第8話ヘンリ-とコーライ

 「全く、お前等も運が悪いぜ。この町でも一際残酷だって評判な、俺たちに喧嘩を売っちまうんだからな」

 二人の内、長身の方がにやけながらいっている。

 ぐわんぐわんと歪む視界が安定してくると、僕は少女の名前を呼ぼうとした。呼ぼうとして、少女の名前を知らないことに気が付く。心臓のあたりが、密かに濡れたような気がした。

 何故ここまでの出来事を二人で生き延びながら、名前も聞かなかったのだ僕は。

 長身の男が少女に近寄り、少女のブロンドの長髪を片手で持ち上げる。もう片方の手には何やら細長いタオルのような物が握られていた。彼はそれを少女の目のあたりに軽く巻いた後、乱暴に少女をを放り投げて、タオルを両手でキツく縛り上げた。目隠しだ、と僕は思った。

 「彼女に手を出すな」

 「安心しろよ盗賊もどき。ガールフレンドは殺しはしない。ただ、ちょちょいと色々して貰った後に、変態貴族の元で少しご奉仕して貰って、俺らの資金源になるだけだからよ」

 太い男が僕の顔に足を乗っけ、わざとらしく体重をかける。路上と彼の靴裏に挟まれた頭蓋が、ぱきぱきと音を立てた気がした。

 「コーライ!その程度にしとけ。楽しみがなくなっちまうじゃねえか」

 「ごめんよヘンリー。少し気持ちが先走っちまったみたいだ」

 コーライと呼ばれた男が、僕から足を退けた。僕は再度混濁し始めた意識の中、無意識の内に現状の打開策を探していた。

 僕の目の前では、コーライが腕を組みながら待機していて、その奥ではヘンリーが、目隠しされ、尻餅をついている少女と同じ目線になって、にやにやと不気味な笑みを浮かべている。そして肝心な自分は、この場所の唯一の逃げ道に近かった。

 自分だけで逃げるなら、造作もない状況だった。自分一人なら。

 だめだ、出来ない、自分の中で葛藤する。彼女を置いていったとしてこれから先、僕はどうやって自分に自分を認めさせる。僕は耐えられそうにない、彼女を置いていった後悔と、損失感に。

 そこまで考えて、もう自分の中に自分一人で逃げる算段が殆ど無いことに気が付いた。

 彼女を助けて、二人でこの町を脱する。町を出た後なんて分からない。僕の逃げ場は陸地に幾らでもあっても、彼女の逃げ場はここと故郷の海しかない。それでも、僕は僕自身の為に助けなければならない。

 僕は決心すると、ひたすら自分の現在の状態を維持し続けた。まるで地面と一体になってしまったかのように、べたっと腹をつけて大の字で伸びている。幸い、この体勢が事態を解決する切り札でもあった。もし仰向けで寝そべっていたら、彼らと彼女がどんな行動をしているのか覗けないし、チャンスがあっても自分の体を起こすまでに時間がかかりすぎる。それでは、監視人としての役割を請け負っているコーライの不意をつけない。

 だから、僕は気絶した振りをした。それがとても上手くいったようで、不思議な物を見るかのような目でこちらを小突くコーライを、上手く騙すことに成功する。

 「けひひ、こいつ気絶しやがった。見た目通りの軟弱な奴だな」

 「コーライ、注意は怠るなよ」

 コーライに一瞥して、ヘンリーは少女に向き合った。

 「さーて、嬢ちゃん。力を取り上げられた気分はどうだい?怖いだろ。怖いよなー?」

 少女は人形にでもなってしまったかのように口を開かない。それが彼の気に障ったようで、ヘンリーは大きな軌跡を描いた平手で、少女の頬を殴った。ぱん、と乾いた音がこの場に広がる。

 「何とか言えやあ!この尼ぁ」

 この時、僕は見逃さなかった。コーライの視線が、ぴくりと一瞬僕から外れたことに。チャンスは恐らく、ヘンリーの情緒の不安定さにある。

 打たれた少女は、一切態度を変えなかった。ようやく口を開くが、その声色は僕に向けられていたものと大差ない。

 「怖がる理由が分からないわ。確かに私は今視界を布に覆われていて、魔法が使えない。でも、もし何かの拍子でこの布が外れたら?あなた達の肉は曲げられ、骨は砕かれ、あなた達は原型も留めない肉塊へと形果てる。そして私にはその姿だけが見えているのよ。肉の塊にかける感情は微塵もないわ」

 この発言は、明らかに僕に対するメッセージだった。

 ”隙をついてこの布を外して”

 「こいつ、面白え。どうにかして怖がらせたくなってきたぜ」

 ヘンリーは少女の挑発に完璧に乗ってしまっていた。額に血管を薄く浮かべながら、きりきりと歯を噛みしめている。

 「ヘンリー、人魚の鱗の相場っていくらだっけ?」

 コーライは背後のヘンリーに問いかけているが、ほんの少し視線を横に向ける程度で、あくまで体はこちらに向いている。

 「鱗は一つで金貨五枚だ。小さい一軒家だったら余裕で買える。だが、今回俺らがラッキーだったのは、鱗だけでなく、元を手に入れられたからだ」

 「確かに人魚って珍しいから高く売れると思うけど、俺らが忍び込んできた今までの大金持ちの家って、どこも人魚の奴隷は見あたらなかったよな?」

 「そりゃそうだ。人魚ってのは本来長命なことで有名だが、それはこの特殊な鱗があるからだ。もしこいつを取れるだけとったら、こいつはすぐに死んじまう」

 ヘンリーはそういいながら懐からナイフを取り出して、その刃の先で、彼女の下半身、普段は鱗がびっしりと詰まってるであろう場所を舐めるように泳がす。

 「みんな人魚を捕らえると、先走りしてすぐにうっぱらっちまう。物事ってのは二択だけじゃないってのを世間は分かってねえぜ」

 じゃあ中間があるのか、とコーライが質問する。ごもっともな意見だ。もし人魚を完璧に生かした状態で、更に金持ちに売れたら、そんなに良いことはない。

 ヘンリーは得意げにいった。

 「人魚の鱗ってのは別に禿げたら一生生えてこない代物じゃないってことさ。ある程度の健康さえ保っていれば、三ヶ月は保つ。そしてその事実を知る人物ってのは極端に少ねえのさ」

 コーライが問う前に、ヘンリーは得意げな顔をして喋って見せた。

 「金の生る木は誰だって独り占めしたいだろ?それに、元々個体数が少ないってのもあるとは思うがな」

 僕はここで初めて、自分が踏み込んではいけない世界に踏み込んでいたことに気づき、後悔した。法律の枠組みを抜けて犯罪を犯すとは、こういうことなのだ。何故なら、法律とは常識であることは自明だが、それ以前にある一定の基準でもあるからだ。その基準を下回れば、待っているのは基準に背いた者達。そして、基準のない世界。

 僕は、盗みと人殺しは同等ではないと思っていた。だがそんなことは世界は知らぬことだ。僕は物を盗んだことで、立派に人として成り下がっていた。そして世間が僕を見る目とは、彼らを見る目と差ほど大差がなかった。

 ヘンリーは話好きだったのか、満足げに鼻から一息放った。それが合図のように、コーライがサッカーでもするかのように足を振り上げ、その固いつま先を僕に放った。

 もう忘れていたであろう鈍い痛みには、理性も遠く及ばなかった。僕は口内に少し吹き出た胃の中身を吐き出さぬように努力するので精一杯で、その間は気絶の振りをとうに忘れていた。

 「あんな一撃でお前が気絶する筈もないよなあ?名演技だったぜ。ヘンリーが楽しくなって色々話をする程には」

 最初からバレていたのか、と僕は怒号を奴らに飛ばしたくてしょうがなかったが、生憎僕には痛みという新妻がいて、とてもよそ見は出来なかった。だから精一杯の抵抗として、地面に這い蹲りながらもコーライを睨みつける。だがそれさえも彼らからしたら娯楽にしかならないようで、二人はこれまでに見せなかったような高笑いを暫く続けるのだった。

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