消去刑

@kagakuma

消去刑


「主文 被告人を十年の記憶消去に処す」


裁判長は淡々とした口調で判決文を読み上げた。私はほっと胸をなでおろした。判決理由が長々と述べられているが、私の耳には全く入ってこなかった。


私は過ちを犯した。覚せい剤に手を出してしまったのだ。俳優として活躍し、テレビや映画にも定期的に出ていて名前は売れていただろう。しかしプライベートはめちゃくちゃで、正直弱り切っていた。しかし、いくら弱っていたとはいえ、やっていいことと悪いことがある。


記憶消去刑と言うのは、つい最近できた新しい刑罰だ。普通なら十年間牢屋に閉じ込められて強制労働をさせられていたところ、全ての人類から過去十年分だけ自分に関する記憶を抹消するのだ。いわゆる「被害者のいない犯罪」だったり、賠償が十分に行われていた場合に、被告人が罪を認めて十分に反省し「人生をやり直したい」という強い意志が認められた場合に処せられる。


私は薬物で捕まったので、病院でしばらく治療を受けた。それが十分だと判断されると、消去刑が実行されることになった。


消去刑を施すのは簡単だ。原理はよくわからないが、頭に機械を取り付けてウィーンと1分ほど音がすると、全人類の自分に関する記憶が全て消えている。自分の記憶はきちんとある。そうでなければ、また同じ過ちを繰り返すだろう。他の人たちの方が、私の罪を忘れてくれるのだ。


機械の音が鳴り終わると、刑務官が機械を取り外した。


「えー、滝真一さんでお間違いないですね?」


「はい」


どうやらこの刑務官も、私がなぜここにいるのか直感的にはわからないらしい。予め用意されていたであろう文書を棒読みで読み上げた。


「あなたはこれで記憶消去刑を終えました。退出して新しい人生を歩んでください」


私は刑務所の外に出た。気持ちのいい青空が広がっている。人生をやり直すには最高の日だ。


まっすぐに家に帰ると、妻が待ってくれていた。二十年以上、舞台俳優時代からの連れ合いだ。


「あら、おかえりなさい。今日のお稽古は早かったの?」


「ああ、いや、ちょっと体調が悪くてな……」


妻の記憶も舞台俳優時代に戻っているらしい。怒ったり悲しんだりしている様子はない。私が警察に連行された日、妻は大声をあげて泣いていた。本当に申し訳ないと言う気持ちになったが、今はそのことすら忘れているようだ。


私は夜に出かけると言って、行きつけのバーに寄ってみた。常連客の様子を見ていると、やはり私に関する記憶が十年間存在しないようだ。捕まった時はテレビで大々的に報道されただろうに、罪そのものがなくなったかのようだ。これならやり直せる。私は自信を持った。


翌日、すぐに片っ端からオーディションに応募した。いくつか返答があり、得意の演技を見せることになった。審査員は私のことを知らない。長い下積みを経て芸能界に揉まれた私の洗練された演技を見れば、審査員は腰を抜かすだろう。しかし、審査員の目は厳しかった。


「うーん、今時そう言うのは求められてないんだよ。十年前ならもしかしたら、採用してたかもしれないんだけどね……。それにもうこの歳でしょ。それで初オーディション? 第二の人生ってやつ? 芸能界なんてやめといた方がいいよ。君が思ってるより厳しいから」


私はそのコメントに違和感を覚えたが、気を取り直して二つ目のオーディションに臨んだ。しかし、そこでも全く同じことを言われた。しかもこんなコメントまでついてきた。


「君と似たような人で、もっと伸びしろのある人が居たんだよ。ここ二、三年見かけないけど」


三つ目も、四つ目も同じだった。がっくりと肩を落として帰宅すると、何も知らない妻が興奮した様子でテレビを見ていた。


「ねえ、ねえ、あなた、いつの間にテレビに出てたの?」


見ると、二年前のドラマが再放送されていた。この時は脇役だが名前のある役で出たのだった。そうか、この時の記憶も妻にはないのだった。


「でもなんか変ね。舞台に出ているあなたとは全く違う気がするの。正直、すごく役に馴染んでいると言うか。別人かしら。あら、別人ね、芸名が違うもの」


妻が新聞のラテ欄を指差して言った。そこに記されていた名前は、事務所に所属してドラマデビューした時につけた三年前の芸名だった。


私は怖くなって昔の舞台仲間や友人を片っ端から当たった。彼らが口々に言うのは「なんか急に老けたんじゃない?」「最近スレたよな。疲れてるのか?」というセリフだった。


世界は私が罪を犯す前、十年前に戻っている。しかし私だけは、十年余計に歳を取っている。私が十年前に戻れるのではないのだ。世界の方が、私を忘れたのだ。


ドラマに出たことも、賞を取ったことも、大ヒット映画に出たことも、私の業績は全て、忘れ去られている。いや、私自身がいなかったことにされている。真面目に努力していた頃のことだって全てきれいさっぱり消えてしまった。そして、テレビで私をみた人は皆、その人を別人だと思って見ている。


これから私が活躍してもう一度テレビに出られたとしても、そこに映っている私は、もしかしたら「私自身」だと分かってもらえないのではないか。


これではこの世に私が存在しないのと同じだ。これが再スタートと言う意味なのか。私は途方に暮れて、怪しい路地裏をうろつき始めた。そうすると、一人の男が声をかけてきた。


「なあ、おっさん、あんた疲れてるだろ。いいもん知ってるぜ」


どこかで聞いたセリフだ。私はそれを聞いて、心が揺れた。

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