第9話 計略
一週間はとうに過ぎた。さらにユミが体調を戻して退院する事になっても、サエが見舞いに訪れることはなかった。そしてどういう訳か、ユミは学校ですらサエを見かける事が無くなってしまった。
何度も高宮の屋敷にまで行こうかとユミは考えた。しかし何にでも筋を通すあのサエが、無断で欠席するなどあり得ない。姿を現さないのは、私を含めて全ての人に会いたくないか、会えないかのどちらかだ。
いずれまた学園に来てくれるし、理由はその時に聞けばいい。ユミはサエを信じていたので、自ら行動することは諦めてしまった。ただ肌寂しさだけは、最近強くなる寒さと共について回った。
そうしているうちに学年課題の発表会の日が、現実に感じられる程に近づいてきた。
ユミは特にいつも以上の練習をするつもりはなかった。自分は絶対に合格する自信があったし、結果もあまり重視していなかったからだ。
サエと共に高等部に進学するのは既定路線で、レールに乗るのが嫌いなユミですら、そこは揺るぎないものと考えていた。
だからこそ、課題発表会の一週間前、対象者たちの試奏会を完璧にこなした後に放たれたその一矢は、ユミの心臓を見事に貫いた。
「以上です」
いつもの教室。いつもの生徒たちの前。何も違う風景はない中で、老楽師は淡々と最後の言葉を発した。
「何だって?」ユミの口をついた言葉それだけだった。
教室の生徒誰もが、固まって、そして不安な視線を周囲に送る。その先にいるのは、今まで心を許し、共に励んできた級友の一人ひとり。そしてそれ以上の関係の者たちも。
課題の合格者は学年で一名。
見えていた道の両側から巨大な門が滑ってくる。完全に締め切られる前に門の動きが止まる。充分に人ひとりが通れる余裕がある隙間なのに、誰も躊躇して先に足を踏み出せない。
こんな残酷な場面を描ける絵師は、この老楽師だけなのではないかと、皆が思った。
誰よりも先に、ユミが教室を飛び出していた。前後にカバンを揺らし、走った。階段で転びそうになっても、少女の足が止まることはなかった。
サエにこの事を知らせなければ。あの子はそれを知らないに違いないから。
だが、知らせたからといって、どうなるのだろう? どちらが勝つか負けるかのくじ引きを、二人でするのか? 皮肉屋のユミが耳の奥から尋ねてくる。
一瞬足取りが緩んだ。うつ向いて、足元の上履きの先を見る。
談笑しながら登ってくる二人の女生徒たちが、進路を譲ろうとしつつ、不思議そうにユミを見ていた。
今はわからない。それでも前に進みたかった。サエに会い、共有しよう。後のことはそれから考えれば良い。
ユミは再び足に力を入れ、一歩を踏み出した。しかしそのつま先は、永遠に次のステップに届かなかった。
ふわっと、ユミの両足が宙に浮いた。
何が起きたのか、少女には理解できなかった。天だったものがいきなり地になった。つま先と踵が自分の背後から弧を描いて飛んでくる。
最初は頭に、その次に肩口に強い衝突の痛みを感じた。受け身も取る暇もなかった。そのままユミは体を軸にして、手足を人形のように振りながら、階段を下まで転げ落ちた。
気づいた時には、踊り場の床に右の頬を付けていた。タイルの冷たさは感じない。指先に感覚が無く、本当に首の下に体があるのかすら疑問だった。ただユミという物体がそこに落ちているだけのようだった。
真っ赤に染まったユミの視界が、徐々に狭まっていく。激痛で精神が崩壊する前に、心がユミを眠りにつかせようとしているのだ。
ユミの黒い瞳は最後に、足早に階上に消える二人組の大人びた少女たちの姿と、ひとりの女子の頭に付けられた、赤いリボンが揺れるのを捕らえていた。
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