第5話怪しい二人組

 町中を俊敏に、しかし密かに物音を一切生じさせずに走り抜けていく。すると、途中で町に違和感を感じた。

 人が少なすぎる。

 雨が降っていたとしても、ここは王国きっての都会。どんな状況でも、いつもと今日がなんら変りない日であるのなら、がめつい商売人達が通行人を捕まえているはずだった。しかし、今日はそんな様子が一切ない。一瞬、戦争が始まるからか、とも思ったが、その線は無いとすぐに考えを改める。戦争の兆しだって、この町に住む僕でさえ気づけない程の小さなものだった。それが、いきなり本番まで膨れ上がるとは考えにくい。

 だが、これは良い機会だ。僕は今日、ようやく母さんと会える。

 今までで、母とこんなに離れたことがあっただろうか。唯一該当するような記憶といえば、買い物に出かけた際に迷子になって、昼から夕方まで迷子になった時ぐらいだろうか。その際は、母にこっぴどく怒られた。どうして私の元を離れたのか、と頬を思いっきり打たれた。だが、その感触が嫌に僕は心地よかったのを覚えている。その痛みからは、母の愛情を胆と感じたからだ。

 不安はあるが、まだ母さんが化け物に飲まれているのなら、今度こそ僕の手で救い出さなければならない。僕を愛してくれている、母さんを。

 天候は更に崩れ、雨は勢いを増した。衣服は殆どずぶ濡れで、皮膚にくっつかってしまっているから、鼓動が早くなった心臓だけが、独りでに体温を発している気がした。

 自分で会うとなれば気が引けたのに、他人に背中を押されて会うとなると、全然苦ではないのは、きっと責任が僕にないからだろう。母と再会し、何か不都合が生じれば、それは全て僕をテントから叩き出した少女のせいに出来る。だから、僕は安心してこの町を駆けられる。

 もう少しで家に差し掛かる、という路地裏を通っていると、ふと、そういえば少女の名を未だに聞いていないな、と思った。今までそこまで興味がなかったが、一方少女は僕に近いものを感じている、という。もしかしたら、僕と少女は友達になれるだろうか、そうも思うが、頭を横に振って思考を振り切った。今感じた感情が、恥ずかしい、とやらであっているのだろうか。

 路地裏から、家沿いの通りに出ようとした時、人の気配を身近に感じて、僕は咄嗟に路地裏に引き返した。

 角の暗がりに身を潜めて表通りを覗くと、手が届きそうなほどの距離に、痩せっぽっちな男と対照的に太った小柄な男性が話をしている様子が見えた。

 僕は考えるよりも先に身を潜め、彼らの会話に耳を傾けていた。

 「おい、本当にあいつは来るのか?」太い方が問いかけている。

 「絶対に来るさ。これから大々的に噂を流すつもりだ。常に鼠みたいにそこらを駆けずり回っている奴なら、きっと噂を嗅ぎつける」

 僕は、彼らが自分の話をしていることに気が付いた。

 思えば、彼らの容姿は見覚えがあった。以前、僕が使っている他の寝床に奇襲を仕掛けてきた二人組だ。彼らは、僕と同じ盗人らしいが、随分前に僕が盗んだ代物の持ち主が、彼らの狙っていた大豪邸の主人だったらしく、僕がそいつから盗んだせいで、警戒心が高くなり、計画を実施出来なくなってしまったらしい。

 僕はその逆恨みによって襲撃を受けた。その際は、咄嗟に片方に蹴りを食らわし、彼らが混乱した隙に逃げたのだが、まさか再びここで出会うとは。だが話の冒頭を聞く限りだと、またろくでもないことを企んでいることは明白だった。

 「けひひ、楽しみだぜ。あいつを捕らえたらまずはどうするよ?」

 「そうだな、まずは車の後にロープで括り付けて、路上に皮を剥いで貰おう。んで血達磨になったところを今度は俺たちのサンドバックだ。さぞかし痛いだろうな、筋肉に直接打撃を食らわせられるんだから」

 こいつらが考えそうな、如何にもな会話だ、と僕は思った。

 まず前提として、盗みを働く奴にろくな奴はいない。致し方なく盗む者、好ましく盗む者、依頼を請負い盗む者、そのどれもが例外なく立派な罪人に成り下がる。この世の因果に、経緯は存在しない。あるのは始まりと終わりだけ。だから、どんな理由で盗もうとそれはいけないことだし、殺しもまた然りだ。だが、個人的な見解を話してもいいのだとしたら、僕はこいつら同等にはなりたくない。彼らは盗みの他に、様々な犯罪行為を犯していると巷で聞く。その中には殺人も当然のように含まれていた。

 僕は殺しは絶対にしない。盗むのも、あくまで生きるため。それ以上の物は盗まない。開き直るつもりはないが、彼らと天秤にかけられるのは、些か罪の重さが足りないと思うのだ。

 僕はその憎たらしい顔面を殴ってやりたい気持ちを抑えて、踵を返す。別に、家に向かうのにここを通らなければいけない訳ではない。ここの大通りを通ることは必須だが、別の路地からでも遠回りでたどり着ける。

 だから、早速別の道から向かおうとしたのだが、二人は僕の去り際、とても意味深なことをいっていた。

 「しかし女の叫びってのはやっぱり痛快でいいね。あれほどの刺激は他じゃ味わえないや」

 「ああ、ここらの住人も馬鹿ばっかりだしな。悪魔の血族だって云っただけで殺しを始めやがる。やっぱりここは俺ら好みの町だぜ」

 町が静かな理由が分かった。きっと彼らが焚きつけて、町の人の何人かを集めているのだろう。

 しかしここまでの雨の中だ、そこまでの人数は集まっていないのではないだろうか。それに、この町の人全てを一カ所に収納出来るような場所は、残念ながらこの町にはない。

 僕は彼らの、殺し、の部分には触れなかった。この町の人たちが人を殺す筈はない、そう思ったのだ。

 だがその考えとは別に、心臓の鼓動が、走った時とは別に鋭く尖った痛みを伴ったのを感じて、僕は何か嫌な予感を感じた。再び走り出す。

 二人の話は物騒なワードが何個もぶら下がっていた。僕を陥れる算段。女の叫び。殺し。

 極めつけには、あの少女からも警告を促されている。

 いや、本当は分かっていたのかも知れない。だって、じゃなきゃ、僕の足はこんなにも早く駆けることは出来ない。

 僕は無意識の内に、生きるための術を自分から放棄していた。ばたばたと足音をたてて、だらしなく呼吸を乱して走っている。幸い、あの二人からはもうかなりの距離があったから、この足音を聞かれることはなかった。だが、僕の中で溢れて止まらないこの切迫感は、僕の心臓に未だに圧力をかけてくる。

 気のせいだ。考えすぎだ。嘘っぱちだ。そんなことはない。

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