第11話逆転

 さて、どうしたものか。

 気絶の振りはバレていて、一向に逆転のチャンスも見つけられないまま、彼らの娯楽は終了してしまった。彼らが遊んでいる内がチャンスだったのだが、今となってはもう遅い。打つ手は完璧に閉ざされていた。

 ハッタリでもかけてみるか?と考えても見たが、それは止めた。騙し合いや殺し合いの中に生きてきたこいつらに、盗賊もどきの嘘なんかまるで通じないだろう。それに、僕も嘘は専門外だ。時間稼ぎになるかも怪しい。

 彼女は死んでしまったかのように微動だにしていない。僕はそれをとても怖く思ったが、彼らはそんな気遣いとは遠い存在だ。ヘンリーは最初そうしたように、また彼女の髪を乱暴に引っ張った。それを見て、再び僕は喚いて見せる。

 「やめろ」

 「おい、立場をわきまえろっての」

 コーライが僕の体を蹴り上げた。恐らく今まで食らった中でこれが一番キツかった。いよいよ、彼らは容赦をしなくなってきている。

 路上に背中から着地した時に、辺りが少々騒がしいことに気が付いた。パン屋の向こう表通りで、恐らく僕らを追っかけてきた連中だろう声がする。

 「おい、面倒になるな。早く引き上げよう」

 コーライがヘンリーに問いかける。ヘンリーが返事をする前に、僕が掠れた声で割って入った。

 「何が面倒だ。あいつらはお前等が焚きつけたんじゃないのか?」

 ヘンリーは意外そうな表情を一瞬見せてから、仮面を付け替えるように笑った。

 「まあ確かにその通りなんだがよ。俺らが裏社会で有名だってのは知ってるだろ?恐らくそれがバレたようだ」

 ヘンリーは耳を澄ます素振りを見せる。

 「俺は耳が良くてね。何百キロ先の音でも聞き分けられる。それでもお前の足音はどうも察知出来ないんだがな」

 「そりゃどうも。ご生憎、僕の足音は聖人にしか聞こえないんだ」

 「おかしいな。だったら俺にも聞こえるはずだ。どうせこの世に根っからの聖人なんていねえんだからよ。知ってたか?お前らを追ってた奴の大半は、つい先日まで俺らがバラまいた開戦の噂を嗅ぎつけて、教会で神に慈悲を祈ってた奴らなんだぜ?

 いつだって人を殺すのは正義だよ。そして正義は多数決で決まるんだ。例えお前の云ってることが正しくても、周りが違けりゃお前は立派な異端者さ。なら、殺す理由なんてのも後付けで結構。人は、そこまで個人の死に執着しない」

 ヘンリーが右手に握っていたナイフを自身の眼前まで持って行き、雨に濡れた刃に映る光沢を恋しげに見つめた。

 「まずはお前を殺す。本当はもっとお前が苦しむ様を見たかったんだがな。それはまた今度、互いに地獄に堕ちた時のお楽しみにしてやる」

 ヘンリーが一歩を踏み出した。ブーツが路上をこつっと蹴る音が合図になって、コーライも懐から同じようなナイフを取り出し、僕に歩み寄った。

 だがそこで、彼らは恐らく僕を見失った。彼らからしたら、僕が急に消えたように思えたのではないだろうか。というのも僕は、蹴り飛ばされた拍子にたどり着いた壁沿いで、引き延ばされていたほんの少しの影に乗じて、その体を常人が見れぬ程に加速させていたからだ。

 僕はまだ、余力を残していた。彼らが振りかざした暴力も、急所は逃れるように体をこっそり捻っていたし、そこまで彼らが細かく観察しないことも予想済みだった。それでも気絶を見抜かれたのは想定外だったが、こうして不意をつけたのだから上出来だろう。

 僕はまず、コーライの背後をとる。成人男性を一瞬で戦闘不能にするなら、後頭部の首に近い根本、そこを強打するのが手っ取り早い。

 意識は脳が動いていることを指す言葉だ。だから、そこに流れる血脈を一瞬でも途絶えさせれば、脳を混乱させ、意識を遮断することが出来る。立場上、少々荒い手法も兼ね備えていた。僕がこうして誰かを眠りにつかせるのも、一度や二度じゃない。勿論、殺しはしないように今まで手加減はしてきたが、こいつらには必要ないだろう。こいつらの言う通り、世間から見たら僕も彼らも大差ないのだ。

 僕は慌てふてめくヘンリーを横目に、懐から警棒を取り出した。以前、居眠りしていた兵隊からくすねていた物だ。そいつで、コーライの大根みたいに膨れ上がった無愛想な首根っこを渾身の力で打ち付けた。鈍い打撃音が広がって、コーライが倒れる。だが、コーライがその醜い顔面を床につける様を見届ける前に、僕の体に衝撃が伴う。それを理解した頃には、僕の体は再度宙を舞っていた。長身のヘンリーより少し上を飛びながらそこで下を見ると、案の定ヘンリーが怒りの形相で何かを蹴り上げた姿勢をとっていた。彼の内心を代弁してやるなら、「このくそガキ」といったところだろうか。

 コーライは、気絶まで追い込めなかったが、戦闘続行するほどの元気はなさそうだった。何とか起きようと試みているが、上手くいっている様子はない。

 宙を浮いている、という非日常の最中、僕の周りの時は恐ろしく遅く流れた。それこそ明日の飯はどうするか、とか、そういったどうでもいいようなことを考えるほどには余裕があった。

 僕の体力はまだ底をついていない。元々、ヘンリーが反撃に出ることは予想済みだったのだ。彼は耳がいいと公言していた。百メートル圏内なら音を聞き分けられる、と豪語する程には。そんな彼が足音で見つけられない僕を見つける手段とすれば、僕が彼を攻撃した際か、彼以外の誰かを攻撃した際の打撃音。だから、僕はコーライを後から打った直後に、腕を前にクロスさせて防御姿勢をとっていた。さらに、彼の蹴りが直撃する直前に後へと跳躍した為に、ダメージはほぼないといってもよかった。

 だがこのまま着地すれば、きっとその際の着地音を聞いて、ヘンリーは僕に追い打ちをしかけるだろう。もっといえば、僕が飛んでいる箇所はヘンリーの直線上。幾ら僕が気配を消せるからって、早々見失うような場面ではなかった。

 もうすぐ、地面が僕にたどり着く。生物が負う宿命、重力に捕らわれて、僕は下に落ちる。今がとてもゆっくりに感じるのは、あれだろうか。走馬燈、とやらか。でも、なんだろう。相変わらず僕は、死にたくない。

 母さんを失って尚、僕はまだ生きる希望を失っていなかった。そう、少なからず今は、手の届く範囲に守らなければいけない人がいるのだ。それだけが、僕を突き動かしていた。

 死んでたまるか。

 僕は地面に衝突するその刹那、地面と体が水平になったタイミングを狙って、警棒を放った。だがヘンリーはそれに見向きもしない。怒りで僕しか見えていない、というのもあるだろうが、何よりもその軌道がヘンリーには直接害が無いような軌道に見えたのだろう。だが、それが彼の最大のミスだ。

 僕が地面に衝突すると同時に、警棒も地面とぶつかった。金属で出来たそれは、石造りの路上で甲高い悲鳴をあげる。

 そこで彼は僕を再び見失った。彼は耳が良すぎるが故に、無意識のうちに我に返り、より大きい音の方を振り向いてしまった。そして再び振り返る頃には、僕の姿はいない。

 「ど、どこに行きやがった!」

 ヘンリーは先ほどとは打って変わって、すっかり恐怖に打ち振るえていた。膝ががくがくと細かく震えている。

 僕は、彼の視界を把握し、それに映らないように高速で移動し続ける。影から影へ、今の僕を見つけられる人物は、この世界にいないだろう。僕と彼の世界は、ただただ雨音が響きわたるだけの静寂に支配された。気配は微塵もなくなり、鼓動も足音も、残像さえ起こさずに、僕は彼に無音の恐怖を味併せてやっていた。

 僕が母さんを失った時の空っぽ。それに勝る感情は、残念ながら僕の中にはない。だから、僕は彼の不安を煽るだけで良かったのだ。彼を罰するのに、嘲りの言葉も勝利を確信した無意味な演説も必要ない。

 僕が死んだのは、僕の中から色々が抜け落ちたから。彼が死ぬのは、彼を守っていた唯一の盾である、傲慢さが剥がれ落とされたから。

 「や、やめろ!いつでも殺せるってか!?冗談キツいぜ。お前は殺しなんてやるタマじゃないだろう?お、俺らみたいな屑に成り下がっちゃ、お前の母さんも報われないはずだ!」

 うるさい、お前が母さんを語るな、そう心の中でぼやいて、僕は走りながら拾い上げていた、人差し指の第一関節程の大きさしかない石ころを、彼の背後で音をたてるようにわざと空高く投げた。石ころは暫く僕の腕力のまま進むと、その推進力を失って一瞬空中に止まる。そして重力に引っ張られ、あの時の僕のように地面に落下していった。

 僕はそれを、少女の側で見ていた。もはや自分が殺されたくないという気持ちで満たされてしまった彼は、本来の目的も見失い、僕の姿を、目を凝らして罵倒を浴びせながら探している。実際は彼が手を伸ばせば届いてしまうぐらい近くにいるのに、愚かな男だ。

 だが、実際はこんなものかもしれないな、と僕はもうすぐ落石する石ころを見ながら思った。

 僕だって、母さんの本性に気付けなかった。あんなに側にいながら、自分を騙す言葉ばかり胸の中に広げてばかりいた。

 僕は母さんの持つ負の心をバケモノと呼んでいたが、それはただのまやかしだった。だって、部外者に母親を悪魔だと罵られて、僕はあんなにも逆上したから。僕はあの時、母さんのことを何も知らない癖に、なんて思っていたが、僕が知っていた母さんなんて、一体幾つ、本当のものに該当するのだろう。

 結局、僕は母さん自身を好きでいるつもりが、母さんの中にある自分にとって不都合なものに蓋をしているだけだった。ああ、分かってる。仕方がないことだって。誰だって痛いのは嫌だろう。感覚がおかしくなって、普遍観念がトチ狂った人間にも、等しく痛みは平等なのだ。

 母さんは異常だった。僕の今までは、この一言に尽きてしまう。母さんの中にあったものがいけないんじゃなく、それに囚われてしまった母さんが悪かったのだ。

 もうすぐ石ころが路上に落下する。僕は再び長く引き延ばされた時間を味わいながら、一息ついた。

 終わりがきたものには、さよならを告げなくては。それが父親とて、母親とて、僕の前で通り過ぎた景色は、いつだって僕に何かを残す。何か残された者は、残された物を引き継いで、それを抱いてくしゃくしゃにして、自分の色に染め上げるまで生き抜かないといけない。そんな気がするんだ。だってさ、もう彼らは僕の前に永遠に姿を現してはくれないんだから。

 「終わりだね、ヘンリー」

 そう限りなく小さく呟いたのと同時に、石ころは落下した。

 「そこかッあああ!」

 血が登り切ったヘンリーが石が落下した方向を振り向く。それを合図に、僕は彼女の目隠しを外した。

 

 「やれ!人魚!」

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