60話
薄暗くじっとりとしたところ。ダンジョンの感触だ。
だだっ広い部屋に、いくつもの石の柱。充填されたエネルギーが、いよいよコンピュータを動かし始める。
「本当にできたのね」
「長かったなあ」
あれから四年。いよいよここまで来ることができた。
「ここまで付き合うとは思わなかったわい」
「感謝します」
キクノスは、まだまだ元気だった。それ以外にも何人もの魔術師に手伝ってもらい、ようやく完成させることができた。
あの日、ダンジョンを出た僕らはいくつもの手順を踏まなければならなかった。様々な団体とコンタクトを取り、正当な報酬を受け取り、そして力のある人々と交渉する。生きていくために役割が必要だったし、責任感も少しはあった。
そして、様々な苦難を乗り越え、コンピュータの制作に取り掛かることができた。最深部まで制圧できているダンジョンを一つ封鎖し、その中で必要なものを建造する。多くの人の協力が必要だった。しかしそれは、人類のためにしなければならないことでもあった。
そして、最も重要な存在はコキノレミスだった。コンピュータは、強くなければならない。しかしあのダンジョンのように、人類の敵となってはいけない。そこで、制御役が必要となる。魔族の王は後からコントロールしようとしたため、動きを抑え込むことしかできなかった。しかし新しいコンピュータは、コキノレミス専用である。コキノレミスにしか動かすことができないし、彼の死とともに停止する。コキノレミスが正しい心を持つ限り、コンピュータもまた正しく使われるはずである。
あの日からも、将棋の指導は続いた。コキノレミスは、強くなければならない。コンピュータはすぐに、俺たちの強さを追い越すだろう。それでも、その強さを理解することはできる。そしてコキノレミスには、理解できる存在であることが求められる。
コキノレミスはどんどん強くなっていった。ただ、それだけではだめなのだ。あちらのコンピュータを常に押しとどめておくには、こちらは様々なタイプの将棋を指しこなす必要がある。プロを含め、強豪のところに出向いては指導してもらった。おそらく彼は、世界一将棋の指導を受けた存在だろう。
「準備は大丈夫か、レミス」
「うんっ」
背も伸びて、精悍な顔つきになった。それでもまだ、どこか幼い部分も残している。多分ずっと、コキノレミスは不思議な雰囲気をまとったままなのではないか。
「よし、始めようか、コキノレミス」
いずれ、魔族の王がいるダンジョンも元の状態に戻る。いまは振り飛車党の新しいデータとの対戦に明け暮れているが、さらにそこを乗り越え、そして再び人間の支配へと意識が向くだろう。
それに抵抗するために、ライバルとなるコンピュータを用意する必要があったいずれダンジョン同士をつなぎ、つねにお互いを意識させる。そうすることで、コンピュータが将棋の枠を超えて力を発揮しないようにするのだ。
計画はうまくいっていた。コンピュータは作れたし、将棋ソフトも順調に成長している。そしてそのすべてを、コキノレミスはコントロールしている。
専門家の見てたでは、あのダンジョンはすでに衰退期にある、ということだった。力は徐々に弱まり、いずれ死を迎える。そこまで持ちこたえれば、こちらのコンピュータの使命も終わる。
……かに思われたが……
「やはり、確かなようじゃ」
「執念だな」
遠い地からの報告。ある小さなダンジョンが突然様子を変えた、という話だった。それ自体は珍しいことではない。だが、「扉のトラップが将棋になった」と聞き、俺たちは慌てた。
そして、入り口付近に強いモンスターが配置され、潜ることが困難になった。深部で何が起こっているのか、確かめることができない。
それでも果敢に挑戦し、戻ってくる者がいた。その者が言うには、広い部屋の中に、石の棺のようなものが並んでいた、と……
「ほぼエレガティスで間違いないじゃろう」
コンピュータの存在を直接見て知っているのは、世界で数人だけだ。そしてそのうちの一人がコキノレミスの父親、エレガティスだ。いつか再びあのダンジョンに挑戦するのではないか、と予想していたが、実際には違う行動に出たようだ。くしくも、俺たちと同じような行動に。
「コンピュータを作り、操るつもりか。それで魔族の復興を図る、と」
「しかし一人で作れるものじゃろうか。こちらは何百人がかかわったのに」
「協力者がまだいるのかもしれない」
なんにしても、事情が変わった。抑え込むべき相手が、一つ増えたのだ。
「コキノレミス、そういうことだ」
「……うん。だいじょうぶ」
ステノが、両手でコキノレミのほほをつかんだ。まっすぐに、目を見る。
「父親を、越えないとな」
「うんっ」
力強い返事だった。俺を、そして親を越えていかなければならない。もしかしたら、コキノレミス自身が指導する側となって、次世代に使命をつないでいかなければいけないかもしれない。
そして、コキノレミス以外の人々も重要になっている。将棋を理解し、ソフトに新しい可能性を吹き込む人々。今俺は何人かに、「コンピュータのための将棋の指導」をしている。
もう少し、俺の役割も続く。ダンジョンの中で、指導棋士として。やっぱりそれが、俺には似合っていると思う。
「よき弟子を得た、な」
「あたしのことか?」
「そういうことにしておこう」
ダンジョンで細々と指導対局をしているはずが、とんでもないことに巻き込まれてしまった。それでも今、気持ちは充実している。この後世界が再び危機に陥るかもしれないが、まあ、その時はその時だ。
「頑張れよ、弟子たち」
「言われなくてもいつでも全力だけどね」
「がんばるっ」
ウウウン、と、冷却魔法の音が響いている。幸いにも、ここにはトカゲが出現しない。敵は、モンスターではない。ダンジョン対ダンジョンという時代の幕が、もうすぐ開けるのだ。
指導対局クエスト 完
指導対局クエスト 清水らくは @shimizurakuha
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