21/真実
「──とう……さん……」
目を開くと、僕は天井を見上げていた。
視界の半分は黒く、立体感のない世界は──まるで絵画のようだ。
「ユウ!」
隣で母さんの声が聞こえる。
──ひどい顔。
化粧もせず、寝ていないのか目の下にクマができていた。
「すぐ先生呼んでくるから!」
バタバタと母さんは部屋を出て行く。
「ここは──保健室……?」
──いや、違う。ベッドに僕の名前の札があるし、テレビもある。
身体の節々が痛む。布団を剥いで身体を見ると、手と足に包帯が巻かれていた。
──病院? 交通事故にでもあったのか。
何があったのか思い出せずにいると、裾の長い白衣の男が部屋の中に入ってきた。
──医者、かな?
淡い緑のカーテンを閉め、男はベッドの隣にまで来ると丸椅子に座った。
そして、あとから母さんもカーテンの中に入ってきた。
「やあ、目が覚めたかい? 身体の調子はどうかな?」
「あっ、はい。えーと……あまりよくない気がします。体に力が入らないし、目もなんだか霞んでいるようで……」
視線を隣に向けると、母さんが鼻をすすって泣いていた。
「……だろうね。ところで、自分の名前は覚えているかい? 今日の日付は?」
「名前──ですか? 過咲……過咲優です。今日はたしか、誕生日前日の五月十二日だったと思います」
医者と母さんが目を合わせ、しだいに母さんの表情は曇っていった。
不安そうにしている母さんに向かって頷くと、医者は僕の目を見て静かに口を開いた。
「……過咲君。落ち着いて聞いて欲しい。今日の日付は──」
「……はい」
不穏な空気が漂う中、僕は頷く。
「今日の日付は……七月七日なんだよ」
「……え?」
──七月、七日? いや、でも今日はたしか──。
医者から視線を逸らし、もう一度今日の日付を思い出すことにした。
回想の中を
誰かに──たしか女の子に「誕生日は家にいて欲しい」と言われた気がする。
──あれ? でもなんで家にいなきゃいけなかったんだっけ?
首を傾げる。
やはり、どれだけ記憶を遡っても僕の答えは変わらなかった。
「……あの、たぶん先生の勘違いです。やっぱり五月十二日だと思いますけど」
──いや、十二日は登校してたから、十三日か?
「……なるほど、わかりました。今は無理に思い出す必要もないでしょう」
しばらく様子を見ましょうかと医者が言うと、母さんは鼻をすすって頷いた。
「息子さんが目を覚ましたことを警察にお伝えしますので、お母さんは必ず隣にいてあげてください」
「はい、ありがとうございます」
そう言い残すと、カーテンを開けて医者は部屋を出て行った。
「……母さん、なにがあったの?」
「ユウ、いいのよ。今はとりあえず休まないと」
それから一時間、いや、二時間くらいだろうか。時計を確認できないのでよくわからないが、しばらく経ってから警察が来た。後ろには医者も待機している。
そして、警察から僕の身に何があったのか伝えられた。
僕の身に起こったこと。伊達の事件の犯人のこと。
そして、徹が全てを自白したこと──。
断片的な記憶が息を吹き返す。
抉られた左目、粉砕された左手、腱を切られた両脚──。
その記憶は全て──まぎれもなく僕のものだった。
「あの日、水見心音さんが通報してくれたんです。連絡が急に途絶えたから、もしかしたら──と」
警察は続けて話す。
「過咲君の家に電話を掛けた際に確認した、母親に残したメモが決定打になったそうです」
昏睡状態の間、伊達の事件の解明もずいぶんと進んだようだ。
僕が母さんにメモを残さず、水見さんにも行き先を伝えていなかったら、2つの事件の犯人は捕まえられなかっただろうと警察は言う。
重なる偶然と、たまたま落とした右足の靴が、死の監獄と警察とを繋いだということだ。
伊達と僕の事件の犯人が同一人物である証拠は、今噛家の家宅捜索による事件の裏付けから証明された。
徹の日記には、水見さんへの病的なまでに歪んだ愛情、伊達や僕に向けた憎悪が綴られており、十一月十三日の日記にはその犯行内容が書き記されていた。
──ボールペンで眼球を貫いた感触。ペン先から滲む硝子体。
──手を砕く感触。隆起する骨。
──伊達が苦悶に耐える表情。
──肉を切る感触。皮膚と肉を灼く匂い。
──指を、舌を、そして生きる希望すら奪う快楽。
まるで自分の感情を抑え込むかのように──伊達の全てを支配した瞬間がそこに鮮明に刻まれていた。
警察署での彼の供述によると、僕への犯行は伊達の事件を計画する段階で既に組まれていたそうだ。
むしろ本命は僕で、伊達の事件は布石。どうやら、水見さんが僕に好意があること自体が気に入らなかったらしい。
そして二つの事件の共通点は、不吉とされる十三日の金曜日──。
伊達が暴行を犯した月の十三日がたまたま金曜日だったのと、僕の翌年の誕生日がたまたま金曜日であったことが犯行を後押しした、と本人が証言している。
あえて殺さなかったのも、長く長く苦しめるためだそうだ。
もっとも、僕のことは最初から殺すつもりだったらしいけれど──。
「水見さんは、ずいぶん前から今噛が犯人である目星はついていたようです。脅迫状に付着した赤のペンキと、いくつかの質問に対する彼特有の爪を噛む癖でね。どういうわけか警察には頼りたくなかったみたいですが……」
そりゃ自分を疑う組織に協力なんてしたくはないでしょうが、と警察は皮肉を言った。
「どうやら彼女が以前購入した赤のペンキを、今噛が貸して欲しいと言ってきたようなんです。事件前日までずっと、彼の様子を伺っていたようですよ」
つまり、脅迫状を水見さんに見せていなければ、計画通り警察に捜索されずに死んでいた、ということになる。
──この怪我は、水見さんの注意を無視した報いだな。
「──それで……徹は今どこに?」
「当たり前でしょう。いるべき場所に──ですよ」
──いるべき場所ということは、おそらく少年刑務所だ。
「あの、今すぐでなくてもいいんですが……徹に会って話すとか無理でしょうか」
「……やめておきなさい。彼はもう犯罪者だ、会うべきじゃない。憎しみの矛先である君が、彼の目の前に立つことは賢明じゃ──」
「それでも──」
言葉を遮る。遮ってでも言うべきなのだと、僕の心が叫んだ。
「──それでも、人を恨んじゃいけない。憎しみは繰り返しちゃいけない」
ふいに出た言葉は、夢の中で見た父さんの言葉だ。
「……繰り返しちゃいけないことを──徹に伝えたいんです」
それを聞いて、警察は目を丸くした。
「……ふふ。こりゃ参ったね」
警察はワシャワシャと髪を掻く。
ため息をついてから視線を床に落とすと、小さな声で呟いた。
「たとえ離れても、意志もその瞳も、あの人そのもの──か」
僕の目を見て、警察は言う。
「過咲君──君の気持ちはわかった。だが今は、君自身の身体を最優先にするべきだ」
「……わかりました」
自分の心を救うのは報復ではない。もし夢の中の出来事が過去のものなら、擦り込まれた父さんとの記憶は──きっと〝人を赦す〟ことだ。
「──ところで、過咲君」
「……はい」
「つまり、だ。その考えに乗っ取って言うなら、伊達君のように君を苦しめていた人間も許せるというのかい?」
警察は僕の心を覗く。
「──そうするべきだと心が望むなら」
それに応えるように、僕は真っ直ぐ目を見て述べた。
「……まるであの人らしい、期待通りの〝答え〟だね」
そう言うと胸ポケットから名刺を出し、裏側に病院名と部屋番号を書いて僕に渡した。
「伊達君はここにいる。でも──忘れてはいけない。君にとってのあの子は、いじめの加害者なのだから──」
警察は「友達として〝寄り添う〟ことにするのか、他人として〝距離を取る〟のか──自分が歩むべき道は、自分で決めなさい」と言った。
苦悩して導き出した答えは──誰が何と言おうと尊いものなのだから、と微笑みながら。
「ありがとうございます」
「……自分を大切にな、過咲君」
「それでは失礼します」と母さんに一礼をして、警察は部屋を出て行った。
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