3 早朝の新世界



 5年後――

 平成7年(西暦1995年) 3月20日

 午前6時18分


 大阪府大阪市浪速区

 JR新今宮駅付近



 昨年の大阪新空港オープンを無事に迎えた関西だったが、今年はそこはかとなく最悪な年はじめを迎えていた。

 1月17日。マグニチュード7の巨大地震が、兵庫県を襲ったからだ。

 後に阪神淡路大震災と呼ばれることとなるこの地震で、風光明媚な近代都市、神戸が壊滅状態に陥った。

 横倒しになった高速道路、大通りを塞ぐビル、焼き尽くされる住宅街。

 毎日ブラウン管から、街の光と影がレポーターの声と共に、茶の間に届けられた。


 予期された世紀末へのカウントダウンも相まって、この国に漂う閉塞感は鉛色のソレをはるかに塗りつぶす程の曇天。

 否。もしくは暗く汚い、浪速の街の風景が見せる、質の悪い幻かもしれない。



 JR新今宮駅前の交差点にある広大な敷地。

 長いこと市営バスの車庫として使われた市電車両基地跡だ。

 ミナミ地区のシンボルとなる巨大娯楽施設と、温泉のテーマパークを建設しているのだが、その傍に夜明け前から停車する1台の車があった。


 黒のニッサン スカイラインGT-R BNR32。


 攻撃的なフロントをちらつかせる、スタイリッシュなスポーツカーの運転席に、若い男が座っていた。

 スーツ姿の彼はけだるそうに、ハンドルにもたれかかり、前をぼうっと見ている。


 「どうだ、様子は」

 「全然、動きはないですね…守屋警部」


 突然の助手席を開けて乗り込んできた、これまたスーツ姿の中年の男は、そう問いかけた。

 右目下を走る傷― スカーフェイスが特徴的だ。


 「まさか、張り込んでるのバレちゃいましたかね?」

 「すったもんだがありました、なんて呑気なことは言ってられないぞ。国木田。

  タレコミ屋の情報が正しければ、今日の夜明け前、この大阪新世界で妖怪麻薬の取引が行われるはずだ。

  震災のどさくさにまぎれ、大阪港に水揚げされた、5キロ相当のメタンマンドレイクがな」


 この2人は守屋もりや警部と国木田くにきだ刑事。

 共に警察庁特殊犯罪対策係、通称トクハンの捜査員だ。

 彼らは人間世界の裏側で起きる事件を捜査する、専門の警察官。つまり、妖怪や魔術に関する、もしくは、その関与が疑われる犯罪が専門ということだ。



 「ですね。しかも、この大阪での取引が最初。ここで食い止めないと大変なことになりますもんね。

  …でも、連休の中日だってのに、街はいやに静かですね」

 「だな。震災から2か月は経過したが、まだ経済も不安定。交通網だってちゃんと復旧したとは言い難い。

  現に新幹線だって、新大阪と姫路の全面開通は来月っていうからな」

 「まあ、そうっすけど」

 「今回の捜査には、大阪府警にも協力を仰いで、4課から数人借りてる状況だ。

  空振りでした、じゃあ済まないぜ」


 などと話をしていると。


 「ん?」


 2人の前に白の高級セダンが一台、停車した。

 和歌山ナンバーのそれは、エンジンを切ると沈黙。

 しかし、守屋警部は見逃さなかった。


 「間違いない。ナンバーからしても、あの車だな」

 「了解」


 国木田刑事は、車内の無線を引っ張った。


 「待機中の全捜査員に告ぐ。

  対象が乗ってると思しき車両が、地下鉄動物園前駅付近に現れた。

  和歌山ナンバー、白のトヨタ セルシオ。至急警戒せよ」


 ――見えてますよ。

   トクハンだか何だか知りまへんけど、ここは大阪や。

   他所モンは、そこで大人しくしといてください。


 無線で答えた声は、いやに尖っている。


 「府警のマル暴、完全に指揮権は自分にあるって感じの振る舞いですよね。

  頭にくる」

 「誰も、自分のシマを荒らされて気持ちいい奴はいない。上から命令されれば尚更だ。

  それに、これから私たちが押さえるブツが、どれだけ危険か言ったところで、馬の耳に念仏ってな」


 ふうっと、ため息を吐いた国木田に、守屋は言う。

 

 「気ィ抜くなよ、国木田。

  マンドレイクは、その悲鳴を聞いただけで死に至る、魔法界では最強の薬草だ。

  単なる押収で、大量の犠牲者は出せん。慎重に行くぞ」

 「了解!」

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