第4話人魚
「人魚が、なんでこんなところにいるんだ?」
我ながら、ごもっともな意見だった。人魚といえば絵本に出てくる半身半魚の妖精だ。僕も昔はよく母親に読み聞かされたので、覚えている。といっても、この町に住む住人の中で人魚に詳しいのは、僕の母ぐらいだった。母の故郷は海沿いにある小さな村であり、そこでは人魚の伝説が祭り上げられていた。僕が見たその本も、そこでの伝説の名残だ。だから、ここではあまり人魚の話はよく聞かない。あの古びた本も、どこの書店にも売っているとこを見たことがない。
人魚は海沿いの村に伝説が残る通り、海に住んでいるとされていた。故に、ここで会うのはより一層驚いて当然のことだ。だが僕は以外にも、すぐに冷静になれた。きっと驚きが重なって、現実を認識しきれていないのだろう。
少女はいう。
「私たち一族は海の生活圏を侵害されてね、私だけこっちに逃げてきたの。聞いたことない?股下狩りって」
股下狩り、僕が一度だけ母に連れられて訪れた母の故郷で、一度だけ聞いたことがある。その言葉の意味は知らないが、村の人たちは怒りに身を震わせていた。それが良くないこと、ということは子供でも理解が出来た。
「幼少期に一度だけ」
「そう、股下狩りってのは実は隠語でね。意味は、人魚狩り、なの。人魚の価値は下半身にあるこの鱗に依存する。だから、股下狩り」
「一体なんでそんなことを」
「私たちの鱗はとても希少でね。それを加工すると、とても強くて頑丈な武器になるらしいの。山があまり無くて人が多いこの国では、他に武器を作れる材料が無くてね。王政が直々に指揮をとって、人魚を狩って鱗を集めているのよ」
「王政が?そんなの噂でも聞いたことないぞ」
「そりゃそうでしょ。例え国のためといっても、国としての面子があるわ。もしこの行動で民の逆鱗に触れて内戦にでも発展したら、元もこうもない。だから、この情報を知っているのは、王都に近いこの町に住む極一部の兵隊か、股下狩りが行われている現地の住民、そして被害者の私たちだけ」
確かに、五年前から僕らの国は戦争状態に陥っている。とはいえ、その頻度は一年に一回程度のもので、あまり激しい戦闘も行われていない。謂わば国規模の小競り合いみたいなものだ。互いにちょっかいを出しあうような、そんな生易しいものだった。
戦争で捕虜となったものは複数いるが、それと対照的に死傷者はほぼゼロに近い数字をさまよっていた。そんなのが五年も続けば民の意識も薄れる。隣国との戦争は日常に組み込まれて、僕らはそこまで戦争について重く考えたことはなかった。衝突が起これば、またやってんのか、と話のタネにしていた。
戦争はハッタリで出来ている。別に相手を殺害せずとも、相手が兵を引かせればそれで戦闘は終わるのだ。僕らの国と同じく、向こうにも恐ろしい経歴を持った兵士がいるとされているが、それも真相はどうだろうか。だが、実際に竜を単騎でしとめるような豪腕をもっていなくても、広まりすぎた虚構は現実と左程変わらない。それらしい噂をもった兵士が、それらしい防具と武器を携えて、それらしい形相で戦闘に望めば、それだけで戦場は混乱するのだ。
僕らの国は、武器をあまり量産出来ないことを悟らせないように、神秘の力を司っていることになっている。例えば天候を変えたり、姿を大猪に変化させたり、などなど。本当は出来ないのだろうことは明白だが、彼らは至って本気だ。そしてその本気を民が面白がって話を広げる。広がった後、それはまさに僕のように、本当のことへと成り上がるのだ。だがどうだろう。この国は本当に戦争に勝とうとしている。人魚の魔法の力が、どこから発せられているのかは分からないが、彼女らから作った武具は、限りなく普遍性のないものだろう。彼らのハッタリが、本物になるかもしれない。
でも、戦いに勝ったところでその次は一体どうするというのだろう。植民地にするとして、向こうに派遣する兵はどこから動かすのだ?自分の国で精いっぱいの国が、反乱を起こされて対抗できるのだろうか。
「馬鹿なことを。このままだらだらと続けていればいいものを」
「きっと、そうもいかなくなってきたのでしょう?何やら、向こうの国でも同じような兆候が見られるとのことだし、油断している内に叩いた方が精神的に楽だと考えたんだと思う」
「あちらが先に企て始めた、のか?」
「それが本当なのかは分からないけどね。歴史は勝者の歴史よ。もしかしたら、ただ単に、勝てる、と思ったからやるだけかもしれない」
「そうか」
「以外とあなたって薄情なのね」
なんだ急に、と僕は返す。少女の方を向くと、少女の大きな瞳に射止められてた。だが、僕はそれを怖いと思う。瞳の奥には光が一切見あたらなかったからだ。
「だって、普通の人だったらもう少し同情するものでしょ?その色が、今のあなたには見あたらない」
「何を今更、こんな僕だから正体を明かしたんだろう。僕は今心底安心している。本格的な戦争が始まれば、この町は僕なんか眼中になくなる。僕はその隙にどこか遠くに身を潜める。これが、先ほど考えた僕のこれからの理想図だ」
関心の反対は無関心。僕は少女の隠し事には興味を示したが、彼女らには依然として関心は沸いてこなかった。だが、それが彼女の信用を勝ち取ったはずだ。だって、興味は色々な事柄に姿を変えてしまう。それが必ずしも良い方向へ進むとは限らないのだ。
例えば、僕の父は有名な画家だった。大勢の人の心を奪い、興味を引いた。だがその結果、父の書いた絵を気にくわないとするどこかの教徒に、背後から串刺しにされて息を引き取った。牢獄へと送られた教徒は、後にこう語った。最初は自分も彼の絵が好きだった、と。そして、その美しい絵に視線を重ねる内、限りない劣等感と共に、彼の絵がとても罰当たりなことに感じた、というのだ。実質、僕の父は興味に殺された。だから、僕は母以外の誰にも興味を示さない。きっと、母も同じ筈だ。僕だけを愛してくれている。
そう、と少女はいった。「悲しいけど、そんなあなただからこうやって色々を話せたのは事実。それに、戦争程度であなたが救われるなら、それがいい」
「戦争程度とは、君も大概だな」
僕は鼻で笑った。少女には、自分と近いものをどこかに感じた。今戦争に使われようとしている武器は、少女の一族の鱗を剥がされて作られている。それが自分の思わぬことに使われる屈辱を、たった数回会っただけの僕より下に見るなんて、薄情を通り越してまるで心が無いようだ。
「でも、あなたは本当にいいの?」
「なにがだ」
「さっきはもう少しだけここにいるっていってたじゃない。何かやり残したことが、まだこの町に残っているんでしょ?」
「ああ、その通り。だけど、別に今すぐでも町を出ることは可能だったんだ。ただ、踏ん切りが付かなくってね。だから、少し感謝してる。どうしようもない状況になれば、嫌でも行動せざる終えなくなるからさ」
少女は再び、そう、と呟いた。一瞬、悲しそうな横顔を見せて、そこからくわっと僕に詰め寄る。
その様子は、何かを思い出した時の人間の仕草に似ていた。
「なんだよ」
「一つ忠告。お母さんに会うなら、十分気をつけて。そして、なるべく早くここから家に向かって!約束できる?」
少女は鼻息を荒くして僕に距離を詰めてくる。
なんで少女が母のことを、なんて思うのも束の間、僕の体は少女に弾き飛ばされ、テントの外に放り出される。
「いって」
「お願い、急いで!」
怒りは沸いてこなかった。あまりに少女が真剣な眼差しを僕に向けていて、それに気圧されてしまった。唐突な少女の変化に戸惑いながらも、僕は小さく頷いて、立ち上がる。
「よく分からないが、信じるぞ」
「ええ、どうか無事で」
少女は摩訶不思議な力を幾らか持っている。その中の一つに、僕に明かされていない力があっても、不思議には思わない。僕の心の中には、確信じみた焦りが生じていた。僕は走る。雨は一向に降り止む気配を見せなかった。
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