第四十二話 魔の山に吹く風・中編(ラビエス、パラの冒険記)
「わかりました。ならば、モックさん! いいえ、風の魔王モック! あなたを倒すことは、私たちの使命です!」
俺――ラビエス・ラ・ブド――は、パラの真意を理解できる気がした。
おそらくマールやリッサは『私たちの使命』という言葉を、自分たち四人で魔王討伐するという意味に受け取っただろうが、それは表面的な理解に過ぎない。パラの目を見れば、そうは言っていないのが明白だった。この場合の『私たち』は『私たち転生者』の意味なのだろう。
どうやらパラも、この世界の真実を悟ったらしい。その上で、この世界の信仰の対象を倒せるのは、転生してきた俺たちだけだという考えに至ったようだ。
ただし、俺はパラとは違って、そこまで好戦的な考えにはなれなかった。今の俺たちが風の魔王モックと戦えるレベルとは思えないし、ならば倒すことよりも、生き延びることが最優先だ。
そんなことを俺が思ったところで、
「ほう。余を倒す、と言いおったか。なるほど、貴様らは、そういう存在なのか」
魔王モックが、興味深そうな口ぶりで、また話し始めた。『貴様ら』と言いながら、俺たち四人全員ではなく、俺とパラを見ているようだが……。
「そういえば、貴様らは、余が人間として振る舞っていた頃、他の者ほど余を嫌っていなかったな」
「それは違うぞ。私は、あの頃から、お前が嫌いだった!」
リッサが言葉を挟むが、魔王モックは、相手にしなかった。あえて魔王は反論しないようだが、俺にもわかっている。今の『貴様ら』に、リッサは含まれていない。
魔王モックが言いたいのは、俺とパラだけ態度が違っていたということだ。基本的に魔王は、この世界の人間からは毛嫌いされるはずなのに、俺とパラは例外だった……。
つまり。
魔王は言っているのだ。俺とパラはこの世界の人間ではない、と。二人は転生者なのだ、と。そのことに魔王も気づいたぞ、と。
これはまずい。
魔王にこれ以上しゃべらせると、マールの前で秘密を暴露されてしまう危険がある。早くこいつの口を封じないと……。
「そうだ、倒そう」
先ほどまでの慎重な
俺の言葉を戦闘開始の合図と受け取って、仲間は身構えるが、
「まあ、待て。そう急ぐことはないだろう? ラビエス、貴様までもが、余を倒すなどと言い出すとは……。余は少し悲しいぞ」
魔王モックが、俺たちを止めるかのように、右手を前に突き出した。
「なあ、ラビエス。余は、魔王として貴様と再会したら、言おうと思っていた言葉があるのだ」
これには、俺も少し興味をそそられる。「再会したら言おうと思っていた」と言う以上、俺を転生者だと知る前の話だろう。危ない話題にならないのであれば、聞いてやってもいい。むしろ、少しでも魔王自身についての情報を引き出して、これから戦う上で役立てたいくらいだ。
そんな俺に対して魔王は、風の渦に手を突っ込んで、三本の剣のうちの一本を引き抜きながら、
「ラビエス。余の部下になれ」
……え?
今、俺は何を言われた?
魔王の言葉を理解したくても、それを頭が拒んでいる感じだ。呆けてしまう俺だったが、かまわず魔王は話を続けていた。
「人間として旅をしている間に聞いたぞ。余がフランマ・スピリトゥに貸し与えた呪いの
ああ、最初の冒険旅行の話だ。リッサと知り合うことになったエピソードでもある。それに、まだ人間の旅人だったモックが、確かに言っていた。その噂をネクス村で聞いた、と。
「あれは本来、人間にどうこう出来る
四大魔王の一人から、これほど評価されるとは……。あれは元の世界の知識と経験を活かしたわけだから、ズルをしたようなものだ。『知恵の持ち主』という言葉は、適切ではないと思うのだが。
「それだけではない。仲間の助けを借りたとはいえ、風の魔王軍の幹部であるフランマ・スピリトゥまで、倒してしまった。つまり、魔王軍幹部に値するだけの武威も示したのだ」
いや、あの戦いは、ほとんどパラの功績なのだが。
「だから、ラビエス。余は貴様を、風の魔王軍の幹部として迎え入れたい。仲間の力も必要というならば、他の三人も、ラビエスの配下という形で風の魔王軍に加えてやろう」
魔王は、不気味な笑顔を見せていた。少なくとも、嘘を言っているようには見えなかった。
「どうだ、ラビエス。呪いの
そして魔王は、引き抜いた剣を、俺の足元に投げて寄越した。
「さあ! 幹部の証となる
カランと音を立てながら、俺の目の前に青い剣が転がってきた。
これが、
いやいや。
今は、そんな考察をしている場合ではない。思いっきり混乱してしまったが、現実逃避は
俺は今、風の魔王から、部下になるよう誘われたのだ。スカウトされたのだ。しかも、仲間も一緒で構わないという。この場を生き延びたいのであれば、二つ返事で頷くべきだが……。
そもそも。
あの呪いのウイルスには、俺も興味があった。おそらく魔法を用いたのだろうが、この世界の技術でも組換えウイルスを作り出せるというなら、俺も作ってみたいという気になる。この世界の組換えウイルス作製技術を勉強するだけでも、どれほど多くの知識が得られることか……。
ああ、本当に興味深い話だ。
元の世界でウイルスの研究をやっていた頃、別に俺は「ウイルス由来の病気で苦しむ人々を助けたい」なんて考えていたわけではなかった。ただ、知的好奇心に突き動かされて、研究を続けていただけだ。しかも、まだ研究者としては若手だった俺は、自由に好きなように研究テーマを決めることが出来たわけではない。所属する研究室を選ぶことで、ある程度は「ここで雇われる以上は、仕事の内容は、おそらく……」と研究分野を選択できたが、最終的な決定権は、
だから。
この世界に来たばかりで、まだ研究者気質の強い頃の俺ならば、喜んで風の魔王に従ったに違いない。
しかし……。
俺は、仲間の顔を見回した。
幼馴染である、マール。正確には俺の幼馴染ではなく、元の『ラビエス』の幼馴染だが、今や俺にとっても、それに近い感覚だ。
転生者である、パラ。最初は、同じ転生者であるがゆえに、遠ざけようとしていた。でも今となっては、逆に同じ転生者だからこそ、妙な親しみを感じている。
伯爵家の姫様、リッサ。呪いのウイルスの事件を通じて知り合って、最初は、その場限りの一時的な仲間だと思っていた。でも正式にパーティーに加入することになり、時折『姫様』の顔を覗かせることもあるものの、すっかり今では『冒険者』となった。大切な仲間の一人だ。
三人の仲間は今、息を止めて俺を見守っているようだった。
山頂に吹く風の音だけが、俺の耳に入ってくる。
――――――――――――
「さあ! 幹部の証となる
私――パラ・ミクソ――は、目の前の光景が信じられませんでした。
なんと風の魔王が、伝説の四大魔王の一人が、ラビエスさんを魔王軍幹部として引き抜こうとしているのです!
なんということでしょう。
さすがのラビエスさんも、これは予想外だったようで、完全に動きが止まっています。足元の
さあ、どうするのでしょうか?
これまで魔王討伐について相談する際、いつもラビエスさんは、慎重論を唱えていたような気がします。パーティーのリーダーとして、ラビエスさん自身と仲間の命を、最優先に考えているのでしょう。それはそれで、立派な考え方だと思うのですが……。
今回、生存のための最善策は、魔王に立ち向かうことではなく、魔王に言われた通り、配下に加わることではないでしょうか。ここで魔王と戦っても勝てる保証はありませんが、魔王の傘下に入れば、命を落とす危険はなくなるからです。その代わり、人類全体を敵に回すことになりそうですが。
でも……。
とりあえず今だけでも、そうした慎重策は、忘れてほしいと思います。
やはり魔王は、倒すべき存在だからです。
少なくとも、あれだけ魔王討伐に乗り気だったリッサは、魔王と敵対する立場を選ぶでしょう。たとえラビエスさんが、パーティーの命を守るために魔王軍に入ろうと言っても、リッサだけは反対するかもしれません。
その場合、マールさんは、どうするのでしょうか?
今のところ、マールさんもリッサと同じく、この世界の人間の常識として、魔王を嫌悪しています。敵意をむき出しにしています。でも、幼馴染のラビエスさんが魔王に従うと言い出したら、そちらの側に回るかもしれません。自分の主義主張よりも、幼馴染と同じ道を進もうとするかもしれません。
そんな事態になったら、パーティーが真っ二つに分かれてしまいます。おそらく私も、ラビエスさんやマールさんと敵対することになるでしょうから。
思えば、こちらの世界に転生して以来、私は『パラ』を演じることに必死になっていたような気がします。もちろん、『パラ』として学院で魔法を学んだり、冒険者を目指したり、卒業して実際に冒険者としてダンジョンを探索したりするのは、面白い経験でした。まるでRPGゲームのキャラになったかのような気分でした。
そういえば、元々はRPGではなく『ロールプレイングゲーム』という呼び方だったようですね。まさに私は、この世界で『パラ』という
ある意味それは、自分の意思ではなく『パラ』に流されて過ごしてきた、とも言えるのではないでしょうか。
しかし、今。
神様に与えられた使命――この世界に転生してきた意味――を自覚した私は、違います。はっきりと自分の意思で「魔王を倒す!」と決断したのです。
まあ、これはこれで『与えられた使命』である以上、神様が決めたレールに乗っているとも言えるかもしれませんが……。従うと決めたのは、私です。ここまで強く「そうする!」と決断したのは、初めてです。「転生してから初めて」というだけでなく、ひょっとしたら「人生で初めて」かもしれません。
だから私は、最悪の場合、リッサと二人だけでも、魔王相手に戦うつもりです。
そんな強い気持ちで、ラビエスさんを見守っていると……。
ああ、ラビエスさんの表情が変わりました。彼は彼で、答えを出したようです。
お願いですから、ラビエスさんも、誘いを断って、魔王と戦う道を選んでください……。
祈りながら見ていた私は、もう驚愕するしかありませんでした。
ラビエスさんが、頷くような仕草の後、
――――――――――――
俺――ラビエス・ラ・ブド――は、仲間たちに向かって大きく頷いてから、足元の
そして、魔王に向かって言い放った。
「この剣は、ありがたく貰っておこう。だが、勧誘の件は断る」
そう。
今の俺は、研究者ではなく、冒険者だ。
「冒険者は、魔王の部下になったりはしない!」
力強く決別を宣言した後、最後に俺は、これも付け加えた。
「……それに俺は、過大評価されるのが嫌いだからな。どうもあんたは、俺を過大評価しているように見える。それでは俺が部下になったところで、些細な失敗でもあんたに深く失望されて、簡単に処分されるんじゃないかな。とてもじゃないが、そんな未来はゴメンだ」
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