道場と試験

カァンカンッと木と木がぶつかり合う乾いた音が鳴り響く。

 場所はいかにも稽古場、といったような古風な作りの道場。


 木で出来た三メートルほどの槍を持って汗だくになった僕と対面するのは対照的に木刀を手に涼しい顔で佇む御老人。その体をもう六十を超えるとは思えないほどに鍛え込まれていた。


「ふむ……少しは打ち合えるようになったな」


「あ、ありがとうございます……」


 汗が信じられないほど全身の毛穴から噴き出してその身に纏った真っ白な道着を濡らす。


 剣術三倍段という言葉を知っているだろうか。槍など長柄武器を相手にするためには剣の使い手は三倍の技量が必要である、という意味。


 つまりこの人は少なくとも僕の三倍の強さを持っているということだ。


「今日はここまで。君も、もう上がっていいぞ」


 スッと木刀を下ろしてそう告げる御老人――師範に深く頭を下げる。


 明日は試験当日。

 この一ヶ月の間、毎日のようにこの道場で

 世話になった。まだ辞めるわけではないが、どうしても感謝を伝えたかった。


「今日までありがとうございました、師範」


 一月前と比べると僕の戦闘力は飛躍的に上昇した。あの日ダンジョンに入って初めて槍を触った時と比べると手に持った感じがまるで違う。それだけで成長したと実感できる。


「……明日、頑張りなさい」


 師範は立ち合いの時とは打って変わって優しげに目を細めて激励。迂闊にも涙腺が緩む。

 ダンジョンに挑む為、強くしてほしいと頼み込んで入門したこの道場での稽古。辛いことばかりの、というか辛いことしかない一月だったが、その時間は僕を強くしてくれた。


 ただ力が強くなっただけじゃない。心も一緒に強くしてもらった。


 これだけしてもらって試験に落ちでもしたら師範に合わせる顔がないな。


「肩に力が入りすぎているぞ。いつもとと同じ。緊張して余計な力が入ると本来の動きができなくなる。リラックスだ」


 師範の的確なアドバイス。いつもそうだ。この人は戦いとなれば氷のように冷たくなるくせにそれ以外となればこうやって好好爺のような人懐っこい笑みで話しかけてくる。


「はい。分かってます。合格が決まったらまた来ます」


 暗に合格しなければもう来ないという僕の言にしかし彼はニコリと笑って手を振るのみ。


「ああ、気ぃつけてな」


 二、三言葉を交わして夏休みの一ヶ月、ほとんどを過ごした道場を出る。その背中は一月前までとは別物。自信に満ち溢れた雰囲気を醸し出していた。


 ◆


 翌日、早朝六時。

 いつもの日課となったランニングと素振りを終えると身支度を始める。


 事前に持ってくるよう言われている物はそこまで多くはない。動きやすい服装と履歴書、身分証明書、エントリーシート、印鑑といったところか。どこにでもあるバイトの面接とほとんど変わりはないだろう。変わっているところといえば動きやすい服装をしてくる、ということくらい。


 前もって用意はしてあったのでシャワーを浴びて、動きやすい服装に着替えれば準備は完了。


 会場は東京都内ではあるが、徒歩で行ける距離ではないから車を持っていない僕の移動手段は必然的に電車になるわけで、すし詰め状態になった車内になんとか入り込んだはいいものの居心地は大変悪い。


 エアコンは起動しているようだが、夏真っ只中というのもあって暑苦しくてしかたない。

 車内に充満する熱気に耐えること三十分。扉が開くと皆、我先にと出ようとする。僕も人の波に押されながらなんとか電車を出て駅から徒歩数分、目的地であった都内の国立大学に到着。


 受付でエントリーシートと身分証明証を提示すると、学内の講堂までに通された。もう既に結構な人が集まっていた。


 一番若そうなのが多分僕と同じくらいの歳の集団。五、六人で固まって駄弁ってる。逆に一番年上っぽい人は五十歳くらいのおじさん。体を鍛えているようには見えないけど大丈夫だろうか。その他にも続々と講堂に人が集まってくるのだが見た限り強そうだ、と感じられるような人がいない。


 まあ、僕だって外見を見ただけでその人がどれくらい強いかなんて判断ができるほど鍛えているわけではないが、明らかに筋肉が付いていないような人が思いの外多いのだ。


 そうやって周囲の観察に徹しているといつのまにか行動の席のほとんどが埋まっていた。


 知り合いと一緒に来ている者が多いのかガヤガヤと会話の音が絶え間なく聞こえてくる。

 しかし次に入ってきた男を見て皆絶句。一瞬にしてシンと静まりかえった。


 男は筋骨隆々で服の上からもその鍛え抜かれた筋肉が浮き出ているのがわかった。だが、彼の特徴はそれだけではなかった。顔がめちゃくちゃ怖いのだ。目が極限まで釣り上がり顔にはいくつもの傷跡。不覚にも僕もちょっとビビってしまった。


 しばらくの間この静寂は続き、それが破られたのは数分後。黒服を着た軍人のような人が現れたときだった。


「えー、皆さまおはようございます。本日試験官を務めます、自衛隊所属の熊野です。色々と気になることはあるでしょうが時間もないことですし早速説明から入らせていただきます。まずはお手元にあります資料の一ページをご覧ください。こちらは本日の日程となっております。午前中は皆様にここでダンジョンについての講義を受けてもらって、午後から体力試験。そして、実際にダンジョンに入ってもらい、最後に面接を受けてもらうという流れになりますが」


 何か質問はありますか、という熊野さんの問いに一人、静かに手を挙げた人物がいた。

 あの筋肉のすごい人だ。


「ダンジョンに潜るっていっても、ここにいるのは素人ばっかだけど大丈夫なのか?」


 重低音の声が響く。その体と相まって恐ろしさが更に増幅。彼の左右に座っている人達は怖すぎて震えてしまっている。言っていることは良いの人のそれなんだけど。


「ええ、安全の為に我々自衛官が見回っているので。今回ダンジョンに入るのはあくまでもダンジョン、というのがどういった場所なのか。それを肌で感じて頂くことが目的ですので。その他に質問は……ないようですね。それではこれよりダンジョンに関する講義を始めさせていただきます」

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