Code:XXIV Bad Request

 空は曇天。風は乾き砂塵が舞う荒野に、人の姿が二つ。一方は荒野を練り歩くには些か浮いた、純白のTシャツに黒のチノパンを穿いた白髪の男。もう一方は、濃紺の髪を一つに結い髭を蓄え、膝にまで届く長さの外套を羽織った壮年の男。

「一仕事終えた人間にヘリの一つも寄越さねぇたあ、功労者に対しての仕打ちとしては駄目だと思わないかねぇ。どう思う?」

「私達は艾からの直属任務を課された身だ。ランヴァルトすら認知していない任務と言うのは未だに不可解だが、それ故に泡沫専用部隊も、勿論通常輸送部隊にも接触は許されていない。艾から出立前にそう言われているはずだろう」

「アイツは本当に考えが読めねぇな……統括級者三人を外に向かわすのはあまりにも理外の行動だろうに」

「我々に彼の思考は追い付かない。そして同時に間違える事も無い。此度の遠征も意味と理由があってのものだろう」

 白髪の男に問いとも言えぬ疑問を問われた濃紺の髪の男は前方に視線を向け続けながら答える。乾燥した風が艶の無い白髪と、艶のある濃紺の髪を揺らす。男達の傍らには、身の丈に迫るほどのガンケースと手に握られる長大な太刀のような武器。硬質的な物体が擦れる音が瓦礫と砂塵しかない荒野に消えていく。

「はぁあ……何でもいいが、とっととウロボロスに戻りたいねぇ。どうにも気持ち悪い感覚が消えなくて落ち着かねぇ。雨も降りそうだしな」

「気持ち悪い、と言うと?」

「文字通りだよ。理屈じゃない直感、あるいは勘と言ってもいい。俺の感覚が、この先――――つまりウロボロスへと向かう道程の途中にキナ臭い空気が流れている気がしてならない」

「……お前のその感覚は勘と言うには鋭敏すぎる嫌いがある。だがそういうことなら、出来る限り帰路を急ごう」

「仕事が終わったらまた面倒事……艾にゃ後で慰労会でも開いてもらおうか」

「新人が丁度加わる頃だ、そちらが優先だ」

「はいはい」

 空は依然として曇天。乾いた風は次第に湿り気を帯び、それが一つ吹いた時、二人の男の姿は微かに舞う塵を残して消えていた。あとに残った地面には、黒い染みが一つ、また一つと次第に増えていった。












「ふぅん、蓬と艾を破壊したいんだ」

 鬱屈とした空気に夥しい電子パネルが発する緑の蛍光色がメインライトと化している、何処かの建物の一室。綿をふんだんに用いられているソファに身を沈め、前方に座る端整な顔立ちの男を眺めながらそういった少女は、厳粛な軍事施設の応接間に居るには酷く不釣り合いにも感じるはずなのに、その場の誰よりもそこに馴染んでいた。

 少女の対面に座る男は、思考を整える間を作るために左目にかけられていたモノクルを外し、胸元のハンカチで拭う。それを見透かす少女はくすりと嗤い、体を深くソファに沈める。

「蓬はねー、まぁ君達でも策に策を重ねて偶然が重なったら破壊できると思うよ。その策を練り上げる事は理論上君達は可能だし、偶然もゼロではない。演算結果もそう言ってるね」

「であるならば、蓬――――あのアンドロイドを我々が破壊する事は君から見て可能ではあると保証して貰えたと捉えていいのですね?」

「うん、蓬ならね。どれだけ規格外でも、プロトタイプには絶対に付け入る隙は生まれるから。それに蓬は良くも悪くも感情が人より乏しいけど普通のアンドロイドよりは豊かだから。あれが切り捨てられない、演算結果の効率よりも情の判断を下すと思える選択を迫る場面を作って、それを蓬がその場で判断すれば、貴方達にも勝機はあるよん」

 心底退屈そうに、少女はテーブルに置かれた、今では希少な果汁オンリーの嗜好飲料を口に含む。ストローから口内へと吸い上げられる様子を男は眺めながら、規則的にテーブルを叩く。それが苛立ちからなのか、思考する時の癖なのかを少女は知る由も無く、誰も興味を持たない。次の言葉が来るまで少女は黙っていると、男の手が止まり、再び口を開いた。

「では、艾は?」

「破壊できるかどうか? 断言するけど無理だよ」

「何故?」

 男にとって、蓬と艾、二体のアンドロイドの確固たる差は正確には把握していない情報。故に、目の前の少女が大きく差をつける様な結論を断言する理由を求める。有無を言わさず結論付けるには、それ相応の根拠が必要であり、納得させられるだけの論理構築が必要だ。今の状況、話の口ぶりでは、どう差があり、何故不可能なのかを補強するものが何一つない。言ってしまえば少女一人の主観でしかない。どれだけ少女の身元がそれを知っていても不思議ではないものだとしても、第三者にとって説明無き断定は盲目でしかないのだから。

 対する少女はその問いが来る事は予想できたと言わんばかりに、ストローを咥える口を大きく歪ませる。弧を描いた、嘲笑の笑みとも取れるそれを前に男は無言のままでいると、少女はようやく説明を再開した。

「至高のアンドロイドって、どんなものだと思う?」

「質問の答えになっていな――――」

「いいから」

「……合理的判断を徹底し、効率を最適化し、常に冷静冷徹に、俯瞰的で総合的な視点を持つ個体。私はそう思う」

「惜しいね、そこに足りないものがある」

「それは?」

「人間の様な感情と思考、合理さにストッパーがありながらそれでも冷酷な判断を下せる。その要素が含まれて初めて、至高の人形は完成する。無機質過ぎても駄目。有機質過ぎても駄目。その均衡を保ちながら、人を超越しないと意味がないから」

「…………」

 男はその言葉の意味を咀嚼するのに、一向に思考の過程が進まなかった。合理的でありながら感情的に、しかし非情な決断を即刻、それも一切綻びの無いものを下す。確かにその両立が出来れば、人間が持つ高い知性と思考能力を持ちながら、人間ではどうしても起こるヒューマンエラーを排することができる、超然的な立ち位置を確立できる存在ができあがる。しかも人間とのコミュニケーションもとれるなら、いっそ清々しい程『理想のアンドロイド』を現せるだろう。そんなアンドロイドが出来ているのなら、正しく至高の二文字は相応しい。

 しかし、それはあくまで限られたコミュニティの中で発揮される超越の結果であり、破壊できるかどうか、それも一国の軍を総動員しても不可能だという結論の理由にはならない。

「それが君が抱く、艾と言う男の評価だとしよう。だが、その説明だけでは破壊不可能と言う結論に至ることはできない」

「気が早いなぁ……説明する気なくなりそー」

「私達は過小な評価をしない、だが過大な私見を鵜呑みにもしない」

「はぁ……端的に言えば、艾の完全なカタログスペックは誰も知らない点。本人以外はね。そして前提に、至高を目指して作られた蓬や他の同種アンドロイドが求められたスペックは『単騎で一国を壊滅させるに十二分』という事。プロトタイプ含めた機体がそう求められて、それをしっかり出力できる出来に仕上げられていたんだから、事実上の最新機体な艾の強さがどの程度か、わからない事は無いよね?」

「では艾は……否、君達アンドロイドは国を滅ぼした事があると? その事実が確認できた試しは無い記録としても、憶測としても。それは論証としては弱い」

 体をゆっくりとソファに沈め腕を組む男は、眼前の少女がそれほどまでにプロトタイプと最新機体に対して異様な評価を下す理由がわからなかった。国を単騎で滅ぼせる個体が複数、それも決して少なくない数居るとするならば、今頃この世界の勢力図に人間の出る幕はないだろう。もし少なかったとして、その最たる例の艾が国を依然として取らない理由がわからない。先程の艾への人物評――――アンドロイドに人物とは随分矛盾しているが――――を含めて考えるならば、情があれど効率と不合理を排する思考に至り、自身が統括する国を作り上げていても何ら不思議な話ではない。しかし、現実には彼の男は、巨大蛇に首輪を握られている哀れな機械人形でしかない。とてもではないが、国一つを相手取れるだけの器があるとは、男は思えなかった。

 それを理解している少女は、くつくつと喉を鳴らす。

 くつくつと、けたけたと、けらけらと、嗤っていた。まるで答えて欲しかった回答がそっくりそのまま出てきたかのように、嗤った。

「そう、そう言う認識で良いよ。だって今君は侮った。正体不明の、あの世界規模で被害を拡大させていながら足取りを掴み切れていなかったICOを、艾は見つけ出し、包囲殲滅戦を布いて、単騎でも集団戦でも過小に見たとしても歴史に残る偉業を成した。それがあくまで体のいい広告塔として艾を置いていただけなのならその功績は大した事の無いものになるけれど、真実なら? 語るに及ばないよ。それをよぉく理解しているのは、他ならぬ君達なんだから。だからこそ、自分達の計画としても、戦術的脅威としても邪魔な二人を破壊したいんでしょ?」

 無邪気な子供の様に笑う少女。しかしその言葉の全てには、幾星霜を生きた老獪の様に言には真実を、貌には快を滲ませていた。それに相対する男の表情は、正反対とも言える苦々しいものだった。

「もう一度断言する。艾の破壊行動は絶対不可能。それは誰よりも近しい蓬も、他のアンドロイドの残機も――――そしてここに居る存在全てが。正誤や正確性の程度の差はあっても、共通認識として持っているよね」

「――――ああ」

「ん、よし。じゃあ艾対策を今から一個だけ教えてあげる」

「……………………は?」

 間。空白。男は――――改め、イグナテスより北東に位置するコミュニティ・ニュストポネを統治する民間軍事会社ミョルニルの最高責任者、名をオズワルド・トリニティ――――は、端整であり僅かに年を感じさせる顔を驚愕に染める。当然も当然。今正に、艾は如何なる策を弄しても破壊不可能の傑物だと断言した少女自身の口が、その対策を教示すると言った。それは眉を顰めるには当然であり、十分な言葉だった。

「艾を破壊するのは不可能だよ。それは揺るがない。でも、隙を作り出し行動不能に至らせることは可能だよ。少なくとも、僅かな時なんて狭量な結果じゃない、明白な障害の一時迂回をすることができるくらいにはね」

「…………狂言だとこちらが捉えたらどうする? 君は計画に我々を取り込んでいると仮定するならば、その周辺の疑念は湧いて然るべきと考えると思うが」

「別にやらないなら一人でもできるし。効率化のために君達の手足が使えるか聞きに来ただけ。単純な可能と円滑な可能なら後者を選ぶのは当然じゃない?」

「それをどう我々に通すつもりだ」

「うだうだ言ってないでテーブルの上に出してるファイル見てよ。来てすぐに出したのに全然見ないし」

「…………」

少女の言葉に、オズワルドは渋々と言った具合に眼前のテーブルの上に無造作に置かれていたプラスチックファイルを手に取る。中に刺し込まれた紙を数枚抜き取り眺める。その顔の眉間に皺が段々と刻まれる様は、周囲に立っていた部下達に不安を抱かせるには十分な様相だった。

「――――これは」

「あらゆる方策、あらゆる奇策、あらゆる戦術、あらゆる戦略、あらゆる武器、あらゆる武装、あらゆる兵器、あらゆる人間。どれを総動員しても艾には勝てない。もうこれは単騎のアンドロイドに対する気持ちでいてはいけないよ。だってあれは存在が強すぎるから」

「存在……?」

「変化が起きないという事は今の存在を変質させないという事。変質させないという事はあらゆる干渉が無意味になる事。そうしてあのアンドロイドは無敵になった。そんな存在達を生み出した旧時代の人間は理外の狂人だよね。生み出された側からすれば知らないわそんな事って感じだけど」

「待て、少し待て」

「何?」

 饒舌に淡々と話す少女の口を遮るオズワルド。その顔には微かに汗が滲み、漆黒の革手袋に包まれた手は口を覆い隠していた。まるで動揺を僅かにでも隠そうとしている所作は、しかし誰にも効果の無い行為でしかなかった。

「……仮定だ。仮定で推測の話をする」

「どうぞ?」

「…………ある個体Aが居たとする。その個体は強大な力と群を圧倒する制圧殲滅能力を有する個体だ。それだけでも厄介この上ないが――――もし、もしだ。その個体に自身の存在概念を強固にする特殊な力があった場合、それを打破する力が現時点での最先端において人間には……あるのか?」

「あっはは! 面白い話だね。つまり無理矢理科学的な話をすれば、外部内部どちらからの干渉も一切受け付けない防壁が常に張られている個体は存在し得るのか。そしてそれを打破する可能性は今の人間にあるのか。だね?」

「…………ああ」

「存在し得るし、無いよ。そしてその推測はとってもいい線言ってるね。褒める気はないけど、正答に近付いた記念に嘘は言わないでおいてあげる」

「…………」

「かつて存在していたとある機関は、個体Aへ可能な限り、そして当時も今もオーバーテクノロジーな方法すら用いて破壊、そうでなくとも損傷させることができるかを試行した。でも無理だった。自分達が作り出した存在を相手に、自分達が手綱を握る術を持たないまま。僅かでも無事だったのは、その個体が極めて希薄な人格のままでいたせいなんだけどね」

「……希薄? 初期は自我と言うものが希薄だったのか?」

「そりゃいくら人間をベースに作られたアンドロイドと言っても、急速な肉体と精神の構築はナノマシン頼りなんだし。そこで人格や精神性すら人間と同等に成長させられていたら、今頃第四次世界大戦も、もっと言えば第三次世界大戦も決壊水の世界汚染も防げたよ。人間に溶け込んでも違和感なく居られるだけの余地があったからこそ、艾を筆頭にした人間ベースのアンドロイドは存在し続けているんだし」

「それは、全てが事実なのか?」

「そうだけど。人間ベースのアンドロイドが本当に存在していることも、今も複数稼働していることも、艾を破壊する手段が無い事も。でも、希薄だから無敵だった艾は致命的な弱点を作っちゃった」

 少女はゆらゆらと定まらない上体を揺らし、その視線はオズワルドを含めた部屋の中の一切の存在に向けられていなかった。段々と気が逸れているのか、それとも単純に飽きが来たのか。どちらにしろ、二度と現れない情報の持ち主が気まぐれで去ってしまう前に、オズワルドは少女から方法を聞かねばならない。一度目を伏せ、口元を押さえたままの手を下顎に沿って頬を僅かにさする。そして意を決したように、目を擡げた。

「――――教えてくれ。否、教えて頂きたい。あの男、艾あるいは救済者エグゼキューショナーの弱点を突き、行動不能にする方法を」

「……ま、いいかな。うん。いいよ、教えてあげる」

「それはありがた――――」

「その代わり」

 微かな喜色を現したオズワルドの声を遮り、長い袖に隠れた手を露にし少女は指を指す。何の変哲もない人差し指一本で、オズワルドは二の句を続けられずに固まった。

「艾を拘束したら、その身柄を私に渡す事。それさえ遵守してくれたらいいから」

「身柄を……? 何故だ」

「契約相手のプライベートに首を突っ込むのはナンセンスだよオズワルド君。君はただ淡々と策を練って今から言う弱点を完全に突ける準備をすればいいの。蓬も欲しいならより一層頑張らないとだけど……ま、君達がこそこそ裏で手を結んでいる奴らがそれは完遂するんじゃないかな?」

 最後の一言。その言葉が少女の口から発され、僅かな静寂に包まれる。オズワルドは驚愕に染まった表情を隠すこともできず、つ、と頬に汗が流れる感覚だけをはっきり認識していた。脳内に溢れるのは何故、と言う言葉のみ。

「待て、な……何故、それを――――」

「別に? それを知ったからって何もしないし漏らしもしないよ。艾を無事に確保できさえすれば、君達には何もしないよ」

「違う!!」

「うるさいなぁ……」

「それは最高機密だ……! 決して外部に漏れる訳にはいかない!!」

「じゃあ今ここで口封じする? はっきり言うけど無理だから諦めて。今ここでその感情を抑えないなら情報は何も言わずにその繋がりを喧伝するけど?」

「…………ッ!」

 沈黙。歯が欠けそうな程食いしばったまま、オズワルドは眼前に居る一見何の力も無い年若い少女に、しかし触れる事すらなく前のめりの姿勢から背後のソファに腰を下ろす。こめかみを抑え頭を抱えるオズワルドの姿を、少女は気長けたと笑いながら眺める。

「そんな難しい顔しなくてもいいのに。ま、なんでもいいけどね。それじゃあ約束通り艾への策、教えてあげる」

「………………………ああ」

 少女はその返答にもう一度嗤うと、周囲の部下を下がらせるようオズワルドにジェスチャーした。一瞬躊躇いの顔を浮かべながらも、オズワルドは部下へ退室と人払いを支持し、部下達は部屋を後にした。人が減ったその部屋は、心なしかひんやりとしていた。

「じゃあ始めよっか。蓬、及び艾を対象とした捕縛レクチャーを、ね」











 時刻は既に昼を越え、夕刻に差し掛からんとする頃。煤けた鴇色の髪を揺らす女性、蓬は演習場中央にある簡易支部の屋上で紫煙を燻らせていた。ゆらゆらと揺れる煙は心なしか重たげに天へと上っていき、咥える煙草のフィルターには水気が感じられた。

「あの」

 不意に声がかかる。それは年若い少女の声。それでいて責任感の強そうな声色。その声を蓬はつい先ほどまで聞いていた。泡沫としての概論解説が終わり、簡単な演習や講義を艾から受けていた、幼馴染だという四人組。その一人、臙脂えんじ色のセミロングを揺らしている、艾を異様な程敵視していた子。名を確か――――。

「円珠さん、だったかしら?」

「はい」

「こんにちは……よりはこんばんはが近いかしら。今は休憩時間のはずだけれど、何か用が?」

「聞きたいことがあります」

 その言葉に蓬は目を細める。彼女が問いたいことは凡そ予想がつく。不信と敵意を持ちながら、その相手が率いる部隊へ入隊した少女。それはあの幼馴染という輪の存在があまりにも彼女達のアイデンティティと化していることが理由として明示されているので大した疑問でもない。誰が味方か敵かもわからない荒野で、たった四人の信頼できる人間達と生き抜いたというのなら、たとえ救い出してくれた相手又は組織と言えど、容易に警戒を解く事は無いだろう。早々に気を緩めた他の様子を見ていれば尚更。円珠という少女が責任感と神経質さを抱えていることは、蓬は早々に理解していた。

「聞きたいこと、ね。先刻言われたと思うけれど、私はあくまで雇われの傭兵。何時敵になるかもわからない程の曖昧な存在に、果たして答えられることがあるかどうか」

「あの人――――艾という男とあなたは関わりが深いと思ったので」

「そう、会って間もないに相手に聞く事はその相手ではなく第三者なのね」

「え、あ……その」

「冗談よ。直属の上司について聞く事はおかしなことではないわ。ビジネス以上の関わりがありそうな存在が居たら尚更ね。今通常部隊に指導に行っている艾が居ないタイミングなのもよく考えていると思うわ」

「……圧をかける冗句は好きじゃないのですが」

「距離感の詰め方を間違えたこちらの落ち度ね、ごめんなさい。で、聞きたいことは?」

「……あの人は何故、ああも人間らしくない立ち振る舞いを、人を人と思わない冷徹さを保てているんですか? 良心の呵責も非道の罪悪感も感じない理性だけで全てを判断する人間が上に立てているんですか? ああいう人間は単独で、淡々と、任務に従事していた方がいいのではないですか?」

「…………冷徹、冷淡、良心の呵責の欠如。それが貴女の彼に対する評価ね?」

「……断定ではありません。今の時点で感じた所感と、貴女の評価を照らし合わせて今後どう接する気決めたいと思っているんです」

 じ、と蓬はその瞳で円珠を見据える。その視線に一瞬怯みながらも、円珠は決して目を逸らすことなく蓬を見返す。その様子が短慮の末の衝動でも、熟慮の末の混濁でもない、理路整然とした結論からの行動だと理解して蓬は、体を預けていた鉄柵の、自身の隣を指でこつこつと叩く。

「面談をするでもなし、もう少し肩の力を抜きましょう」

「私は真剣に――――」

「真剣だからこそ、不必要な思考のノイズが生まれかねない距離感は排除する必要がある。ましてや不定期とは言え、いずれは背中を預ける間柄になる日もあるのかもしれないし、ね」

「…………」

「で、私からの評価ね。端的に言えば、貴女のその評価は概ね正しいわ。何時だって鋼のような男。人間としての視点から見れば、貴女の抱く嫌悪感も不安感も間違っていないわ」

「なら――――」

「でも、それは一視点から見た場合。貴女はどうやら結論を急ぎ過ぎる嫌いがあるわね。それは臨戦態勢からの戦闘中における反射判断には最適でしょうけれど、個体評価を下す上では最悪ね。貴女はあの男と出会ってまだ数時間。その嫌悪と不安を抱く原因と経緯を冷静に見定めれば、何か変わるかもしれないわ」

 滲む様に陽の光を呑み込んでいく暗夜の色を背に、鉄柵に凭れる蓬は円珠に向ける目を細める。未熟ながらも自分が大切にしている者達を守ろうと、限られた情報と知識経験から異物を排除せんと攻撃的に相手を見定める。平時であれば些か過激と言わざるを得ないが、自分達の生命の今後すら関わる判断においてはおかしなことはない。あの幼馴染の輪の中で、最も情に満ちているとこの僅かな間にも思わせられる彼女の性格なら、致命的な祖語は無い。

 しかし、判断に用いたのはあくまで超個人的な視点。それもあって数時間しか経たない鉄面皮相手だ。判断を的確に下せという方が酷な話。故に蓬は種を植えた。自分の判断に疑問を持つ、批判的思考を行える余地を作る種を。

「……ありがとう、ございます」

「礼を言われることはしていないわ。今のやり取りは私からの餞別。これからあの男とどう過ごすか。幼馴染と自分を守るためにどう生き、どういった選択をするのか。それを常に考えて生活なさい。此処に来た以上、もう貴女達には生易しい選択も結末も用意されることはないのだから」

「それほどに過酷なんですか?」

「過酷、と言う言葉が指す言葉に拠るけれど、概ねそうね。先刻艾が言ったように、今この瞬間も貴女達には善を抱いて悪を成す行動も求められる。清い言葉や行動ではいられない。何を善とし何を悪となすのか、それを覚悟し決めるのは貴女自身よ、円珠」

「……覚悟なんて、あんな悪趣味な試験でしました」

「そう、その覚悟が塗り潰されないよう精進するように――――」

 と、言葉が止まる。隣にいる蓬の言葉が不自然に止まったことに眉を顰める円珠が顔を横に向けると、先程のゆるりとした表情とは違う、警戒心を混ぜたもので視線の遥か先、荒野へと向けていた。

「どうかしたんですか?」

「――――視覚情報を表示なさい、円珠」

「え……あ、はい」

 有無を言わさぬその言葉に従い、円珠は自分の眼球に処置された視覚上に表示される情報を確認する。表示、と無音で呟けば、自分の視覚に映りだす赤枠に黒地のウインドウ。特に何も新規情報が追加されていない状態に首を傾げ蓬へと向き直ろうとした矢先、ぽんと一つリンクが追加された。その文言を確認し、円珠の表情が強張る。

「貴方達は運が悪い――――いいえ、逆ね。運がいいわ。机上で知りもしない現場を想うより、実際に現場で動いた方がここでは効率がいい。すぐに支度なさい」

「あの、これ……は」

「ええ、貴女が見た通りよ。」

 蓬は寄りかかっていた鉄柵から体を起こす。ぎし、と音を軋ませたそれを後に蓬は階下へと向かう出入口へ向かう。その途中、足を止め振り返り、円珠に告げる。

「貴女達への初のミッションは、突如現れた曝露者の大群の対処。指示された場所へ移動しすぐに泡沫でのミーティングに参加しなさい」

 そう言って蓬は扉の先に消える。円珠は暫く誰も居なくなった場所を見つめたまま佇み、少ししてから荒野を一瞥し、蓬と同様に階下へと消えていった。












 緊張感がありつつも緩やかな兵士たちの時間は、演習場にはすでに無くなっていた。忙しなく、慌ただしく、切迫した状況に右へ左へと足を走らせる人々の隙間を縫いながら、蓬は歩みを進めていた。周囲の慌てようとはまるで対照的な冷静な足取りと表情。しかしそれを誰も奇異に見る者はおらず、剥離した空間に一人いる様な雰囲気を隠す事も無い。そうして到着したのは、蓬達が乗車し演習場へ赴くために使っていた車両の前。そこには既に、二つの人影があった。

「おそーい! アリス達の方が早かったよ!!」

「蓬は私達よりもやることが多いのよ。で? この騒ぎは一体何ごとなのかしら?」

「もうカルミアからどうでもいいように聞いたでしょ。この演習場から二時の方向に突然曝露者の大群が現れた。まだ戦闘のせの次も知らない新兵しかいないここで、素性も規模も何もわからない曝露者との戦闘は不利と判断。非戦闘員と新兵は退避の後防御陣を布き、それ以外は掃討作戦」

 淡々と語る蓬。これから大規模な掃討作戦が行われるという口ぶりの割に、その所作はまるで帰り支度をするようなものだった。

「で? 私達はどうするの」

「私達の今日の仕事は新兵の教育だけ。掃討作戦にわざわざ顔を突っ込んで要らない出費をする暇は無いわ。アリス、私達は一体何かしら?」

「傭兵! だから契約外の事は何もする必要が無いってことだよね?」

「正解よ。それじゃあ荷物を運び入れて帰る――――」

「いいや、その必要はない」

 突然発せられた男の声。それに驚いた様にアリスが小さく声を上げ、蓬と李雨はゆるりと振り返る。そこには、相も変わらずに仏頂面を携えた艾の姿があり、身軽なそのまま近づく。

「何かしら艾。私達の契約は既に完了しているわ。掃討作戦に参加しろなんて言われていないもの、帰り支度の必要はあると思うのだけれど?」

「緊急臨時契約」

「…………」

「400分隊、契約の更新だ。内容は曝露者の大群の掃討作戦参加。規模は指定区画の殲滅と他区画の補助。報酬はこの状況故に後払いだが、相場の倍を約束する」

「ねぇ艾。その契約の責任者は誰になるのかしら? いくら貴方と私達の仲と言っても、何の明文化もせず責任の所在もわからないまま仕事を引き受けるのは私は反対よ。万が一蓬が良しと言えどもね」

「ああ、そうだな。責任については今回は俺、そして代理宣誓権限を用いてランヴァルトの名も連ねる。これはウロボロスからの正式な傭兵契約だ」

「そう、なら私は文句は無いわ」

「アリスは李雨と蓬に従うよ」

「だそうだ、蓬」

 目を細め、李雨とアリスから視線を蓬に移す艾。その視線の先には、車両の側面に体を預け、一つ溜め息を溢す蓬の姿があった。組んだ腕を指で規則的に叩いていたのを止め、鴇色の前髪がかかる伏し目がちにしながら艾へと向けた。

「……わかったわ。その契約、400分隊――――否、BRの名を以て受諾するわ。貴方達にとっても、外面として相場の倍をトップと統括級者の名前を使ってまで外部の傭兵に払ったという記録が残るのは本意ではないでしょう?」

「BRとして受けるのなら、契約内容は言った通りだ。だが、通常加味する保証一通りは無くなるが、当然理解はしているものとする」

「ええ。李雨とアリスもいいわね?」

「異議無し」

「おっけー!」

「よし。では現時刻一六三八を以て作戦を開始する。詳細は既に秘匿共有データウインドウにアップした。それを参照してくれ」

「了解」

 艾は三人が理解したのを確認すると、足早にその場を後にした。その場に残った三人は各々傍に置いていたガンケースを持ち上げると肩にかけ、視覚上に表示される秘匿共有データウインドウを開く。同時に更新されていく情報に目を走らせ、そして契約と作戦の概要を理解した。

「私達は西の区画一体を担当、掃討後は泡沫の新兵の補助。一体たりとも演習場敷地内に入れてはならない。敵総数は詳細不明だけれど、観測手の暫定推察では北に三千、南に五百、東に千、西に四千ね」

「随分な数じゃない。いくら私達でも無傷は無理よ? それ」

「アリスもアリスに自信が無い訳じゃないけど、今の不調だときついかなって思う」

「アリスは今回はリトリシアと共に爆弾使用での面での制圧補助。広域に素早く工作するのなら、統括級者とアリスなら簡単でしょう?」

「ふふーん! アリスならよゆー!」

「李雨は後方から狙撃支援。観測手無しだけど貴女なら問題無いでしょう。できるだけ距離のある内に数を減らしてもらいたいわ。弾薬は今回に限り先方指定で広域炸裂弾を」

「へぇ、支給品があるなんて珍しいわね。それ程この場には人手が無いのかしら?」

「でしょうね。此処にはほとんど新兵しかいないもの。そして私は単騎での制圧。これは言わずもがな」

「了解」

「了解」

 返事を聞いた蓬は自身もガンケースを肩にかける。確かな重みを確かめ、車両のロックをかけると同時に歩みを進め始めた。遠方には、既に作戦が開始しているのであろう、爆薬による大きな土煙の柱と射撃音。それを見た李雨もアリスも、そして蓬も、緩んでいた気分を締め、その瞳は熱の消えたものに変化していた。

「たかが曝露者、なんて油断をするなというのはお門違い。それでも言っておくわ。貴女達二人も決して例外無く、UA-275に曝露する危険性はある。更にただでさえ厄介極まりない怪物が数千単位で押し寄せている。原因は分からないけれど、この作戦における最重要命令は一つ」

 前を向いたまま、蓬ははっきりと伝えた。此度の作戦の、その要を。

「生きて戻りなさい。その執念が貴女達から消えない限り、私はその手を必ず握り引き上げる。安心して自分の任務にあたりなさい」

「心配性ね、でもわかったわ」

「心配しなくても、アリスなら大丈夫! だって蓬と李雨が一緒に居てくれるから!」

「ええ――――では、行きましょう。この世界の、末路の一端を掃除しましょう」

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Girls:Murder Domination 出雲 蓬 @yomogi1061

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