絶望の戦況

「な、んだよ……あれ」


 困惑、恐れそして嫌悪の混じった声。それを発したのは凶悪な顔面を歪ませた源だった。


 クールな印象を受ける白月さんも流石にこれだけの魔物の群れには恐怖を感じたのか顔色が青白く変色。そしてそれは僕も同様。四体のゴブリンと相対したことはあったが、この数は素人目でも異常と分かる。恐らく百とはいかずとも数十体のゴブリンの群れが僕たちに迫って来ている。


「今すぐここから撤退を。あれは私が相手をします」


 しかし熊野さんはいたって冷静。声を荒げるでもなく、静かに撤退命令を下す。手には既に剣が握られ、気合い、気迫がその体に迸る。


 目を鋭く細めて異形の怪物たちを見据える。


「早くして下さい。……あの魔物の群れを相手に貴方達を守りながら戦える余裕は私にもありませんよ」


 険しい顔で僕たちに顔を向けることなく放たれた言葉からは若干の苛立ちを感じ取れた。

 ゴクリと生唾を飲む音が妙に生々しく、鮮明に聞こえる。


「熊野さん……それは無理そうですよ」


 熊野さんの言葉に従って直ぐにでもここから離れたくて仕方がなかった。でも、それも不可能な状況になってしまったのだから仕方がない。


「――後ろからも、来てるみたいです」


 背後からも大量の足音。


「援軍は、どれくらいで来るんですか?」


 援軍さえ到着すればこの危機的状況も覆る。それまで時間稼ぎが出来ればいい。そう思っての質問。しかしそれは僕たちを地獄へと突き放した。


「援軍は……来れません。このダンジョン内で魔物の大量発生が起こっているらしく、人員が圧倒的に足りません。ここは自分たちの力だけで切り抜ける必要があります」


 告げられたのは死の宣告。合計で百を超えるだろう魔物の群れを僕たち四人で倒さなければいけないという悪夢。だが、それをやるしか生きる道はない。


 僕は、僕たちは覚悟を決めなければいけない。


「僕は……やりますよ。僕はまだ死なない、死ねない、死にたくない」


「俺だってそうだ。あいつを助けてやるまで俺は死ぬわけにはいかねぇ!」


 源は大槌を担いで僕と肩を並べる。その手が、その体が微弱な震えを纏いながらも不敵な笑みを浮かべる彼はとても勇敢で頼りになることこの上ない。


「私だって、やらなきゃいけないことがあるんです。あんな化け物なんかに殺されるわけにはいかない」


 これまで口が塞がったままだった白月さんも自身の覚悟を口にする。


 これで役者は揃った。


「熊野さん、僕たちに指示をください。死なないための、生き残るための道しるべを示してください」


 僕らは揃って熊野さんへ視線を集める。彼の言う通りに動くのが一番の選択だと分かっているから。信頼と尊敬、そして願いを込めて。


「……わかりました。それじゃあ私は前方の敵を相手します。皆さんは後方の敵に集中してください」


 溜に溜めた返答はとてもシンプル。それには疑問を抱かずにはいられなかったが――


「あとは、そうですね……柊木さんさ全体を見て指示を出しながら遊撃。藤堂さんは前衛でタンク。後ろに敵を通さないでください。白月さんは弓でサポート。柊木さんが見えていないところを補ってあげて下さい。そして十分。十分持たせてくれれば、あとは私が全部片付けます」


 彼の瞳が雄弁に語る。信じろ、さすればお前たちを絶対に助けてみせようと。


 だから僕たちは迷いも、恐れもなくそれに従う。


 剣を槍を槌を弓を手に僕たちは、人生最大にピンチに立ち向かう。吐き気を催すほどの魔物の軍勢と、今戦いの幕が切って落とされた。


「うぉぉぉぉぉ!!」


 雄叫び。空気を振動させんとばかりの咆哮と共に魔物の軍勢に単身突っ込んでいく熊野さん。対して僕たちは先制パンチに白月さんの遠距離攻撃で牽制。怯んだ隙に源とそして僕が特攻をかます。


 まずは源が大槌を盛大に振り回してゴブリン群れを吹き飛ばす。技術も何もない乱雑に振り回しただけの攻撃はしかし逃げる隙間もないゴブリンたちには避けることも出来ず直撃。肉が潰れ、骨が粉砕される音が僕の鼓膜を刺激。不快感に苛まれるが、止まるわけにはいかない。


 槍を手に源に続く僕は何としても前進しようとするゴブリン達をひたすらに突き殺してくい。肉を裂く感覚が嘔吐感を誘い、死体と化したゴブリンたちは黒い靄となって消えていく。


 死体が自動で無くなっていくのは僕たちとしても丁度いい。靄が晴れると地面の所々に魔石やドロップアイテムが散乱しているがいまはそれを拾う暇はない。


 ただただ魔物をゴブリンを殺すことに意識を集中。槍を突き、払い、殴る。殺して殺して殺して殺す。無心になって攻撃を続ける。そしてゴブリンを殺すたびに体が熱を持ち始める。


「もしかして……レベルアップ、か?」


 まあ、今はそんなのはどうでもいい。熱が引くと、体がいつもより軽く感じる。それだけじゃない。槍を持ったその手から感じる力がさっきまでとまるで違う。ゴブリンを殺すまでの動きがどんどんスムーズになっていく。


 それは源と白月さんも同様で、次々と迫り来るゴブリンたちをバッタバッタと薙ぎ払っていく。


「これなら、もしかして……」


 そんな希望を抱いた時だった。僕たちにさらなる絶望が襲い掛かってきたのは。

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