第2話少女
そして瞼を開いた。僕の視界に最初に写ったのは真っ赤な地面ではなく、止めどなく広がる夜空。その中央には、カーリウスの星が、自分だけを見て、とでもいうように、他の星を差し置いて輝いていた。
僕は朦朧とした意識のまま、ぼんやりと上体を起こす。倒れた時はうつ伏せの状態だったのに、今は一瞬の瞬きの内に夕焼け空は夜空に置き換わり、僕の体はそれに向き合っていた。
僕は自分の体をぺたぺたと触り、様態を確認する。体は熱を保っていた。だがそれは決して不自然なものではなく、むしろあって当然なものだ。驚愕して座っている箇所を見てみるが、そこには冷たい床が蔓延っていて、やはり、僕の血溜まりは消えてしまっていた。
「気が付いた?」
僕は声がした方向を振り返る。そこには自分と同じ程の年齢に見える少女が路上に肘をつけて、にくい笑顔を向けていた。下半身はどうやら神秘に浸っているようだ。ここからでは確認できない。貧乏人故の湯あみ代わりだろうか、そこまで金銭に困っていそうな風に見えないが。
僕は後頭部付近を掻きながら、いう。
「君が助けてくれたのか?」
「うん、たまたま通りがかってね。普段誰もこないこの場所に誰かいるかと思ったら、人が倒れててびっくりしたよ」
「そうか」
どうやら状況を見るに、砂浜には僕と少女以外に気配はない。注意は自然と少女に集中した。
ブロンドの髪を二の腕付近まで伸ばした清潔感のある様相。シンプルな、どこにでも手に入りそうな白いワンピースの袖ぐりからは、握れば粉砕してしまえそうなほど華奢な肩が姿を露わにしている。その全貌は、警戒するに足らなかった。
しかし、どうにも少女の言葉が突っかかる。肩の力が抜けきらない。
僕はよくここに来ていたが、ここで誰かと鉢合わせした経験は一回たりともありはしなかった。
「お礼はいわないの?」
「いわない。僕はあのまま死んでも別に良かったし」
そう僕が言い切ると、少女は鋭い目つきで僕を見始めた。そして何かを見つけたように目を見開くと、悪戯な笑みを浮かべる。
「嘘ね」と少女はいった。
え、と声が漏れる。
「あなた本当はとても寂しがり屋でしょ。本当はお母さんに会いたくてしょうがないって心をしてる」
何故母さんのことを、と問うが、少女は表情を崩さないどころか、瞳孔さえも微動だにしなかった。僕はそれが、答えない、の意思表示に見えて、小さくため息をつく。
「母さんには確かに会いたい。だけど、僕は寂しがり屋ではない」
「どうかしら、じゃあなんであなたの目はそんなにも腫れてるの?」
そういわれて、僕は初めて瞼が腫れていることに気が付いた。自分の指でなぞると、いつも以上の反発がある気がした。ふいに、指に水滴が付着する。それは限りなく、僕の涙だった。まだ温みは残っていて、それがあの血液を連想させる。
女の子はいう。
「なんでこんな場所にいるの?お母さんに会いたいなら、会いに行けばいいじゃない」
「知りたいなら、また僕の心を覗いてみればいいだろ」
さっきの魔法じみた方法で、と心の中で続けた。
「そういう訳にもいかないのよ。私が見れるのは人の感情の色だけ。そっからは推測するしかない。あなたがどういった都合でここにいるのかまでは分からないのよ」
「そうか。ならそのまま知らないでくれ」
僕は素っ気なく返すと、その場から立ち上がろうとする。だが、待って、と少女がいうと、僕の体は一切の予兆もなく硬直した。中途半端に立ち上がったせいで、そのままバランスを崩し、尻から地面に激突する。
「いてて、なんだ?」
「私はあなたを如何様にも出来る。傷口をよく見て?」
僕は渋々従う。裂かれた服を少しだけ上にずらして、わき腹の傷口があった箇所を目でも見てみるが、そこには治療したらしき跡が一切見あたらなかった。包帯も、針跡もない。
僕は恐ろしく思う。昔本で見たことがあった、魔女の存在を頭にチラツかせていた。まさか、本当に魔法が使えるとでもいうのだろうか。
「君は魔女かい?もしも食おうとしてるならよそにした方がいい。この街には僕なんか目じゃない程、ぶくぶくと太った坊ちゃまがわんさかいる」
若干声が上擦ってしまう。
「別に何かしようって訳じゃない。ただ、私の存在を誰かに話したら、消すよって意思表示をしただけ」
後、私は魔女じゃない、と女の子は付け足す。
「魔女なんかに降らなくたって、魔法を使える者はそれなりにいるのよ。ようは素質ね」
「そうかい、でも他言なら心配いらないよ」
「なんで?」
「僕に、何かを語りあうような人はいないから」
「へーあなたって寂しい人なのね」
うるさい、と心の中で思った。別に思い留めた訳ではない。ただ、その言葉を外に出す気力が、途中で費えてしまったのだ。
「魔法、解いてくれないか?」
「ん?あ、忘れてた」
女の子が少しだけ体を力ませると、一瞬にして僕の見えない拘束具は外される。黙って立ち去ろうとする僕の背に、声がかかった。
「どこに行く気?」
「今のところ、どこかに行く予定はない。ただ、辺りで何とかやってくさ。今までだって、そうしてきたんだ」
そう、と返事が返ってくるのに続いて、水面に何かが弾かれた音がする。僕は思わず振り向くが、そこには女の子の姿はなかった。
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