そして四年の月日が流れ……

 花嫁修業ならぬ庭師修業を始めて、はや四年の月日が流れました。

 そうわたくし此花は、花も恥じらう十六歳となります。


 そして、桐人兄上の立太子の礼が近付いてまいりました!


 ついでにわたしのお祝いもするらしいけど……まあ、いわゆるおまけです。

 でもいいの。無事兄上、桐人皇子が皇太子になる日を迎えることができるんだもの!


 カイに結婚を申し込んだあの日から、わたしは立派な庭師になるために頑張った。

 お陰で今では薔薇園の管理を任されることになった。

 薔薇って綺麗だけど、品種によっては病気になりやすいし、土や肥料も気を遣う。伸び放題にはできないから剪定も必要だし、手間隙掛かる上かなりデリケート。刺もあるから、腕や手は常に傷だらけ。

 でも、手を掛けた分だけ美しい花を咲かせてくれるから、やりがいがあり、いつしか肥料づくりに目覚めてしまいました。


 薔薇の肥料は馬糞から作る堆肥がいいと聞いて、わたしの堆肥づくりは始まった。

 お城で飼われているお馬さんたちは、餌もいいし健康だから上質な馬糞が取れるのよね。だからできる堆肥もそれはそれは質の良いものが出来上がるわけ。

 慰問で孤児院を訪ねた時に、畑が痩せてお野菜が育ちにくいと聞いたから、後からお手製堆肥を送ったの。そしたら、翌年は質がいいお野菜がたくさん採れたんですって。

 馬糞堆肥は土壌を改良する効果があって、薔薇だけじゃなくて、畑にも良いと教えてくれたのはカイだった。その後、農家からも問い合わせが殺到して……お陰で農作物の生産量が上がり、お城の馬場に溜まる一方だった馬糞の処理も出来て万々歳です。


 一応功労者であるはずの、わたしに付けられた二つ名は……馬糞姫。

 堆肥を作るようになってからというもの、お城の馬糞を集めて集めて集めまくったら、いつの間にか「馬糞姫」と陰で呼ばれていると知った。


 あんまりだわ……。でもお陰でわたしに求婚してくる男性はひとりもいない。求婚してくる人がいないということは、ゲームのようにはならないってことだから結果オーライなのかしら。


「このまま庭師のもとへ降嫁するしか道は無いわよ?」

「そんなの、望むところです姉上。わたしはカイの妻になることが一番の望みなんですから」


 思わずガッツポーズで宣言してしまう。けれど四年経ってもわたしの本気が、桐花 《きりはな》姉上には伝わっていないみたい。


「まあ……」


 困った子だと言わんばかりに、苦笑と溜め息をつかれてしまった。


 三年前の春、第三皇女である桐花姉上は華堂路かどうじ公爵家の幾雲いくも様の元へ嫁がれた。

 わたしが前世の記憶を取り戻した時点で、すでに姉上は華堂路家での花嫁修業で、ほとんどお城にはいないようなものだったのだけれども。後から聞くと、花嫁修業という名の語学修業だったらしい。

 元々華堂路家は国内で呉服商としても業績を伸ばしていたけれど、ここ最近は貿易商としても、さらなる成長を遂げている。

 義兄の幾雲様は桐花姉上との仲も良好だ。


 ふと思い出したけれど、華堂路幾雲かどうじいくもって、攻略キャラだったよね? 元々は桐花姉上の婚約者だったのに、どうして攻略キャラになったんだろう……思い出せない。

 ま、いっか。桐人兄上が皇太子になるし、ゲームでは姿を現さなかった桐花姉上は、無事婚約者である幾雲様と結婚して幸せそうだし。

 これまで幾雲様以外、攻略キャラは現れていない。思い出せないだけもあるけれど。


 あれから四年。庭師の妻になる準備は整いつつある。後はカイとの恋愛を進展させれば何の問題もない……はずだったけど。


 甘かった。わたしの考えは激甘だった。

 もうすぐ十六歳を迎えようとするわたしの前には、最大の難関が立ちはだかっていたのです。



* * * *



 王城の庭師カイは残念ながら攻略キャラではない。攻略キャラではないモブだけれど、彼は主人公の此花に敬意と憧れを抱いていたと思うの。

 此花のために用意してくれた白いバラの鉢を、そっとプレゼントしてくれたエピソードは、最高の癒しだった。


 癒しだったのに……これは誰?


「……臭い」


 わたしの顔を見た途端、カイがのたまった第一声だった。


「え……?」


 何が臭いのだろうかと、探ってみたもののわからない。小首を傾げていると、カイはずばりと告げる。


「姫様が、臭いのです」

「えええ?!」


 服の袖を嗅いでみる。ちゃんと手や顔に付いた汚れは落としてきたつもりだったんだけど……自分だとわからない。

 必死に匂いの原因を探っていると、そんなわたしを見てカイは溜息を吐いた。


「今日は堆肥の材料集めを頑張ってましたから……仕方がないと思います」

「……」


 はい堆肥。確かに堆肥の材料となる馬糞を集めて、頑張って仕込んでいました。今仕込んでいるのはバラ用の堆肥。バラには馬糞が良いと教えてくれたのはカイですからね!


「ちゃんと手袋もしていたし、終わってからちゃんと手も顔も洗ってきたのよ?」

「服や髪に匂いが染みついてしまったのでしょう」

「……そうね」


 ううう、この場から消えたい! 穴があったら入りたい! とにかく臭い自分を、カイの前から消してしまいたい! でも、少しでもカイの側にいたい!

 矛盾した気持ちを抱えながら、羞恥に打ち震えていた。


「今日はもう戻ったほうがいいでしょう。明日は立太子の礼なのですから風呂に入ってしっかり匂いを落としてください」

「…………はい」


 このままだと「馬糞姫」の名を確固たるものにしてしまうわ。客間に飾る花を選ぶのは、彼に任せよう。そしてわたしはこのまま退散しよう。


「……お先に失礼するわ」


 好きな人に臭うと言われるのは、かなりのショックだ。猛ダッシュでこの場から立ち去りたいけれど、放心状態で走れそうにない。ふらふらと歩き出した途端、転けた。


「姫様?!」

「いたた……」


 何故平面で転けるかな。

 しかも、足首捻ったかも。情けない。とほほな気分で立ち上がろうとした時、カイがわたしの足元にしゃがみこんだ。


「大丈夫ですか? 頼みますから一人で行動しないでください」

「でも、臭いからさっさと退散した方がいいかと思って……」

「お送りしますから早まらないでください」

「大丈夫よ、一人で戻れるわ」

「足、痛めましたよね」

「大丈夫よ」

「侍女殿に受け渡すまでが、俺の仕事です」

「受け渡すって、物みたいに」

「似たようなものです」


 きっぱりと告げられ、マンガみたいに「ガーン」と頭の中で音がなった。

 臭い上に、物扱い……。

 ゲームのカイだったら、主人公に対して、もっとこう丁寧に扱ってくれていたんじゃないかしら?

 今のカイは、なんだかんだ優しいけれど……ちょっとわたしに対する扱いが雑な気がする。


 一体、何がいけなかったのだろう……。

 四年後までには、カイがよろめくような魅力的な女性に成長しているはずなのに。今のわたしは庭師の腕前は上がったものの、馬糞にまみれた臭い女でしかないなんて……!


 ゲームでの主人公は一緒に庭園の手入れもしなかったし、堆肥を作ったりもしなかった。もしかすると、カイとの距離を縮めようと努力したつもりだったけれど、むしろ余計な努力だったのかもしれない。

 ま、よく考えたら糞も掴めて雑草や害虫駆除もする姫君なんて、普通いないよね!

 わたし的には、結婚したら一緒に庭師の仕事が出来たらなって思っていたからさ。仕事も覚えたかったし、できるんですよアピールというのも密かにあった。


 なのに、すべて裏目に出てしまったなんて絶望しかない。


「姫様、足は痛みますか?」

「平気よ」


 頼むから情けは掛けないで。情けは無用です。期待してしまうから本当に。

 カイはわたしの顔をしばらく見つめ、やれやれとため息を吐く。そして、くるりと背を向けた。


「無理しなくていいですよ。ほら、庭園を出るまでおぶって差し上げます」


 おぶってくれるですって?! 嬉しい申し出だけれど。


「……でも、わたくし臭いのでしょう?」

「もう鼻が慣れましたから平気です」

「臭いと言われて、おぶってもらうほど神経太くありません」

「早く帰らないと侍女殿に叱られるのは俺なんです。早くしてください」


 背を向けたまま、告げるカイの声は言葉とは裏腹に優しかった。


「……わかったわ」


 ちょっと扱いは雑だけれど、根本的にカイは優しい人なのだ。


「……臭いのに、ごめんなさい」


 あまりくっつかないように、控えめに肩に手を沿える。カイの背中に身を預けるなんて、心臓が口から飛び出してしまいそう。


「姫様、しっかり掴まってください。落ちますよ」

「はいぃ……」


 すみません、臭くて。失礼します!


 心の中で謝ってから、そっと彼の首に腕を絡める。短くなった紅茶色の髪からは、ふわりとお日様の匂いがする。

 それに比べて、わたしは糞尿の臭いとは……ここは乙女ゲームの世界じゃなかったの?!


 よいしょ、と掛け声と共にカイは立ち上がる。


「重たい?」

「ジロハチよりは軽いですよ」


 ジロハチとは、庭番をしている大型犬です。

 そっかあ、ジロハチよりは軽いのね。

 トホホな気持ちのまま、カイに背負われる。不安のない足取りは頼もしい。


「カイは力持ちね」

「普段から姫様より重たいものを運んでいますからね」


 一見細く見えるのに、触れるとしっかり筋肉が付いていて素敵だ。細身なのに筋肉質、細マッチョ最高ですね……はあ。


 カイの背中に居るのが辛い。嬉しいけど辛い。一刻も早く自分の部屋にたどり着くことを祈るばかりです。

 息を潜めてじっとしていると、珍しくカイの方から話し掛けてきた。


「いよいよ立太子の儀ですね」

「ええ……そうね」


 そう。とうとうここまで漕ぎ着けたのです。

 いよいよ桐人兄上が皇太子になる。もう間違いない決定事項だというのに、当日を無事迎えるまでは過る不安は拭えない。


「早く明日にならないかしら」

「それでは早くこの臭いを落とさないといけませんね」


 はい……明日の立太子の礼に備えて綺麗にします。


「姫様」

「……なあに?」

「何か……欲しいものはありますか?」

「欲しいもの?」


 それは、あなたです!

 なーんてね。そんなこと言えるわけがない。


 欲しいものかぁ。カイからのプロポーズと誓いの指輪かなあ……なーんて無理無理。高望みしすぎだわ。

 それにしても、どうしてそんなことを聞くのだろう? もしかして……わたしの誕生日プレゼント?

 いやいや! そんなおこがましいことを考えてはいけないわ。きっと足りない備品関係だわ。

 鍬や鋏はお手入れしたばかりだから……。


「ええと……鋸の替刃が欲しいわ」


 昨日使っていた時、切れ味が悪いかもって思っていたのよね。ところがカイから返ってきた言葉は。


「却下です」


 却下なんだ……。

 カイから言い出したというのに、検討の余地もないなんて。


 うーんと再び考える。切れ味が悪くてもまだ使える状態だから駄目なのかしら?

 となると、これから夏に向けて収穫できる野菜の種はどうだろう。


「わたくし、西瓜の栽培に挑戦してみたいわ」

「だから、そうじゃなく……」


 珍しくカイは言葉を詰まらせた後、脱力したように溜め息を吐いてしまう。


「……わかりました。西瓜の苗を用意しておきます」

「ありがとう。収穫したら皆で西瓜割でもしましょう」

「すいかわり? 何ですかそれは」


 そっか。この世界の人は西瓜割知らないのか。


「それは西瓜が出来てからのお楽しみよ」

「はあ……」


 あまり楽しみじゃなさそうね。確かにせっかく熟れた西瓜を棒で割ってしまうわけだからね。たまに「これは食べられないな……」っていうレベルで粉々になってしまうこともあるし。


「ですが、姫様。西瓜の栽培は難しいですよ」

「そうね……苦労して作った西瓜は、やっぱりちゃんといただきましょう」

「まあ……頑張ってください」

「もちろんよ!」


 よーし。兄上が皇太子になった後の目標が出来たわ。

 西瓜作りに成功したら、少しはカイも見直してくれるかしら?


 夏に向けて、西瓜作りを頑張ろう!




おわり

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乙女ゲームのヒロインに転生したので、モブキャラと結婚します! 小林左右也 @coba2018

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