第9話 受難 人には裏表がある

そうして二人が血の滲むような修行を始めた一方で、アンリはひたすらポカポカとした陽気に当てられて建設途中の神殿でゴロゴロしていた。

「いやあ、まさか一式別の場所で一旦作っておいて魔法で移動させるなんてよく考えたものだよ。基礎工事さえしてしまえば後は載せるだけ。そう、ケーキみたいにね。」

ホワーンとした表情で寝転がりながら神殿を満喫するアンリを、ドゥミは無表情で見つめていた。

「この工法ならおそらく間に合うかと、以前から試算はしていましたが、やはり正解でした。このまま先ほど視察していただいた場所に移設します。30時間ほどで完了する見込みです。…というか、もう威厳ある神のふりをするのはやめたんですね。こっちも敬語使うのやめましょうか?」

あまりのだらけっぷりと昨日のおやつの件で怒りが爆発寸前なドゥミであったが、あまり怒らせないほうがいいというのも分かっていた。『怒らせてあげている』面もあることに気がつかないほど彼女も愚かではなかった。

それは周知のことだったからだ。本物の神なら皆そうだからだ。

神は、人を救わない。ただ自分の我儘を通すだけである。人は神の理不尽で怒りに触れないようにひたすら恐れ、首を垂れるしかない。アンリの本来の力は、こんなものではない、と予測していたドゥミはその最悪の事態は避けたかった。

しかし、

案外御しやすいものだな、と実際に会ってみて彼女は思った。絶対に超えてはならない線を超えない限り、安全なのだ。それにきちんと神殿が整えばあの二柱の神は我々に膨大な利益をもたらしてくれる。そのためなら姉が犠牲になったという運命も受け入れるに足るのだ。願わくばもう少し常識的であって欲しかったが。

「ん?構わないよ?それじゃ僕も普段通りに喋るとしよう。結構疲れるんだよね、あれさ。」

そういうとアンリはすっと立ち上がった。

「さあ、メリハリの時間だ。僕も君に聞きたいことがあってね。何、どうせ答えることになるさ、夜になればね。」


再び戻ってフェリックス&ソルのサイド。

フェリックスは、魔法を習得しようと、初歩の初歩の魔法の練習を行っていた。

「はあー!」

手に力を込め、マナを感じ取ろうとするフェリックス。しかしうんともすんとも反応がない。なにせ現世では彼は科学至上主義で、宗教の存在は認めてもその奇跡やらは一切認めなかった筋金入りのエリート高校生だったのだから、当然そんな力など使おうとしたこともないに決まっている。そこが同じ立場にいたはずのアンリのおかしいところでもあるのだが。

「はあ、全くダメですね。こんなに筋の悪い ヒトは初めてですわ。私もそこまで教えたことはないんですけれども。」

ソルが呆れた顔で言う。その手に持ったハリセンも、何か言いたげなほど主張してきている。フェリックスは色々と彼女を失望させたくなかったので、再び手に力を込める。

「これじゃあとても身につかないですね。もっと自然に体の中のマナを動かすところから始めた方がいいかもしれません。貴神のマナの流れは例えると、そうですね、沼。」

そういってピンと指を立てる。

ソレイユスルは案外、いや思っていた通りスパルタ&毒舌なのかもしれない。っとフェリックスは思った。

しかし、彼女の事情はこうであった。”後になればいつでも自分の心を読めるのだから、ここは他人にしてきたように飾らず素のままで毒を吐いた方がいい”。

「マナなんて今まで一度も使ったことないし、あるとも思ったことなかったから、仕方ないだろ!」

フェリックスは顔を赤くして、思わず反駁する。

「あらあら、アンリ様からフェリックス様は学問の才能もあって努力家でもあると伺っておりますよ?もう心が折れたのですか?」

怒りつつ内心は泣きそうになっているフェリックスの心を文字通り見透かしつつ、ソルはこう言う。彼女は、少々人のことを考えずに発言してしまう癖があるのである。

「見た通りだよ!あー、悪かったな!才能ないらしくて。こっちだってもっといい先生がいればできるようになるさ!お前なんか嫌いだよ。」

フェリックスも思わずそう言ってしまう。本心ではないが、そう言いたい気分ではあった。思わずフェリックスの体から怒りのオーラがほとばしる。

「も、申し訳ありません、神様。つい出過ぎた真似をしてしまいました…」

そこでようやく相手が神であることを思い出したソルはハッとしたのか、すぐに頭を下げて謝ってきた。

「許す。だから次からは初心者にもわかりやすく頼む。」

「ありがとうございます。今、一瞬でしたが凄まじいマナが出ていました。あの感じをつかめば大丈夫かと思います。」

偶然だが、怒りは魔法を扱う上で重要な要素で、マナの制御には欠かせない。情動と魔法行使は密接に関係している。この怒りで何かを掴めたらしいフェリックスは、今度はじっとしたままウンウンと唸っている。

「?…神様?」

ソルも突然静かになったフェリックスの振る舞いにきょとんとしている。

「ふむ、こんな感じかな?」

そう言うと同時に、フェリックスの全身からブワッとオーラが出る。

「おー、まずは第一歩ですね。そうやって体からマナを放出するだけと言うのは初歩の中の初歩ですが、大事なことですよ。」

ソルは微笑みながらそう言っているが、実のところこの程度は才能があれば教えられずとも勝手に出来るようになるので、数学で言えば足し算にも満たないことなのだ。

『まぁ、この程度ができるようになっても魔法使いになるには後10年はかかるでしょうから、今回はアンリ様からのオススメのコレで乗り切るとしましょう。本当ならしっかりと訓練を積むのが最善なのですが。』

「!?…」

突然心の中に声が響く。いや、自分が勝手に考えている、というのが正しいか。フェリックスはこれを、テレパシーというやつだとすぐさま理解した。

ソルとの繋がりによる心の伝達。

「今、ソルの心の声が聞こえた気がするんだが、アンリから何かアドバイスをもらったのか?」

フェリックスは驚きつつ、ソルに確認を取る。

『そんな、魔法防御じゃダメなの!?ああどうしよ、どうしよ。昨日アレやコレや考えてたのがばれるんじゃ…』

またも心の声が響く。

「アレやコレやって何d…」

フェリックスが言い終わらないうちにハリセンが飛んできた。

「あいったあ!」

情けない声で悲鳴をあげるフェリックス。すうっ、と何かが遠ざかっていく感じがした。どうやら太い繋がりを無理やり発散させたらしい。

「はぁ、はぁ、はあ。」

ソルはいきなり奮ったせいか思わず息が詰まったようだ。顔が赤かった。

「そんな、だめ、耐えられないわ…」

また身悶えしている。フェリックスはアンリと違っていきなり首にチョップを入れたりはしないが、そっと肩に手を載せ、こう言ったりはした。

「落ち着いてください。」

「落ち着いてますよ!」

そう叫ぶと、フェリックスからばっと距離を取るソル。まだハアハアと息が荒い。

「はあ、でも、これで…一気に解決するかもしれません。魔法の使い方が!」


それがまた面倒になるとはこの時は知らない二人であった。また場面は変わって、アンリの方に移る。

もうすっかり日が沈みそうになっている状況で、あいも変わらずだらけているアンリと、魔法を使って忙しそうに神殿を移設しているドゥミの二人は互いに言葉を交わすことなく、その間には沈黙が漂っていた。しかし、その沈黙をアンリが破る。

「もうそろそろ日が暮れるね。君も本当の狙いを言うなら今のうちだよ。怖い思いはしたくないだろう?」

なぜか口角を上げてニヤッと笑いながらそう言うアンリの顔は、ドゥミにとっては不気味ささえ感じられた。

しかし、彼女には例え神の力が相手でも自分の魔法だけでどうにかできるという自信があった。そして何より今の二人の立場からすればグランルージュ家に嫌われるような下手はできないはずだ。そう考えたドゥミは、シラを切ることにした。

「別に何も隠していることなんてありませんよ。この試練自体は昔から良く行われているものですから。」

「ふーん、そうかい。なら仕方ないね。遠慮なくアレを使わせてもらうことにするよ。使い勝手はダントツの一位のこの能力をさ。」

そういうとアンリはバタッと横になった。ドゥミが慌てて様子を見に走ると、なんと寝ている。一瞬で。

『ふふふ、どう?便利でしょ?便利でしょ?この力の前じゃ隠し事なんて無意味なんだ。契約せずとも、君の全ては今だけ、僕の物だ。』

ドゥミの頭に声が響く。いや、違う。彼女ではない誰かの手によって彼女が、そう考えた、考えさせられたのだ。

「これが天啓、神が使える心と心を直接つなぐ会話術ですか。」

『そう、不思議な感じだろう?自分が考えていることなのに、まるでそうじゃない。』

そういうアンリの声とともにドゥミの視界も歪み始めた。

「これは…夢かな?」

『そうとも。』

ドゥミにははっきりと分かった。自分は夢を見ているのだと。にも関わらず自分は今起きていて、さらにさっきからなんの変哲のない風景も目に映っている。

しかし、その上に薄皮一枚被せたように、夢も、また同時にそこに映し出されているのだ。

『さあ、再び質問するよ、君の真の狙いはなんだい?』

アンリの声が響く。ドゥミは言うまいと努力をした。しかし、そうすると必然的にその内容を思い浮かべてしまう。

「は、恥ずかしい、こんなの見られたら死んじゃうよー。」

ドゥミは真っ赤になった顔を手で覆いながら叫んだ。

さらに、そのまま全速力で走って逃げようとする。

『うふふふ。そんなに恥ずかしいことだった?まあでも仕方ないかな。ほうら、見たまえよ、君の欲望が具現化するところを、さ。』

アンリがそう言うとドゥミの視界はさらに歪み始めた。もはや現実世界は陰も形も無い。ドゥミは完全にアンリの夢の世界に取り込まれてしまった。

夢の雲がもくもくと立ちこめ、徐々に形を成していき、人の形になった。どう見てもアンリである。しかも何やらフリフリのついたような、実に少女趣味な服を着ている。

「ほんとは、っ!アンリちゃんが可愛くて!一目見た時から、色々と着せ替えをしたかった、の。だからお姉様達は邪魔だったから…」

『しばらく出て行ってもらうことにしたわけかあ。って。うん、あれ?なんだこれは…』

アンリの声がすうっと遠のき、しばらく沈黙が流れる。その瞬、なんの前触れもなくドゥミは現実に帰ってきていた。

横になっていたはずのアンリは立ち上がり、まるでアスパラガスでも見るような目でドゥミを睨み、縮こまっていた。

刻はちょうど、日が沈み、夜の冷たい風が山から降りてくる頃だった。

「おま、僕になんて物を着せようと…あんなん絶対似合わへんやん…というか我は神なるぞ。人は神にとっては子なれど、妄想であろうとまるで傀儡のように神を弄くり回さんとは、失礼千万。…..」

そう大きな声で説教を始めようとしたアンリだったが、それ以上に恥ずかしそうな顔をして震えているドゥミを見て、勢いを削がれた。

「あ、いや済まないな。こちらもまさかあんなことだとは思わんだ。ただフェリックスに危険が及ぶようなことがあったら大変だからな、っておい、頼むから許してよ!」

「ふふふ、そうですよね、人の心を断りなく覗いたんですから。いくら神様と言えど罰を受けてもらいますよー。」

そう言って、さっきの表情から540度ぐらい回転してすごく悪い顔になったドゥミがアンリに迫る。

「や、や、やめたまえ!ほら、服着るぐらい協力する、だからそれ以上は勘弁してくれー!」

「うふ。じゃあ早速…」

そう言ってドゥミは腕まくりをし始める。その時、ハヤブサの如き速さで夜の帳が彼女らを包んだ。

「っ、何をする気ぞ?って、あ。まずい。夜が来る前に方を付ける つ も りだ っ た の に…」

そういうとアンリの周りのオーラが明らかに変わった。迷惑なほど明るく、ダラけた感じだったその空気が、一変して重く、暗く、張り詰めた弓のように変わる。

(これは、殺意だ。)

ドゥミが『それ』から感じ取ったのは明確な、殺意。特定の誰かに向けて物ではなく、そこらじゅう八方に向かった、殺意だ。

意識を失う前、ドゥミが最後に見たものは明らかに姿の違うアンリ、最後に聞いたものは狼の鳴き声、最後に思ったのは、自分は死んだな、という確信だった。

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