私のお星様
少し蒸し暑い、夏の夜。今日は熱帯夜だとかなんとか。
寝間着に着替えて洗面所から出ると、彼女がテーブルの席について待ってくれていた。
「お待たせ。暑かったか、春海?」
「
彼女が屈託のない笑顔で微笑む。
そう言われると、買って良かったと心底思う。
「喜んで貰えて良かったよ。……あ、そうだ」
「?」
不思議がる彼女を他所に、冷蔵庫を開ける。
そこからカップアイスを2つ取り出す。
「はい、これ。今日は暑いし」
「わぁ、アイスね!」
パァッと顔が明るくなったのも束の間、一気にシュンと暗くなり、肩を落とし始めた。
「……春海?」
「う、うぅ……」
手の中にカップアイスを握りしめて、何やら唸り始めた。
その理由は1つしかない。
「春海、安心していい。いざと言う時は俺も一緒に走るから」
「……うん」
俺がそう声を掛けると彼女の表情が和らいで、嬉々とした顔でフタを開けた。
俺もフタを開け、同じタイミングで一口目を頬張る。
「冷たくて美味しい……」
「うん。美味いよなぁ」
2人向かい合って、お互いの笑顔を眺めながらアイスを食べる。
そんな何でもないことが嬉しい、午後7時のまだ明るい夜だった。
***
夢原春海と出会って10年。
夢原春海と付き合って6年。
あの日からさらに年月を重ねて。
神野秋仁。
神野春海。
俺たち2人は、家族になった。
そして、結婚して2年が経っていた。
☆☆☆
二人並んで、帰路につく。
夏が近いので、俺たち学生は中間服で過ごすことが多い。
まだブレザー姿の猛者もいるけど、暑くないのかアレ。
「……なぁ、春海」
傍にいる、彼女に声をかける。
「……何か用かしら」
素っ気ない返事が返って来た。
夢原春海。
彼女と帰ることが最近多くなっていた。
理由は単純明快で、放課後は共に行動していることが多いからだ。
共通の趣味───小説の執筆、という繋がりだけが俺たちを結びつけるものだった。
「あ、あぁ……」
「あのね、仁野くん。要件があるならちゃんと、頭の中で整理してから、口に出して」
「あぁ、ごめん」
間の抜けた声が、自分の口から発せられる。
我ながら気持ち悪い。
「あと、春海って呼ぶのはやめて貰えないかしら?」
横目で俺を見てくる。
「分かったよ。……なぁ、夢原」
「……」
ちゃんと名前で呼んだにも関わらず、彼女は目を丸くしていた。
「なんだよその目」
「い、いえ。あなたが素直に聞くとは思わなかったから……驚いただけ」
「ふぅん……」
曖昧な返事をしながら、そっぽを向いてしまった彼女の顔を覗き見る。
はっきり分かったのは、口元を抑えていたことだけだった。
☆☆☆
「あの結婚式、今考えても凄かったよなぁ……」
飾られた記念写真を、春海と一緒に眺めながら呟いた。
「……本当に、一緒モノね」
彼女も愛おしそうな眼差しを向けながら、うんうん、と頷いていた。
写真に双方の両親の姿はない。
同年代の奴らだけが集まって撮ったから、当然だけど。
中央に俺と春海、それを囲むように元クイズ研究会のメンバーや、春海の担当編集さん。
そして隠しゲストとして来て頂いた、ピアニストの瀬海琴さんと、その付き添いで高島雄介さん。
2人とも俺たちより2つ年下で、春海と揃って驚いた覚えがある。
そして、俺は知らなかったのだが、春海の行きつけの喫茶店の店員さん達も来ていた。
その時初めて会って、一緒に写真を撮った。
気さくな方が多くて、春海がよく行くのも分かる気がした。
今度、連れて行って貰おうかな。
***
少し時代遅れの、オレンジ色の電球から放たれる光が、私達を柔らかく照らす。
「……」
彼の視線は、結婚式の写真に固定されたまま。
その横顔を眺めていると、少しだけ邪な感情が湧き上がってきた。
「──────」
テーブルの上に置いてある手を、上から優しく重ねて、握る。
「……っと」
彼の体と、握った手がビクリと震え、顔が私の方を向いた。
「……は、春海。いきなりはビックリするんだが」
少し困ったような顔をして、その癖して、口元には笑みを浮かべていた。
「びっくりした?」
「……少しだけ、な」
そう言って、ゆっくりと指を絡めて来た。
「……」
嬉しくてつい頬が緩みそうになる。
何とか堪えたけど、彼が見逃がすわけが無かった。
「それが狙いだったのか」
「そうよ。こういうのも、たまには、ね?」
ギュッと、少し力を強めた。
繋いだ手を通して、彼の鼓動が、彼の熱が伝わってくる。
「トクン、トクンって、早くなってる」
「うぅ。そ、それは、言わなくてもいいだろっ」
少し赤みを帯びた彼の顔が可愛くて、その唇にキスをした。
「……大胆だなぁ」
「〜〜〜ッ。さ、最近はあなたも忙しかったじゃないっ。ようやくひと段落着いたんだもの、少しだけ甘えたってバチは当たらないでしょう?」
「俺としてはもっと甘えてくれるとありがたいね」
その言葉に、一気に身体が熱くなる。
思考がうまく纏まらなくなった。
「そ、そんな歯の浮くような台詞ばっかり言って……!」
「本心なんだけどなぁ……」
そう言って、彼は困った顔をする。
私も恐らく、同じ顔をしていたのかもしれない。
「……ぶはっ!」
「……ふふっ」
お互いにそんな顔がおかしくて、つい笑ってしまった。
***
「春海、そろそろ寝ないと」
「分かってる。でも、もう少しだけ」
キーを叩く音が、耳に心地よい。
その音を聞きながら、彼女の顔を眺める。
あの頃とは違って、執筆をする時は眼鏡を掛けるようになった。
とても似合っていたから、執筆の時以外でも掛けてもらうようにお願いしたら、微妙な顔をされてしまった。
「……眼鏡、やっぱり似合ってる」
「ありがと。でも、書いてる時以外は掛けないからね」
こちらを向いて、ニヤリと微笑む。
「─────」
彼女の笑顔に目を奪われて、ハッと、息を呑んだ。
初めて会った時の、あの不機嫌そうな顔を思い出す。
パソコンの画面に向かい、真剣な面持ちで画面とにらめっこする。
俺の感想を聞いて、大泣きする。
一緒に帰っている時、ぼうっと空を見上げる。
急にクイズを出されて、驚いた顔をする。
クイズ大会で頬を赤く染めながら、俺に手を差し出す。
あの日の倉庫で、顔を膝に埋めながら想いを伝える。
隣に引っ越して来た後、嫌な顔一つせずに毎日の俺の訪問を笑顔で待つ。
元日に、知り合いで集まった際に一人だけ爆睡する。
結婚式で、大ファンの人に会って号泣する。
そして、俺の前で静かに眠る。
そして、誕生日プレゼントに目を輝かせる。
そして。そして。そして───
「私という夜空に輝く一番星は、いったいどこにあるんだろう」
俺の呟きに、彼女が、顔を上げる。
そうして、柔らかく微笑んで、言った。
──────ここに、ね。秋仁
私のお星様 こうやとうふ @kouyatouhu00
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