ブラッドオレンジキャンディ + ミントソーダ

長谷川昏

片田舎の駅のホームに佇む二人は、同じ穴の狢

「雨、降らないね」

「降るって言ってたか?」


「別に。でも降ったらいいかなって」

「俺は降らない方がいい。新しい靴が濡れる」


「靴なんか、いつか濡れる」

「そんなこと分かってる。敢えて濡らしたくないって話だ」


「ねぇ」

「なんだ、実波みなみ


「まだ来ない? お尻、そろそろ痛くなってきた」

「我慢しろ。対象は次の列車で来る」


 そう答えて、涼川りょうかわは隣に座る少女を見遣った。

 風通しのいい、と言うより些かよすぎる無人駅のホームには他に誰の姿もなく、空気は少し湿っている。

 隣の相手はベンチに長時間座っていたせいで痛むらしい尻をさすりながら立ち上がると、左腕のみを上げて伸びをした。


 肩までの黒髪、白いシャツにチェックのスカート。

 初秋の夕刻にその制服姿では、少し寒そうだ。

 上げた手が片方なのは、もう片方を吊っているからだ。先月骨折した右腕の完全治癒にはまだ少しかかるらしい。しかし相手は何を気にするでもなく、端整な横顔を窺わせると、今度は退屈そうにあくびをした。


「そもそも、待ち時間が長すぎる」

「苦情はもっともだが、仕方がない。先回りするには、あのバスに乗るしかなかった。お前は田舎の事情なんぞ知らないだろうが、バスだろうが電車だろうが、十分も待たずに次が来る方が異常だ」

「へぇー、そう」


 向けた言葉には、至極適当な返事が戻る。しかし涼川にとっては想定内の返事であるので、特に思うところはなかった。


「あー、あんまりにも暇だから、なんだかヤリたくなってきた。ねぇ涼川、まだ時間あるなら、あの人とヤッてきていい?」


 涼川が顔を上げると、隣の視線は線路向こうの歩道にある。

 そこには畑仕事帰りの老人の姿がある。彼は農作業具を担ぎ、年寄りらしい足取りでとぼとぼと歩きながら、カーブした道の向こうに消えようとしていた。


「やめろ。彼が不憫だ」

「不憫って、それどういう意味?」

「残りの貴重な人生に、お前のようなものと出会った記憶を刻み込まれるのは、生き地獄でしかない」


「地獄じゃなくて、もしかして天国かもよ」

「ありえない。ここが地獄なのは俺が今、体感してる」

「楽しい? その地獄」


「は? くだらないことを言うな。それより実波、性衝動が抑えられないなら、その辺、走ってこい。大体お前は食う寝るヤルに向ける欲望を、少しは抑えることを学べ」

「走ってこいって、そんなんで抑えられるの?」


「抑えられる訳ない。でもお前が辺りを馬鹿みたいに走ってる間は、通りがかっただけの罪もない村人に害が降りかかるのを防げる」

「そんなに言うなら、涼川が代わりになってよ」

「お断りだ」


「弱虫」

「弱虫で結構。俺はまだもう少し長生きしたい。回避できる厄災は回避する。お前なんかとヤッたら、自己嫌悪と多大な後悔に襲いかかられて、明日にも死にそうだ」


「意気地なし。意気地なしの上に年寄り臭い。私より一つ年上なだけのくせに」

「お前のせいで老けた。男でも女でも誰とでもヤルわ、気に入らなければ大男だろうが筋モンだろうが喧嘩ふっかけるわ、やたらと食うお前の食費だけで俺がどれだけ……」


 涼川は言葉を途中で止めた。

 遠くから聞き覚えのある音が近づいてくる。


 続く線路の先に、灯りが見えた。

 半闇の中をくすんだ色の車両が、車輪の音を響かせて現れていた。


「ようやく来たね」

「そうだな」


 涼川は立ち上がると、紺色のブレザーのポケットから白い封筒を取り出した。

 藤堂とうどう財団と印刷されたその封筒を手に、列車を出迎える。

 停車した車両から降りた客は、ひとりだった。

 手動の扉に舌打ちして、ホームに降り立ったのは二十代後半の体格のいい男だった。


「割と男前」

「黙ってろ」


 涼川は長身のその男に歩み寄った。

 男は去りゆく列車を見送ると苛ついた表情で煙草を咥え、見知らぬ相手少年に訝しむ視線を向けた。


佐野さの麻人あさとさん」

「ああ? なんだてめぇ」


 開口一番すごむ相手に構わず、涼川は封筒から取り出した紙の文字を読み上げた。


「佐野麻人さん、あなたは先月十八日、日常且つ非道な行いの末に重大な罪を犯しました。よって本日、本財団により制裁を与えることが決定しました。すみやかに承諾されることを望みます」

「はぁ? お前何言ってんだ? 頭オカシイのか?」


 呆れた表情の男は、そのまま駅舎に歩き出そうとする。

 涼川は一歩下がって進路を阻むが、相手は見下ろすと睨みつけてくる。

 無視に威嚇、しかし毎度のことであるので涼川は特に気にしなかった。


「あのさ、何言ってんのかって、要はあんたが自分のオンナの子供を繰り返し虐待して、死なせたことを言ってるんだよ」

「実波、別に説明しなくても大丈夫だ。佐野さんは自分のしたことだからちゃんと理解してる。ちなみにあなたの彼女の方は、別の者が今向かってます」


「う、うるせぇ! 何のことか分かんねぇって言ってんだろ! いつまでも意味不明なイチャモン繰り返してねぇで、マジでそこをどけ!」

「残念ですけれどそれはできません。俺達はこれが『仕事』なんで」


「んなこと知るか! それに事実がどうだろうが、なんでオレがてめぇらみたいな細っちいガキどもの戯言を大人しく聞かなきゃならねぇ? オレに痛い目に遭わされる前にとっとと失せろ!」

「ああ、今の言葉はよくないですね。そちらが先に手を出すなら、同等のやり方を施行するこちらの正当性をより強固にするだけです。佐野さん、俺の相棒は前回の仕事で右腕を骨折した。山みたいな体格の男を相手に彼女は油断した」


「えー、それは違うよ涼川。これは脳天かち割ってやったあの強姦魔が倒れてきて、巻き添えを食っただけだから。不回避の貰い事故みたいなもので……」

「いいから黙ってろ実波。あ、失礼。つまりアドバンテージはそちらに多少あるのは確かですが、しかし佐野さんがすみやかに承諾せずに抵抗するつもりなら、全力を尽くさなきゃ駄目だってことです」

「な、何を言ってやがる……」


「佐野さん、相棒はナチュラルボーンキラーだよ。どこにいても厄災の中心になって、どこにも行き場がないから、

「せ、制裁って……もしかしてお前ら、オレを殺るつもり、なのか……?」

「さっきも言ったとおり抵抗の余地は確かにある。もう一度言いますが、逃れるためには全力でここから逃亡するか、全力で相棒と戦うか、どちらかしかない」


「な、何言ってるか全然分からねぇし、そんな常識を無視した意味不明な言い分が通る訳ねぇだろうが!」

「この成り行きが理不尽だと?」

「ああそうだ! こんなことが現代の法治国家で許されるはずもない!」


「俺もそう思う。でも佐野さん、俺もあんたも、もうとっくにその言葉の恩恵を受ける立場にも場所にもいない」

「ふっ、ふざけんな!」

「ふざけてなんかない。これが現実だ。それじゃ、実波」

「分かった」


「ま、待て! この女がオレを殺るつもりなら、お前は一体何をするつもりなんだ?」

「俺はここで今から起こることを見届ける。一切手は出さない。でも死体袋に入るのがどちらなのか、片時も目を逸らさずに見てる」


「嘘だろ……」

「嘘じゃない。この世にはそう思いたいことがたくさんあるが、あんたが死なせた相手もそう感じたと思う。あなた、相棒、俺。数分後にここで立ってるもそう思うかもな」



****



 片田舎の風景は既に闇に沈んでいる。

 ふと吹き抜けたぬるい風に腐臭を感じて、涼川は無意識に顔を顰めた。


「とっくに仕事は終わったのに、まだ帰れない」

「回収班が来るまであと少しだ。我慢しろ」


 隣を見遣ると、シャツの袖が破れている。

 顔には殴られた痣、腕を吊っていたはずの器具も今はほとんど用途を果たしていない。新たな打撲や切り傷の痛みがあちこちにあるはずだが、隣の表情にそれを顕すものは見られなかった。


「あー、お腹空いた」

「俺は何も持ってない。辺りには店もない。それも我慢しろ」


「あ、そうだ。あの人、何か持ってなかったかな。所持品をちょこっと探ってー」

「やめろ。死人の持ち物なんか漁るな」


「えーっ、ほんのちょっと死体袋を開けてみるだけだか……」

「やめろって言ってるだろ。それ以前に規定違反だ。ほら、これでも食ってろ」


 涼川はポケットから取り出したものを隣に放った。

 相手はそれを片手で器用に受け止めた。


「何これ」

「飴だ。受付の榎木えのきさんから貰った。それしかない」

「ああ、あのごっついオバちゃんか。まぁしょうがないからこれで我慢、って、何これマズ……トイレの芳香剤の味がする」


「嫌なら出せ」

「嫌だよ、もったいない。でも涼川が口移しで欲しいって言うなら……」

「いらん。馬鹿馬鹿しい」


 涼川は相手から目を逸らして、足元の死体袋を見下ろした。

 今更のようによくよく見れば、ホームには血が点々と散っている。

 既に闇になった空を見上げれば、夕刻の予言めいた言葉どおり雨が落ちてきそうだった。

 ここで起きた罪は消えなくても、血は雨が洗い流してくれるだろうと思った。


「ねぇ、涼川」

「なんだ」

「私は死ぬまでこれをやり続けるんだろうね」

「そうだな」


「ねぇ、涼川。つらい?」

「つらいってなんだ、俺がか? なぜだ」


「私は元からまともに生きられないし、まともに死ねるはずもない。でも涼川は違う。私と父親が同じってだけの、半分血が繋がってるってだけの、そんな他愛もないものに付き合わされてるだけだよ」

「だから俺がつらいと?」


「さっき涼川が言った。生き地獄だって」

「生き地獄だろうが、何だろうが、つらいとは言ってない。それに俺がどう思っていようが、実波には関係ない」

「そっか。まぁそうだよね」


 湿り気を帯びた風が、ホームを吹き抜けた。

 再び生臭い臭気が漂ったが、涼川は無表情でいた。


「ねぇ、涼川」

「なんだ、実波」

「雨、降りそうだね」

「そうだな」


 繰り返すように応えると、ぽつりと雨粒が落ちた。

 闇に佇む駅舎の向こうに、こちらへ近づく車のヘッドライトが見えた。


〈了〉




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ブラッドオレンジキャンディ + ミントソーダ 長谷川昏 @sino4no69

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