ただ思ったことを垂れ流してみた

空 幾歳

永遠のロマン

 まずは、遅ればせながら「カクヨム3周年記念選手権」お疲れさまでした。

 皆さまが楽しんで書いてらっしゃる感じだったので、一丁乗っかってみるかと勢いでお題二つ分投げ込んだは良い物の、早々に息切れしてしまった男でございます。

 簡単な自己紹介をしますと、片隅で趣味程度に文章を綴っていこう等と考えている、物書きと言うのも烏滸がましいおっさんです。


 息切れしてしまったとはいえ、久々に文章書いて楽しかったのは間違いないので、不定期に何となく、私が思った事を書き綴っていってみようと思っております。


 最初に取り上げますのは、「永遠と」問題。


 いや、こんな言い方するのかは存じ上げませんが、私個人としては由々しき問題と捉えておりまして、このような表記となっております。もう方々にて語り尽くされた感さえありますが、「延々と」を「永遠と」と書いてしまう方がいらっしゃる、という事についてですね。

 軽く調べてみると勘違い、覚え違いからくる誤用という説が多数出てきて、単なる誤打鍵・誤変換だろう、と思っていた私は「そんな馬鹿な」って思ったんですよね。そんな当たり前の表現を勘違いしてる人いるの? と。

 ところが、ローマ字入力する際の指の運びを冷静に考えると、どうやらそうでは無いようだ、と気付き、改めて衝撃が走ったものでした。

 これがTwitterなんかで仲間内で使ってる分にはまあ好きにすればいいんじゃないの、って思うんですが、ここ数か月、カクヨム作品で何度か立て続けに見かけてしまいまして、その度に残念な感覚に襲われていました。

 どれくらい残念かというと、白いドレスを纏った美人のお尻に茶色い染みのようなものを見つけてしまったくらい、でしょうか。汚れたところにうっかり座ってしまった? 或いはそういうデザイン? ……それともまさか? と思っても、近付いて確認するのも本人に訊いてみるのも躊躇われるような、そんな感覚。お分かり頂けますでしょうか。

 そういった状況でしたので、良い機会だから思うままに語ってしまおう、というのが今回の趣旨となります。


 気になって検索して出てきた記事いくつかに目を通した程度ですので、同じような事を仰っている方も勿論何処かにいらっしゃるかも知れないとはお断りしておきます。

 また、結構感覚で文章書いてる人なので、文法云々は迷った時にしか調べないような体たらくです。文法間違いや誤記、誤用なんかも気付かずうっかりやってしまうかも知れません。御指摘下されば自分でも調べた上で修正していく所存ではありますが、そんな人間が何を偉そうに、と自分で思うのも確かです。ですが、語りたくなったんだから仕方がない。

 それ故、駄文であることは先にお詫びさせて頂きます。


 この「永遠と」という表記、それなりに支持層はいらっしゃるようですね。

 某ベストセラーにも使用されている有名な誤用だそうで、肯定派、否定派それぞれに意見はあるようですが、私個人としては、先に残念な感覚に襲われたと述べました通り、否定派となります。

 肯定派の意見としては「意味も近いので通じるから問題ない」であったり「言葉は生き物、つまり変化していくものなので、新しい表現として受け入れよう」であったりが主なものでしょうか。

 否定派は「文法的に間違っている」「そもそも意味に違いがある」なんてところ。

 ただ「言葉は生き物」という要素は確かにあって、文法も意味も『段階的な変遷を経て』別物になってしまう事はあり得る事で、否定派が何を言っても肯定派は「言葉は生き物」を都合よく解釈して、それを盾にして届かないんだろうな、なんて事は漠然と感じました。


 ただ、そこで思うのですよ。辞書的な意味はともかくとして、その言葉に含まれるニュアンス、趣といったものはどうなのよ? と。

 辞書的な意味でも、現行の「永遠」と「延々」には違いがあって、同じように長く続くという意味であっても「永遠」には終わりがなく、「延々」という表現には終わりがある、と言うような事はよく語られているようですが、さて、この意味の違いから、趣もまた違ってくるわけです。


 ちょっとここで比較をひとつ提示してみます。


「延々と続く闇の中を、私は歩き続けていた」


 個人的にはこの場合、情景描写である、と思いました。何か夜道だか地下迷宮だかを歩いているイメージになると思うのです。どこかに暗闇が途切れる部分があって、そこを目指して黙々と進んでいる感じ。

 これを「永遠」に置き換えてみましょう。現代国語表現であるならば、「永遠に」とするのが相応しいでしょうか。


「永遠に続く闇の中を、私は歩き続けていた」


 ……どうでしょう、この絶望感。

 いったい彼或いは彼女に何があったのか? この闇には果てがない、どこまで行っても終焉などない。そんな中を歩かざるを得ない。そんな心情を表しているように思えないでしょうか。



 私が声を大にして言いたいのは、この趣の違いです。

 「永遠」という単語には、その漢字二文字にロマン、壮大さ、情動を大きく揺さぶる要素が多分に含まれていて、比して「延々」にはそれがなく、良くも悪くも大人しい、平坦或いは平穏な言葉だと個人的には感じております。

 なので「他愛もない会話が永遠と続いた」なんて文章に出会ってしまうと、「神々の遊びか何かなの? 果てが無いの? 世界が滅びるまで続くの?」とか思ってしまいます。そういう違和感がある。「延々と」であったなら、本当に下らなくてそれ故に愛おしい、日常の一幕として微笑ましく読めるのに。

 それに「永遠と」を「延々と」の代替として認めてしまうと、そこに含まれるロマンが損なわれる気がするのです。

 それが本当に、たまらなく、悲しかったり、寂しかったり。


 先に述べた通り「言葉は生き物」ですから、将来的に「永遠と」という表記自体は正しいものとして語られる時が来るかもしれません。その可能性は、私も否定はしません。

 ですが、こんなにも心ときめく言葉の意味が、表記一つで「延々と」の代替のような物になって欲しくはないし、そうであるならば、それは受け入れたくはない、そうであって良いはずがない、というのが私の思いです。


 少なくとも文章の扱いを生業とするならば。或いはそれを目標とするならば。或いはそうでなくとも文章を書くのが好きであるならば。そしてそれで他者に何某かの感動を与えたいならば。

 「永遠」も「延々」も違った趣があるのですから、それを大事に、うまく使い分けてほしいなぁ、と。


 そして、こう思わずには居られないのです。


「永遠のロマンよ、永遠であれ」と。

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ただ思ったことを垂れ流してみた 空 幾歳 @ikutose03

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