第二章 お互いの秘め事

第10話 鈴の音は西へ往く

 ヒルカニア西部州のさる街道は、岩山と木々と心地よい静寂に包まれている。人通りはそれなりにあるが、かといって活気づいているというわけでもなく、時折鳥のさえずりに混じって、隊商カールヴァーンの鈴が鳴り響く、という穏やかな時間を繰り返しているのだった。


 寒冷の時が終わりを告げ、灼熱の太陽が表舞台に立った時分。また、隊商カールヴァーンの鈴が高らかに鳴り響く。荷を積んだ騾馬らばが長い列をなして、ゆっくりと歩いていた。このあたりでは比較的規模の大きい隊商カールヴァーンだ。共に行く商人たちはなごんだ様子で、談笑しながら街道を西へ西へと進んでいる。鈴の音が、彼らの足跡一つひとつに落ちてゆくようだった。


 隊商カールヴァーンの最後尾に、商人には見えない者が二人いた。自分の背丈より少し長い槍を持った若者と、汚れた外套をまとい銀の首飾りをさげている子ども。


「それ、相当な値うちもんだなあ」


 隣から幼い声が聞こえて、二人は顔を向けた。この中で一番小さな騾馬をひいている、一番幼い少年が、真ん丸の目を見開いて彼らを見ている。正確には、子どもが身に着けている銀の首飾りを。


 少年の視線を受けて、その子どもは得意気に胸を反らした。


「これのことですか? 先祖代々受け継いでいる、炎の精霊の首飾りですよ」

「うわあ、なんか大層な代物だなあ。本当にそんないわくつきなのか?」

「いわくつきです。そうじゃなきゃ、いざって時の資金になりませんし」

「……いや、それどういう判断基準?」


 隣を歩いている若者――少年といってもよいくらいだが、騾馬をひく少年よりは年上だ――が、思わずといったふうに口を挟んだ。隊商カールヴァーンの少年も同じことを思ったらしく、しきりにうなずいている。だが、子ども、つまりルーの表情は真剣そのものだった。


「結構まじめな話ですよ。銀細工を身に着けて歩くのはお財布のかわりなのだそうです。移動しながら暮らしていたときの名残だって、長老が言っていました。女子の場合、えっと、なんていうんですっけ、結婚するときのお金……」

結納ゆいのうきん?」

「そう、としてこの銀細工を納めることもあるらしいのです」


 ルーは澄ました顔で解説を終えるが、その後に「さすがイゼットです」と隣の若者をまぶしそうに見た。尊敬のまなざしを受けたイゼットはというと、複雑な顔を隊商の少年と見合わせる。


「すごい世界だな」

「まあ、そういう風習は遊牧民にもよくあるし」

「そーなんだ。っていうか、ルーがクルク族ってマジなんだな」

「マジだよ」


 イゼットが苦笑いに近い笑顔を見せると、少年は「ふーん」と呟き、ルーをまじまじと見た。何やら言いたそうにしていたが、結局言わずに、日に焼けた顔をイゼットの方に向ける。


「兄ちゃんの槍も立派だな」

「ああ……」


 イゼットは少し返答に困って、長年の相棒を見つめる。いざとなれば鋭い刃で敵を圧倒できるそれはだが、今は槍衾やりぶすまをかぶって沈黙していた。


「ルーの銀細工ほど歴史はないけど、いい槍だ。長いこと世話になってる――相棒みたいなものだよ」


 呟く彼の表情に何を思ったのか、少年は「いいな、そういうの」と言って白い歯をこぼした。


 前方の壮年の男が、豊かなひげを揺らして「休憩!」と声を張り上げる。よい水場が見つかったらしい。人と騾馬の群が、そちらへぞろぞろと歩いていった。イゼットとルーも彼らについていく。


 窪地に雨水が溜まったのだろう。小さな池のような穴がいくつもあった。馬や騾馬たちがぐびぐびと水を飲んでいる横で、人間たちも水を補給する。イゼットが水筒に少しずつ水をくんでいると、隣に大きな人影が差した。獅子をも威圧できそうなひきしまった巨体の老人がいた。隊商カールヴァーンの隊長である。イゼットの視線を受けた隊長は、迫力ある外見とは裏腹の、穏やかな笑みを見せる。


「イーラムまで、あと二パラサング(約十一キロメートル)はある。そこまで一緒に来るといい」

「はい。あの、ありがとうございます。同行させていただいて」

「何、気にするな。力仕事を手伝ってもらったり、若い連中の暇つぶしに付き合ってもらったりと、こっちも助かっているからな。お互い様というやつさ」


 隊長は声を立てて笑う。イゼットも少し釣られてしまった。


 彼が水筒の口を閉めている横で、隊長は何やら思わしげな表情で西方をにらんでいる。それに気づいたイゼットは、思わず「どうしたんですか」と声をかけていた。隊長は、若者の顔と自分たちが進む方角を交互に見た後、重々しく口を開いた。


「おまえさん方、さらに西へ行くんだろう」

「はい。マークーからペルグ王国へ出て、さらにイェルセリアまで。その後どうするかは、まだ決まっていませんが」

「ふむ……それなら、気をつけることだな」

「……え?」


 イゼットは思わずまばたきする。隊長は「何」と呟き、なおも厳かな口調で続けた。


「現状ヒルカニアは平和で物も豊かで、情勢も安定している。しかし、ペルグは西洋人の帝国の属領で現状が見えんし、イェルセリアも宗教闘争の残り火がそこかしこにあって物騒だ。おまえさんが何を信仰しとるかは知らんが――もう一人の坊主に関しては、本人ともども注意を払った方がいい。これは確実だ」

「ルーがクルク族だから、ですね」

「それがわかっているなら、たぶん大丈夫だな」


 隊長は、歯を見せてにやっと笑うと、立ちあがる。イゼットもそれにならいながら、この老人の発言について少し考えた。


 現状、近隣で主に信仰されているのはロクサーナ聖教だ。対して、ルーをはじめとするクルク族は、聖教以前の精霊信仰をいまだ保っている。さまざまな宗教にわりと寛容な西部州ですら、この信仰の違いを理由にしたクルク族と他の人々の揉め事の噂は後を絶たない。――確かに、ルーと行動を共にするなら、十分すぎるほど気をつけておいた方がいいだろう。


 後で話し合っておこう、とイゼットが決めたとき、「休憩終わり」の声が隊商カールヴァーン全体に響き渡った。


 そののち、三刻弱ほどで、イーラムの城壁が見えてきた。商人たちがざわざわと盛り上がる中、イゼットは隊商カールヴァーンの隊長から聞いた話をルーのもとへ持ち込んでいた。


 ルーは、神妙な顔でうなっている。

「むう。実は、アハルまでの道中でも、クルク族だからと敵視されたりひどいことを言われたりしたことはあったんですけど……」

「そうなんだ。まあ……そうだよね」

「です。でも、それは単に、ボクらが怖がられているからだと思ってました」

「だからこそ、かもしれないな」


 イゼットが呟くと、ルーは首を傾けた。しばらく悩んでいた彼女はしかし、ほどなくして彼の言いたいことがわかったらしく、また真剣な面持ちになる。


 クルク族が怖い。断崖のような坂を息も切らさず駆けのぼり、その身ひとつで獣を仕留める彼らが怖い。そう思う人たちはたくさんいる。イゼット自身、ルーに出会うまでは、クルク族のことを心の底では警戒していた。


 だからこそ、怖いからこそ、人々はクルク族の精霊信仰を否定する。そういう一面がある。そして、旧来の精霊信仰を否定するのに、ロクサーナ聖教の信者という立場はちょうどよいのだ。聖教は新しい信仰だ、だからおまえたちの信仰よりも立派なのだ、という屁理屈をこねることができるから。


「ふしぎなものですよね。元は同じ精霊信仰なのに」


 ルーは、怒るわけでもなく、ひたすら首をひねっている。その姿に笑みをこぼしつつ、イゼットは相槌を打った。


「まあ、今では聖教の中でも派閥ができてるくらいだしね。みんながみんな同じものを信じて仲良く、っていうのは難しいよ」


 割りきったことを言うような彼の胸中にも、ほろ苦いものがこみ上げる。だが、思いは大きく広がる前に、男たちの大声にかき消された。イゼットとルーが声のした方を見ると、商人たちが立派な甲冑かっちゅうを着こんだ男となにかやり取りをしているようである。男の背後には、鮮やかな街並みが広がって、奥へ伸びていた。いつの間にか、イーラムのすぐ手前に到着していたようである。


 大所帯の隊商カールヴァーンは、怪しまれることなく街へ通してもらえた。イゼットたちも快活な笑顔に見送られて商人たちについていく。


 しかし、その直後。イゼットは足を止めて、顔をしかめた。右腕を強い痛みと痺れが駆け抜ける。つかの間感覚を奪われた手から、荷物が滑り落ちた。どさり、という音がして、一瞬隊商カールヴァーンの歩みが止まる。先の甲冑の男にも怪訝そうな顔をされた。


 イゼットは、双方に手ぶりで謝ってから、息を吐く。腕と手の感覚が戻ってきたところで、荷物を再び担いだ。体はいまだに少し重い。心と体に、いくつも鉛をぶら下げているようだった。


「大丈夫ですか?」


 憂いのにじんだ声がする。イゼットがはっとして隣を見ると、大きな黒茶の瞳がすぐそばにあった。唯一、一部始終をきちんと見ていたルーが、声をかけてきたのだ。イゼットは「大丈夫」ときっぱり言ったが、連れの表情は晴れない。


「辛かったら言ってくださいね。なんならボクが二人分の荷物を持ちますので!」

「い、いや。それはさすがに申し訳ない、というか……」

「問題ないです! 二人分の荷物でも、酒樽四個に比べたら軽いですから」

「うん。なんの話かわからないけど、詳しく聞くのはやめておこう」


 この手の話は聞けば聞くほど気が遠くなる。慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。

 イゼットがしかつめらしい表情をすると、ルーは声を上げて笑った。


 若者は少女と並んで、また隊商カールヴァーンの列に続く。心の鉛は少しだけ、どこかに転がり出ていったようだった。

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