TWO-SWORD STORY
@taku-min
第1話
「ユニコーンズ代打のお知らせをいたします。九番、カーストに代わりましてピンチヒッター、ヒエル」
その瞬間、場内アナウンスをかき消すような大歓声が球場内を包んだ。
「おお。やはりここできましたか。代打の切り札投入ですよ、解説の高鳥さん」
アナウンサーが高揚を隠しきれないといった口調で言う。
「そうですね。九回裏ツーアウト満塁。点差は実に一点。役者は揃ったといったところじゃないでしょうか」
往年の名捕手として名を馳せた高鳥は言った。
ヒエルはネクストバッターズサークルでバットのグリップにスプレーを一吹きした。そして自身のバットにもそれを入念にかける。
そして、ゆっくりと立ちあがってバッターボックスに向かう。その姿は正に達人然としている。
「今シーズン限りで引退を表明しているヒエル選手。果たしてサヨナラ打となるでしょうか」
一瞬、フェアという立場であることをすっかりと放棄してしまったアナウンサーだが全米中、彼を批判する人はほとんどいないだろう。相手チームの応援席からも拍手が送られヒエルはバッターボックスについた。
ホームベースをバットでチョンっと触りそのまま大きく構えた。これが彼のルーティーン。その仕草だけで場内のファンはどよめく。
「ああっ! でました。ヒエル選手。もう一本のバットも構えました」
アナウンサーが言うと同時に女性の悲鳴交じりの声援が飛んだ。
ヒエルの下腹部はもっこりと屹立し、手にしているバットと同じサイズのモノが現れた。
「二刀流ですね」
高鳥は冷静を装いつつ言うが、その手はヒンヤリとした汗を握っている。
大谷○平の出現から一世紀が経った頃、ここアメリカンベースボール界に再び二刀流の選手が誕生した。
名をヒエル・イーストン。彼は第三の脚を持つ新人類である。
○
二十五年前、ドラフト一位に指名され鳴り物入りでメジャーリーガーとなったヒエルは、デビューして二年目のシーズンを迎えて、酷いスランプに陥っていた。
決して〝二年目のジンクス〟といった生易しいものではない。この不調は彼の生来の悩みに起因していた。
ヒエルはルーキーイヤーから類まれなバッティングセンスでレギュラーの座を掴んだ。そしてその年のワールドシリーズでは、MVPに選出された程の大活躍をしたヒエルは富と名声を得た形になった。
街を歩けばたちまち人だかりができる。サインを求められ快く応じるとファンは感涙にむせぶ。
しかし、ヒエルは決して天狗にはならなかった。否、なれなかったという方が正しい。彼は大きな悩みを抱えていた。
それは、ペニスのサイズだった。
一躍、若きヒーローとなったヒエルの周りには、彼を求める異性が群がり、選り取り見取りだ。
その日は、某オスカー女優に言い寄られ一夜を共にした。しかし、ヒエルのコンプレックスが彼を苦しめることとなる。
ヒエルのトランクスを下した彼女はキョロキョロと辺りを見回した。
「えっ。どこ? どこにあるの?」
狼狽を隠せないといった様子でそんな言葉を口にした。
その後、彼女は親指と人差し指で何とかヒエルのソレを摘まんで咥えた。まるで麺でもすするかのように口をすぼめている。
ヒエルは、何とか芯のある状態になったことに安堵した。そしてソレを彼女の性器に突きたてて、懸命に腰を振る。彼が頑張っていると、地響きがするようにゴゴゴゴという音が鳴った。
「ヘイッ。地震だよ。避難しなきゃ」
ヒエルは声を荒げて言うが、反応がない。薄暗い中、恐る恐る彼女の顔を窺うと、ゴジラのようないびきをかいて死んだように眠っていた。
彼のソレはシュンとして、より小さく縮んだ。
虚無感に包まれたヒエルは、彼女を置いて逃げるようにホテルを後にした。
「シット! 何で俺の息子はこんないも小さいんだ。これじゃあ、まるでイッツァ・スモールワールドだぜ」
すっかり自尊心が傷つけられたヒエルは早朝の摩天楼を見上げてそう叫んだ。すると、何処からか彼に語りかける声が聞こえた。
「あいむ そーりー。あいむ そーりー。」
ヒエルは辺りをキョロキョロと見まわすが、地べたに寝転がる浮浪者の姿しかない。
「ココニイルヨ。ココニイルンダヨ。
ゴメンね、小さすぎて見えないよね。マイファーザー」
ヒエルはハッとして気付いた。先程は慌ててホテルから飛び出したので、ジーンズのチャックが全開だったのだ。そして社会の窓からは、ちょろっと息子がコンニチハしている。
「おぉ、我が息子よ。謝らないでくれ。こちらこそ、こんな父親で申し訳なく思っているのだから」
ヒエルは真下を向きながら真剣に自身の股間と談笑している。その様子は異様な光景だった。
そのとき、けたたましい轟音と共にパトカーが猛スピードで進んで行った。何か事件でもあったのかと悠長にそれを眺めていると、数名の警察官が前方から駆けて来た。
「ヤバい。ポリスマンだ。このままだと、わいせつ物陳列罪で逮捕される」
ヒエルは急いでチャックを閉めようとすると、彼らは一瞥をくれて通り過ぎ、何処かへ行ってしまった。
「ハハハハハ。ヘイブラザー! 笑ってくれ。ポリスマンたち行っちまったよ。どうやら俺のモノはわいせつじゃないときた」
ヒエルは自身の矮小なソレと同じようにシュンとした。
○
「ヘイ、ヒエル。なんてことをしているんだ」
球場に着くなり、同僚のマイコウは血相を変えてやって来た。
「一体、なんのことだい?」
ヒエルは眠い眼をこすりながら聞き返す。
「そうか。知らないようだな。これを見てみろ」
彼はスマートフォンを突き出した。そこには、ジーンズのチャックからおたまじゃくしのような物体を露出させた自分の姿があった。
「な、なんだこれは」
ヒエルは絶句した。
「一般人の投稿なんだが、今朝ブラザーがニューヨークの真ん中で下半身を露わにしている写真がネットにあげられたってフロント陣が騒いでたぞ」
マイコウは、半信半疑といった顔でヒエルの顔を覗き見る。
「い、いや。今朝は自宅から出てないよ」
ヒエルは言った。
「そうか。つまり酷いコラージュってことだな。俺もそう思っていたんだ。これじゃあ、ウチの小学生の息子の方が大きいからな」
彼はアハハと快活に笑ったので、ヒエルも笑顔を作った。
「それならいいんだ。早くフロント陣にそう報告して来いよ。きっと今頃、右往左往してるぜ」
ヒエルは首肯して、オーナー室に向かった。
「まったくけしからん一般人だな。スター選手の君に嫉妬してるんだろう」
球団オーナーのホンプキンズは開口一番そう言った。
ヒエルは、ハァと生返事を返すと彼は、
「そんなに気にすることはない。有名税だと思って耐えるんだ。フロントの弁護士先生に相談して相手から賠償金をがっぽりと請求しよう」
と鼻息を荒くして言った。
「いえ。写真投稿の削除だけ依頼してください」
焦ったヒエルは声を裏返し気味にしながら、ホンプキンズを制止した。
「全く、君は成人君主だ。金・顔・名誉の三拍子そろっている。これじゃあ、世の女性たちは君を放っておかないな」
オーナー室には、太ったホンプキンズの高い笑い声が無情に響いた。
○
アメリカ全土を支配するある価値観がある。
それはモテだ。
米国において、男性は異性にモテてこそ一人前であるという価値認識が蔓延している。
どんなに勉強ができても、スポーツができてもモテなければその人は自尊心を保つことが困難である。
ではヒエルはどうか? 野球エリートだった彼はモテることはモテる。
しかし、彼の自尊心は決して満たされることはなかった。その理由は前述の通り、彼のイチモツに起因している。
話しは、彼が初めて異性と交際したジュニア・ハイスクール時代に遡る。時期はハロウィーン。
ヒエル少年は親の不在を盗み見て、ガールフレンドを自宅に迎え入れた。
魔女のような仮装をした彼女は、
「トリック・オア―トリート」
と上目遣いで聞いてきたので、
「トリック!」
ヒエルは迷わずに答えた。
それからというもの二人は灯されたかぼちゃのように火が点いた。愛の言葉もそこそこに、若い二人はお互いを求めて燃え上がった。
そこからは、先のオスカー女優と同じ反応だった。
「これじゃあ、私のクリちゃんの方が大きいわ」
彼女はそんなジョーク飛ばしたが、その言葉はヒエルにとって今まで受けたどんなデッドボールよりも痛かった。
その日を境にヒエルのソレは機能を失った。
○
「心因性インポテンスですね」
医師は険しい顔でそう言った。
初情事の後、心身共に元気をなくしたヒエルを見かねた父が事情を聴き出し、隣町の病院に彼を連れて来た。
「先生、孫は元気を取り戻すんでしょうか?」
同じくカウンセリングルームに入った父親が医師に尋ねた。彼も男として息子のムスコ、つまり孫のことは心配であったらしい。
医師は頭を振った。
「ええ。非常にデリケートな問題ですが。私にお任せください」
続けて医師は、〝オトモダチ療法〟でいきましょうと神妙な面持ちで言った。
「オトモダチ療法?」
父は思わず聞き返した。ヒエルと父親、一体どちらが当事者か分からない程に、父は医師に対して熱心に質問する。
「ヒエル君は熱心に野球をやっているようだね。それでは、球技を例に説明してみよう」
医師によると〝お友達療法〟とは、自分のムスコを文字通り、実際のフレンドのように扱う治療法であるという。心因性インポテンスにおいて、最もよくないことは、自分自身を責めることだと続けた。
「かつてボールは友達と言ったコミックの主人公がいましたね。彼同様、君も自身のバットに人格を与えて、それとお友達になって肯定感を与えることで機能を取り戻すのです」
医師は飽くまで真剣な表情で説明を続ける。
「インフォームド・コンセントによって説明しますと、選択権はヒエル、君にあります。どうでしょう。この療法でよろしいですか?」
ヒエルは突然、そう尋ねられてたじろいだ。まだ若く、判断がつかないヒエル少年は、藁にもすがる思いで「イエス ドクター」と答えた。
「グッド! よく決意した勇敢なヒエル君。……。それではカルテにフレンド名を登録するので、君のムスコさんに名前を付けてください」
医師は至って真剣な眼差しでヒエルを見つめた。ヒエルが二の句を継げずにいると、父がそれを見かねたのか、
「オタマ・ジャクソンはどうかね」と言った。
ヒエルと医師は口を揃えて、オタマ・ジャクソン? と聞き返す。
「イエス。勿論、これはおたまじゃくしに由来している」
父は訥々と続ける。確かに、今はおたまじゃくしのように未熟かもしれない。しかし、いつかはおたまじゃくしが立派なカエルに変態するように立派になって欲しいという願いが込められている。
「グレイト! 素晴らしいですよお父さん。ねえ、ヒエル君」
急に呼びかけられたヒエルは困惑を隠せないといった面持ちだ。そんなヒエルを見て、医師は指を鳴らす。
すると、すぐさまやって来たナースに耳打ちをした。頷いた彼女は、いそいそとバックヤードに消えていった。
「ときに、お二人は〝天まで駆けるよ〟という歌を知っていますか?」
医師の唐突な問い掛けに二人は首を横に振った。
「まあ、ご存じでなくても無理はありません。これは日本の小学生が音楽の授業で歌う曲なのですが、正におたまじゃくしがカエルに育っていく成長過程を歌ったものです」
そう言うと、先程のナースが大きなギターケースを担いで足早にやって来た。医師はそれを受け取ると中からギターを取り出した。
「私はこの歌をヒエル君に捧げたいと思います」
ギターのストラップを肩にかけて、チューニングをし始めた医師をイーストン親子は静かに見守った。
そして、医師は演奏を始めた。
♪天まで駆けるよ
作詞・作曲/柚 梨太郎
おたまじゃくしがいつか かえるに変わるように
ぼくらも生まれ変わる 時が来るのさ
かかとをあげて 背伸びすれば
広がるよ 明日が 次から 次へ
新しい 扉の 鍵を開けてゆく
昨日と同じ ままじゃないのさ
天まで駆けるよ おしまいなんてないのさ
踏まれても伸びていく 名もない草のように
僕らも生まれ変わる 時が来るのさ
1度でうまく できなくても
しょげないでいいのさ いつか必ず
新しい 扉の鍵が 見つかるよ
昨日と同じ ままじゃないのさ
天まで駆けるよ おしまいなんてないのさ
ぼくらは生まれ変わる 何度も生まれ変わる
必ず生まれ変わる 天まで届く
決して上手いと言い難いその演奏だったがイーストン親子は胸を打たれて、「ブラボー!」と口を揃えて言い惜しみのない拍手を送った。
「僕のジャクソンもいつかは天まで届くように治療に励みたいと思います」
続けてヒエル少年は涙を流しながら自身の股間に向かって話しかけた。
「よろしくな。マイベスト・フレンド ジャクソン!」
○
主治医の治療の甲斐あってか、ハイスクールに進学した頃には、ジャクソンは徐々に快復に向かっていた。
しかし、これは根本的な治療には至っていなかった。
そう〝サイズ〟である。
ヒエルは常に股間に爆弾を抱えていると考えていただきたい。それが一度、爆発すると彼の築き上げてきた自尊心は一瞬で吹き飛ぶことになる。そして、一つの記事が彼の爆弾のスイッチを押してしまった。
〝メジャーリーガーヒエル・イーストン。
股間はリトルリーグ級!〟
そのゴシップ記事はアメリカ全土を揺らした。
「どういうことだヒエル。あの写真はコラージュだと言ったじゃないか」
ホンプキンズオーナーは語気を荒げた。周りには十名くらいだろうか、ユニコーンズの首脳陣が顔をしかめて座っている。
ヒエルは鳴りやまぬ携帯電話のコール音に叩き起され、オフシーズンにも関わらず球団本部ビルに呼び出された。
「とにかく、来てくれ。話しはそれからだ」
ヒエルは電話越しに聞いたエージェントのその一言で背筋に悪寒が走った。
「申し訳ございません。全て事実です」
オーナーからの糾弾に耐えかねたヒエルは全てを認めた。それは露出騒動から一ヶ月が経過して、盗撮された写真のことなど半ば忘れかけていた頃だった。
「あのとき正直にそう答えてくれたら、こちらも各方面に手回しできたっていうのに。どうやら君はモラルの方もリトルリーグに所属しているらしい」
首脳陣の下衆な笑いが会議室内を包んだ。
「ヘイ、キッド。君は毎度のこと僕の足を引っ張ってくれるね」
ヒエルは自身の相方ジャクソンに憎まれ口を叩いた。しかし相方は返答を寄越さない。
「おいっ! 聞いているのかこの野郎」
いくら声を荒げても控えめな彼は一向に口をきこうとしない。ジャクソンとは正反対にヒエルの態度は怒髪天を衝くといった風であった。
「ああ、もういい。君とは絶交だ」
その日、ヒエルは盟友と袂を分かつこととなった。
○
〝打撃不振に嘆くヒエル選手(20)オールスターゲーム選出外〟
ヒエルはその一報を聞きロッカーを蹴り上げた。
「何で去年のチャンピオンである俺にお呼びがかからないんだ」
ヒエルが感情を露わに嘆いていると、今シーズン、彼からレギュラーポジションを奪ったマイコウがなだめてくる。
「おいおい。落ち着けよヒエル。ところでジャクソン君は元気かい?」
マイコウは半笑いを浮かべながら言った。
当時のネット記事には、ヒエルが自身のイチモツと会話している様子を写した動画が出回ったことは記憶に新しい。
「いや。家庭内別居といった風だよ」
ヒエルは努めて冷静さを装いつつ答えた。
「チクショウ! あんな三流プレーヤーにケチなジョークのプレゼントをもらうようじゃあ、俺も落ちるところまで落ちちまったようだ」
ヒエルは同意を求めて一瞬自身の股間に目をやるが、すぐに首を振った。
「まったくクレイジーだぜ」
〝股間に話しかける男〟という不本意なニックネームを付けられたにも関わらず、ヒエルの長年の癖は中々に抜けなかった。
「元はと言えば、あの医者がこんなインチキ療法を俺に押しつけたのが諸悪の根源だ」
そう考えだすとヒエルは腹立たしくていてもたってもいられなくなった。そして、携帯電話を取り出し、かつて通ったクリニックのナンバーをコールした。
「お電話ありがとうございます。こちらネハダクリニックでございます」
落ち着いた声の女性ですぐに応対された。
「ドクターミヤギはいるか?」
ヒエルが語気を強めて言ったからか、電話先の相手は口ごもった。
「おい、何とか言ったらどうだ」
ヒエルは逸る気持ちを抑えきれないといったようにまくし立てる。すると受付の女は、
「大変、申し上げにくいのですが、ドクターミヤギは当院を退職されました」と言った。
その言葉を聞いたヒエルは、脳天をハンマーで叩かれたような衝動を受けた。。
「失礼ですが、患者さんのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
数秒の沈黙の後、彼女は申し訳なさそうに聞いた。
「……。ヒエル・イーストン」
「やっぱり。お聞き覚えのある声だと思ったんです。私、ユニコーンズの大ファンなんですのよ」
彼女は一瞬、己の立場を忘却したのか、少女のような弾んだ声で告白した。
「ごめんなさい。私ったら。ミスター・イーストン。私はミヤギ先生から言伝を賜わっております」
そう言って、彼女はドクターミヤギの辞職理由を語り始めた。
○
「お久振りだね。ヒエル君」
約二年振りの邂逅にも関わらず、ドクターミヤギは時の流れを感じさせないような気さくな口調で話しかけてきた。
ロサンゼルスのオフィス街から少し離れた廃墟のようなビルの一角。ヒエルは看板もないコンクリート作りのビルの地下室に通された。
「丁度、オールスターゲームをやっているね。観るかい?」
ミヤギはテレビのリモコンを手にして聞いてくる。ヒエルはそれを制して、
「単刀直入に言う。俺のキッドを助けてくれ」
真剣な表情でゲーミングチェアに深く腰かけたミヤギに向かって言う。
彼が数日前、クリニックに電話したとき、受付嬢のミーアからミヤギの想いを伝えられた。
「ミヤギ先生は精神科医として、沢山の患者さんに向き合ってこられました。そして、自身の無力さを嘆き苦しむ毎日であったといいます。
現代病と言われて久しい精神疾患ですが、当時ドクターができたのは、カウンセリングに薬の処方のみです。
果たしてその処置は彼らの苦しみを根元から癒しているのだろうか? 彼はそんな疑問に苛まれて、独自の答えを見つけるために職を投げ打ちました。
そして現在は、お独りで研究に励んでおられます」
ミーアはそう言って、「彼ならヒエルさんの力になれるかもしれない」と締めくくった。
「勿論、君のキッドは私が救う」
ミヤギはヒエルの顔をしっかりと見据えて言った。その眼は静かに燃えているようだ。
「ミーア君から私の治療方法は聞いているね?」
そう尋ねるミヤギの顔は心なしか強張っている。
「イエスだ。覚悟はできている」
そのときのヒエルの表情は、打席に立つときと同じように引き締まっていた。
ミーアによると、ドクターミヤギが導いた解は美容整形であるという。
彼女から聞いたその答えにヒエルは一瞬、たじろいだ。つまり陰茎のサイズを物理的に肥大化させるというのである。
成程、妙案であるかもしれないとヒエルは思った。ペニスのサイズで悩んでいるならば、増量させればいいという至って明瞭な解だ。
「ヒアルロン酸、そしてコラーゲンその他を注入することで竿を増大させる効果を期待できる」
ミヤギは口を開いた。続けて、治療法を丁寧に説明し始める。
ヒエルはその姿を見て、数年前を思い出した。あのときもやはり、自分に寄り添ってくれた。
「この人なら信用できる」。ヒエルは素直にそう思った。
「いいかい? あんなスキャンダラスな記事を見て私も胸が痛んだ。人の外的な特徴を切り取って笑う大衆社会にね。
しかし、これは逆にチャンスだ。貴君は強い影響力を持つメジャーリーガ―だ。全米中、いや世界中で同じ悩みに苦しむ同志に希望を与えようじゃないか」
ミヤギはヒエルの両肩をがっしりと掴んで言う。
「つまり、俺にインフルエンサーになれと?」
ヒエルは生唾を飲み込む。
「そうだ。君は、アソコのデカさで全ての男の頂点に君臨するんだ」
珍しく興奮したような口調でミヤギは言う。
「そして勃起した君を見た全人類は思わずこう口にすることとなる。〝彼はユニコーンじゃないか〟と」
○
「どうやらギネス世界記録は四十八cmらしい」
ミヤギは神妙な面持ちで言う。
「君の理想はいかほどだ? 五十くらいか」
「ノー。」
「六十?」
「ノー。」
「おいおい。これはチキンレースじゃないんだぜ」
ミヤギは額の汗を拭った。するとヒエルは言った。
「ビッグワン!」
「それではオペを始める」
ミヤギはそう言い、ゴム手袋に覆われた両手を手の甲を見せる形で上げた。
ヒエルは手術台に横になり、白衣に身を包んだミヤギを見上げる。眼鏡は光っていて、その表情は読み取れない。
ミヤギの隣りには終業した後、駆けつけてくれたミーアが助手を務める。
ヒエルの股間には部分麻酔が掛けられて、感覚がなくなった。まるで女性になったようだ。
「本当にいいんだな? ヒエル。後戻りはできないぞ」
ミヤギが強張った声で言う。
「やってくれ」
ヒエルは親指を突き立てた。
***
この空前絶後の大手術は二週間掛かりであった。
結論から言えば、無事にオペは成功を収めた。
ジャクソンは最早、キッドとは恐れ多くて呼べないような一皮剥けたナイスガイとなった。
○
ヒエルはバッターボックスに入ると二十五年の月日が走馬灯のように流れた。
思えば、デビュー二年目のシーズンに三脚打法を編み出した地もここユニコーンズのホームグラウンドである。
当然、賛否両論分かれた。人々は未知なモノに遭遇したとき、理解が追い付かず批判に走るらしい。そんな懐かしい記憶が頭を過ぎる。
このワールドシリーズも最終戦を迎えている。お互い星を三つずつ分け合いこの試合の勝者が全米チャンピオンの称号に輝くことになる。
ヒエルは今シーズン限りでの引退を表明しているので、おそらくこれが人生で最後の打席となるだろう。
ヒエルはゆっくりと一塁スタンドを見上げる。そこには最愛の妻ミーア、そして本当の息子、ボブが両手を合わせて祈るように見守っている。
ミーアはずっと僕を心身ともに支えてくれた。情事の際は、さける股の苦痛に耐えに耐えてくれた。彼女は正にビッグカントリーと呼ぶに相応しい女性だ。
隣りに坐している息子のボブはこの間、十歳を迎えた。彼は、とうにジャクソンの背を追い越している。
ヒエルはホームベースと垂直に手に持ったバットを大きく構えた。当然、下のバッドも手にするバッドと同じように天高々と悠然に構える。
そしてジャクソンにそっと口づけをした。
その瞬間、場内から歓声が沸いた。
「Mr.ユニコーンズ!」
ファンの子どもが声を張り上げた。
ヒエルはもう一人のムスコ、ジャクソンに想いを馳せた。
今までありがとう。こんなにナイーブな主を持って君も大変だっただろう。君は気のいい奴だから、僕の顔色を窺わせてしまったね。
野球の世界ではキャッチャーはピッチャーの女房役と言うけれど、君は僕の最高の相棒だった。こんなことを考えているとミーアに浮気したって疑われちゃうかな。
HAHAHAHA!
「スリーボール・ツーストラク!」
アンパイアが高々にコールした。球場は熱気と高揚に満ちた異様な雰囲気に包まれた。
「繰り返します。只今、クライマックスシリーズ最終戦。九回裏ツーアウト満塁。点差は一点であります」
実況アナウンサーは言った。
「ええ。次の一球が今シーズンを決定付ける大事なシーンになります。全米。否、全世界のベースボールファンの皆さま。ピッチャーミハエル、そしてバッターヒエルから目を離さない様に、どうかよろしくお願いいたします」
解説を務める高鳥は言った。
ミハエルは、キャッチャーのサインに首を振った。そんなやりとりを二度三度くり返して、ミハエルはゆっくりと頭を振る。どうやら、やっと球種が定まったようだ。
「ミハエル投手、深呼吸を一つ。そして、大きく振りかぶって、投げました」
ミハエルは体躯に恵まれたその身体を存分に生かしたダイナミックな投球フォームでキャッチャーのミット目がけてボールを放った。
ヒエルはゼロコンマ一秒でボールに反応した。
「絶好球!」
ヒエルは内心そう思い、スイング動作に入る。その瞬間、まるでボールが止まったようにスローモーションに見えた。
ど真ん中。パワーヒッターのヒエルは、下からすくい上げるようにバッドを出した。
その刹那、ボールがヒエルの視界からフッと消えた。
〝魔球、ミハエルフォーク〟
ヒエルの脳裏には、彼の最も得意とする球種が浮かぶ。
「シット!」
無情にもボールは、ヒエルのスイングしたバットの下を通過する。「もう駄目なのか?」そんなことを考え始めていたその時、ヒエルは自身の股間から声が聞こえた。
「俺に任せろ」
〝カキーン〟
ボールは快音と共に、バックスタンド上に吸い込まれるように消えていった。
一瞬の静寂の後、割れるような大歓声がバッターボックスでうずくまるヒエルに送られた。
ミーアとジャクソンは涙を浮かべてお互い抱き合っている。
そのとき、
「スイング! バッターアウト」
ユニコーズスタジアムを歓喜の声が包む中、アンパイアは右腕を上げた。
***
「高鳥さん。どういう事でしょう? 主審がアウトをコールしているようですが」
実況アナウンサーは隣に坐している高鳥に教えを乞うた。
「申し訳ございません。一体、何が起こったのか。とても理解が追い付きません」
実況席の当惑しているのと同じように球場、そして衛星放送を視聴している全世界の人々もまた頭を抱えた。
「あっ、リプレイが出るようです」
アナウンサーは興奮を隠しきれない様子で言う。
「ミハエル投手が放ったフォークボールがヒエル選手のバットの下を通り過ぎて……ややっ!」
スクリーンに映し出されたリプレイ映像を見ている男性の全員が「アウチッ!」と悲痛な声を洩らした。
「嗚呼。これは、痛い! ヒエル選手の下腹部にボールが直撃しています」
アナウンサーは「オー・マイ・ゴッド」と顔を歪めて叫んだ。
「……。しかし、という事はこれはデッドボールということではないでしょうか? はたまたアウトとは一体」
「いえ、決してこれは誤審ではありません」
正気を取り戻しつつある高鳥はそう言った。
「ルールブックによりますと身体がホームベースに重なって、そこにボールが直撃した場合ストライクと見なされます。
まして、ヒエル選手はスイング動作に入っていますので、インプレーということになります」
「なるほど。つまり、当たり損だ」
アナウンサーは思わず、本音をポツリと呟く。
「これが本当の珍プレーということですね」
バッターボックスには、未だに股間を押さえてうずくまっている男の姿があった。ザッツ イット!
(了)
[TWO-SWORD STORY]梗概[長門 長閑]
大谷翔平の出現から一世紀が経った頃、アメリカンベースボール界に再び二刀流の選手が誕生した。名をヒエル・イーストン。彼は第三の脚(巨大ペニス)を持つ新人類だ。
ヒエルはルーキーイヤーから類まれなバッティングセンスで、その年のワールドシリーズではMVPに選出され富と名声を得た形になった。
しかし、ヒエルは決して天狗にはなれなかった。それは彼のペニスのサイズが小さく、男としての自尊心を保てなかったからだ。
ヒエルは、陰茎のサイズを物理的に肥大化させるため、ドクターミヤギのもとへ駆け寄る。この週間掛かりの大手術はヒアルロン酸、そしてコラーゲンその他を注入することで竿を増大させるものであった。
無事にオペは成功を収め、彼は人類最長のペニスを手に入れた。
術後、二十三年が経過し、ヒエルは引退を表明した。そして、チームはワールドシリーズの最終戦に進出する。お互い星を三つずつ分け合いこの試合の勝者が全米チャンピオンの称号に輝くことになる。
ヒエルは三脚打法を用いて、人生で最後の打席に立った。カウントはフルカウント。
相手投手のミハエルはダイナミックな投球フォームでキャッチャーのミット目がけてボールを放った。
ヒエルはゼロコンマ一秒でボールに反応した。ど真ん中に放られたボールに、パワーヒッターのヒエルは、下からすくい上げるようにバッドを出した。
その刹那、ボールがヒエルの視界からフッと消えた。
〝魔球、ミハエルフォーク〟ヒエルの脳裏には、彼の最も得意とする球種が浮かぶ。
無情にもボールは、ヒエルのスイングしたバットの下を通過する。
「もう駄目なのか?」そんなことを考え始めていたその時、
「俺に任せろ」ヒエルは自身の股間から声が聞こえた。
〝カキーン〟
ボールは快音と共に、バックスタンド上に吸い込まれるように消えていった。
そのとき、「スイング! バッターアウト」
ユニコーズスタジアムを歓喜の声が包む中、アンパイアは右腕を上げた。
何故アウトなのか判然としない中、球場内にはリプレイ映像が流れる。
「嗚呼。これは、痛い! ヒエル選手の下腹部にボールが直撃しています」とアナウンサーは苦痛に顔を歪めてそう叫んだ。
「……。しかし、という事はこれはデッドボールということではないでしょうか? はたまたアウトとは一体?」アナウンサーは疑問を呈す。
「いえ、決してこれは誤審ではありません」解説者の高鳥はそう言った。
「ルールブックによりますと身体がホームベースに重なって、そこにボールが直撃した場合ストライクと見なされます。まして、ヒエル選手はスイング動作に入っていますので、インプレーということになります」と解説を続ける。
「なるほど。つまり、当たり損だ」アナウンサーは思わず、本音をポツリと呟く。
「これが本当の珍プレーということですね」
バッターボックスには、未だに股間を押さえてうずくまっている男の姿があった。
TWO-SWORD STORY @taku-min
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。TWO-SWORD STORYの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます