治してやれる手段も時間もない。


 僕にできるのはあくまでも時間稼ぎ。


「白月さん、僕がコイツを足止めする! その隙に源を連れて離れてて!!」


「は、はい!」


 さっきまでは非協力的な態度だった白月さんもこの事態ではそんなことも言っていられないようで素直に従ってくれた。


 これで僕はコイツにだけ集中できる。でもこのゴブリンの視線は源とそれを担いで後退する白月さんを捉えていた。


「こっちを、向け!!」


 至る所に散乱した魔石を一つ拾い上げ、レベルアップによって上昇した身体能力でもって黒ゴブリンの顔面に投げつける。


 とんでもない勢いで飛んで行った魔石は狙い通り顔面を直撃。ダメージとしてはほとんどないようなもので、少しの傷もできたようには見えない。しかし、僕にヘイトを集めるという意味では大成功。


 黒ゴブリンの視線は僕へと移された。その瞳には苛立ちの色がありありと映し出されている。


 更に僕へのヘイトを集めるために槍をブンブンと振って兎に角目立つように仕向ける。すると黒ゴブリンの意識は完全に僕へと向けられた。それはいいのだが、イライラが加速した黒ゴブリンは大剣を手に僕へ歩みを進めてくるではないか。


「ヤッバ……」


 あれだけ挑発しておいてなんだが、僕がコイツに勝てるビジョンは全く浮かんでいない。いや、それどころか今の僕とコイツの戦力差では一分時間を稼ぐのが精一杯ってところだろうか。


 ――スキルを使わなければ。


 僕が、もう既に手に入れているスキル【魔魂簒奪】。その能力の一端であるスライムの力を使えばあるいは……


 けれど、それを使ったとしてその後はどうなる? 色々と質面責めにされて、探索者にはなれなくなるかも知れない。最悪無断でダンジョンに入ったのがバレて捕まるなんて事も無いとは言い切れない。


 でも……


「今やらなきゃいつやるんだって話だよな」


 死んじまったら元も子もない。何もしないで殺されるくらいなら、全部やり切った後、警察にでもなんでも捕まった方がマシだ。


「もう、足止めなんて言わない。時間稼ぎなんてセコいことも言わない。僕が、お前を倒してやる!!」


 気合十分。体は万全。心は熱く、頭は冷静。槍には一片の欠けもなく、スキルの発動に躊躇はない。


「死ぬ覚悟は充分か?」


 僕は問いかける。その言葉の意味を理解していなくとも、魔物は本能で感じ取る。


「なら、始めよう。僕たちの殺し合い《たたかい》を!」

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