第四十話 氷の壁を越えて・後編(ラビエス、パラの冒険記)
翌朝。
「では、行ってきます」
「おう、しっかり頑張ってこい。今回は、村の一大事に関わる冒険じゃからな」
そんなフィロ先生の言葉に見送られて、俺――ラビエス・ラ・ブド――は治療院を出た。
早めに向かったつもりだったが、いつもの広場には、俺より先に女たち三人が来て待っていた。
俺がいつもの薄茶色の皮鎧を着ているように、マールは白赤ツートンカラーの
「おはよう、ラビエス」
「おはようございます!」
「おお、ラビエス! 今日の冒険は、今までとは一味違うぞ!」
特にリッサは、なんだか生き生きとしていた。
「ん? 何かあったのか?」
俺が何気なく尋ねると、
「私たち、女子寮のみんなからも期待されているみたい」
「食堂で朝の食事をしていたら、何度も声をかけられたのです。今まで話したこともない、他の冒険者の方々から!」
マールとパラが説明してくれた。
なるほど、フィロ先生の言っていた『村の一大事』も、大げさではないのかもしれない。多くの人々の期待を背負って冒険に出かけるなんて、本当に初めての体験だ。
「では、行きましょうか」
そう言って、マールが、足元に置いておいた荷物を背負った。
冒険旅行とは違うが、東の山脈にある山々は、日帰りで踏破できるような規模ではない。それに、今回は『氷の壁』もある。その時点でパラの『禁断の秘奥義』を使うのであれば、彼女は眠り込んでしまうから、休憩の必要がある。もちろん他の三人は健在だとしても、眠っているパラを背負ったまま、モンスターの出現する山道を進むのは危ないからだ。
そうした点を考慮して、俺たちはテント持参で、東の山脈へ向かうことになった。ガイキン山の場合と同じく、マールとリッサが交代で背負う予定になっている。
とりあえず、広場から東へ向かって、大通りをひたすら歩く。
まだ朝も早いので、通りを歩く村人は少ない。だが時折すれ違う人々が、俺たちに希望の
「もしかすると、本当に東の山脈にいるのかもしれないな」
突然リッサが、おかしなことを言い出した。
「何の話かしら?」
「ほら、前に私が言ったではないか。イスト村を囲む山脈地帯に、風の魔王がいるかもしれない、と」
マールの問いかけに対して、言葉を補足するリッサ。
彼女の言っているのは、最初に「魔王は高いところにいるのではないか」と議論した時の話だろう。あの時は「ならば村にも『魔』の気配が及ぶはず」ということで却下された考えだったが……。
なるほど、リッサとしては、現在イスト村に漂う不穏な気配も、東の山脈の黒雲も、魔王の影響だと考えたわけか。
しかし。
「いやいや、それはない。むしろ東の山脈は、逆に聖地らしいぞ」
俺はリッサの言葉を否定しながら、昨日フィロ先生から聞いた話を、仲間に披露する。ウイデム山に風の神様が降り立った、という伝説だ。
「そんな神聖な場所ならば、そこまで行けば、神様の御加護が得られそうですね」
「このトラブルを解決する助けになるかも……。ならば、まずは、ウイデム山を目指すべきね。そこに、あの男がいるにしても、いないにしても」
建設的な意見を述べる、パラとマール。
一方、リッサは、
「そうか、魔王云々ではなく、むしろ聖地を
あっさりと前言を撤回して、モックに対する悪口を吐いていた。
――――――――――――
私――パラ・ミクソ――たちは、おしゃべりしながら進むうちに、村の東端まで来ました。イスト村と東の山脈は繋がっているわけではないので、少しの間、私たちは野外フィールドを歩くことになります。
私が徒歩でイスト村を出るのは、これが初めてです。そもそも、村から出る時は常に西側からだったので、東側から出るだけで、少し新鮮な気分です。目前に緑の大地が広がっているのは同じですが、西と違って『一面の緑』ではなく、東の山脈が視界に入ってきます。
「ここからは、慎重に行きましょう」
「ああ。村に広まる不穏な空気に紛れるから、モンスターが近づく気配を察知しにくい。その分、しっかり目と耳を使わないとな」
マールさんとラビエスさんの言葉に、私も気を引き締めます。打ち合わせなどせずとも、ダンジョン探索と同じように、自然と前衛・後衛に別れました。リッサと私が前を歩き、マールさんとラビエスさんが後ろを固めます。前方だけでなく、バックアタックも警戒した布陣と言えるでしょう。
しばらく歩くと、何だか気持ちが少し、ざわざわと落ち着かない感じになりました。
「来るわ! 右斜め前方!」
「この状態でも、ちゃんと気配は読めるようだな。まずは一安心だ」
マールさんとラビエスさんが、モンスターの接近を告げます。敵が来て『一安心』というのも変ですが、まあ理屈はわかります。確かに、気配が察知できると確認できたのは、大きな意味がありますから。
それに。
私は私で、小さな感動がありました。この『少しざわざわと落ち着かない感じ』こそ、モンスターの気配だったのでしょう。ようやく私も、それがわかるようになってきたようです。もしも私一人なら「気配が読める! 私にも敵が読めます!」と叫び出したいくらいでした。
とりあえず、マールさんの言葉に従って、右斜め前方を注視すると……。
ああ、ゴブリンです。
「私に任せて! みんなは魔力温存で!」
マールさんが叫びながら、
「私がとどめを!」
「その必要はないわ!」
駆け出そうとしたリッサを遮って、マールさんがさらに二度、
「……この先、強いモンスターも出て来るはずよ。魔力も体力も、それまで温存しないとね。逃げ出すレベルのモンスターには、どんどん逃げてもらいましょう」
そう言ってマールさんが、本日最初の戦闘を締めくくりました。
続いて、緑ウィスプの集団と遭遇しましたが、マールさんの
「ここから先は、強いモンスターも現れるのだな?」
「そのはずよ。もう、
リッサの質問にマールさんが頷いて、私たちは、山道に入りました。
最初から、角度が急な山道です。道そのものは岩がむき出しですが、道の両側には、草や木も生えています。そのギャップのせいで、露骨に「ここを進め!」と言われている気がします。
山道に入ると同時に、不気味な気配も強くなってきた感じです。やはり、東の山脈の暗雲が元凶なのでしょう。モンスターの気配がわかりにくいかもしれない、という心配も強くなります。
そんな中。
「来たわ!」
マールさんの言葉と同時に、前方からモンスターが近づいてきました。今度は、
「これは、全員で攻撃しないとな」
そう言ってラビエスさんが、呪文を詠唱しました。
「ヴェントス・イクト・フォルティシマム!」
私も、負けていられません。ヒト型モンスターの肉を焦がす臭いは嫌だ、などと躊躇している場合でもありません。そろそろ、私も慣れる必要があるでしょう。
「アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」
ラビエスさんと私が、それぞれ得意な攻撃魔法の第三レベルを放ったので、六匹全体に結構なダメージを与えました。そこにマールさんが斬り込んでいき、リッサも駆け寄って鉤爪の連打を叩き込みます。
再び
今度は……。
「またゴブリン系だが……。これは初めて見るぞ」
「気をつけろ、リッサ。あれは強敵のはずだ」
山道で三度目の戦闘、その相手は、金属鎧を着込んだゴブリンでした。数は二匹です。
「
「防御力だけじゃなく、攻撃力も
マールさんとラビエスさんが、情報を伝えます。言われてみれば、魔法学院で教わったモンスター知識の中に、そんな話もあったような気がします。
「具体的には、どう戦うのだ?」
「私たちのパーティーならば……」
「まあ、
リッサの問いかけに、二人が答えました。
結局。
時間は
「ラビエス、これなら『強敵』は大げさだぞ」
「まあ、今回は二匹だけだったからね」
マールさんの言う通りです。もしも三匹以上だった場合、マールさんとリッサがそれぞれ一匹ずつと戦っている間に、残りが二人の隙を狙うはずです。素早く倒せる相手ではない以上『残り』がフリーになってしまう時間も結構あるからです。私とラビエスさんが魔法で『残り』の相手をするか、あるいは、マールさんとリッサが近接攻撃に出る前に、遠距離から魔法で今以上に弱らせるべきでしょう。
そうやって進むうちに、問題の『氷の壁』が見えてきました。
「おいおい。これは……」
「行く手を阻む障害に対して、こんな言葉は使いたくないけど……。ちょっと壮大な眺めね」
「私にも二人の気持ちは理解できるぞ。そう思わないか、パラ?」
「そうですね。全くです」
なんと言ったらいいのでしょうか。
山道を塞いでいるだけではありません。視界いっぱいの『壁』なのです。
イメージとしては、お金持ちの屋敷を囲む、どこまでも続く塀でしょう。あるいは、あちらの世界で社会科の教科書に載っていた『ベルリンの壁』が、こんな感じだったかもしれません。
とにかく。
なるほど、これでは迂回して「道以外の部分を無理して進む」というわけにもいかないでしょう。壁の高さも結構あるので、よじ登るのも無理そうです。確かに、破壊するしかありません。
「パラ、出番だぞ」
「しっかりね」
「はい!」
ラビエスさんとマールさんの言葉に、私は元気よく返事しました。
分厚い壁です。私の副次歌唱で、最大限の爆炎を叩き込む必要がありそうです。
以前の試行で、その力の及ぶ範囲もわかっているので、四人全員が『氷の壁』から十分に距離を取りました。少しくらい想定よりも規模が大きくなってもいいように、本当に余裕をもって『氷の壁』から離れました。
「では、行きますよ」
宣言してから、私は歌い始めます。
「おお神よ 炎の神よ
すべてを燃やす 業火の神よ
我は
我が命 魔力に変えて
我が魔力 炎に変えて
氷の障壁 溶かし尽くせ
唯一無二の 神の爆炎」
音程もリズムも基本的に、岩場地帯で試した時と同じですが、今回は少しだけ『歌詞』を変えています。ここで倒すべきは、『眼下の敵』ではなく『氷の障壁』だからです。気分の問題なので、これは重要です。
そうです。
破壊すべきものを、より正確にイメージするのです。それによって、自分の中で力が高まってくるのが感じられました。これならば、絶対に『氷の壁』を破壊できます!
その自信を極大の火炎のイメージに重ねて、私は、超炎魔法カリディガを唱えました。
「アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」
――――――――――――
「やったぞ!」
俺――ラビエス・ラ・ブド――の耳に、リッサの歓喜の声が飛び込んできた。
そう。
パラの爆炎は、確かに『氷の壁』に直撃した。これで、俺たちは先に進めるのだが……。
「この『氷の壁』って何だったのかしら。てっきり私は、パラの爆炎で跡形もなく消え去ると思ったのだけど……」
「実は、俺もそう思っていた」
マールと俺の予想を裏切り、パラの魔法が破壊したのは、あくまでも『氷の壁』の一部だけだった。山道を塞いでいた部分は消えたものの、道の両側の部分は健在だ。
この壁を破壊するだけで爆炎の威力のほとんどが費やされたようで、岩場地帯での実験とは異なり、今回は「周囲一帯が吹き飛ぶ」なんてことにも「
この『氷の壁』が、それだけ強固だったという証かもしれない。
「まあ、気にすることもないだろう。行く手を阻むものは消えたのだ! 先に進もう!」
「待ちなさい、リッサ。とりあえず、パラの魔力回復もあるから、今日はここまで。ちょうどパラが平らにしてくれた場所があるから、ここにテントを張って休みましょう」
マールの言う通りだ。
俺たちは、テントの設営に取り掛かった。
次の日。
パラが目覚めるまでは出発できないので、俺たちは昼頃までテントの中で、ゆっくりと過ごした。いつもすぐに戦いたがるリッサも、パラが眠ったままでは前に進めないのを理解して、大人しく待ってくれていた。
ようやく目が覚めたパラは、『氷の壁』の残存部分を見て、俺たちと同じく、不思議そうだった。
「ちょっと自信を
「気落ちすることはないわ。この『氷の壁』が特殊なのよ、きっと」
弱気な発言をするパラを、マールが慰める。
魔法の効果はイメージ次第、つまり術者の気分にも左右されるのだ。俺たちのパーティーで最大火力を誇るパラには、自信を持っていてもらわないと、強敵相手の時に困る。
そもそも、起床の遅さから考えても、パラが魔力の出し惜しみをしたとも思えない。やはり、この『氷の壁』が特別な存在だったのだろう。
その『氷の壁』を越えて少し進むと、山道は分岐していた。ちゃんと立て札もある。
「標識があるということは、以前は人の往来があったということですね」
「だったら『氷の壁』の出現も、つい最近の話なのかしら」
パラとマールの言う通りだ。誰も通れない山道ならば、立て札なんて設置されるはずもない。
「あの『氷の壁』も……。山頂の黒い雲や、村のトラブルと関係しているのだろうな」
リッサまでもが、そんな意見を口にしていた。
とりあえず『氷の壁』のことは忘れて、俺たちは、ともかく山道を歩いていく。
もちろん、途中で何度もモンスターと戦うことになった。
同じ山道とはいえ、出現モンスターのレベルや数を考えると、ガイキン山よりも難易度は高いと言って構わないだろう。
そして。
ウイデム山のルートに入り、その山頂が見えてきた辺りで、ちょうど夕方になった。
近くで少し広くなっている場所を探して、テントを設営。頂上前の、最後の一休みをする。
「上に近づくにつれて、嫌な気配が、どんどん強くなりますね」
「こんな中では、ちょっと眠りにくいな」
なかなか寝つけないらしいパラとリッサに対して、マールが、優しく声をかける。
「無理にでも眠らないと、自分が困るわ。明日は山頂の調査だからね。……リッサなんて、それこそ魔王がいるかも、って思うんでしょ?」
「いや、あの発言は、忘れてくれ」
俺の場所からではリッサの顔は見えないが、口調から察するに、苦笑しているようだ。
まあ、冗談が言い合えるくらいなら、大丈夫だろう。
そして、登山三日目。
俺たちは、ウイデム山の頂上らしき場所に辿り着いた。
曖昧な『頂上らしき』という言い方になったのは、とても
広々としている。
考えてみれば、ガイキン山も似たような感じだったから、この世界の『山』は、こういうものなのかもしれないが……。
ガイキン山とは明らかに違う点もあった。
木も草もないということだ。むき出しの岩肌が広がっており、しかも、禍々しい気配に満ちている。
「嫌な感じね……」
マールがそんな言葉を吐き出すほど、今までとは比べ物にならない『気配』だった。
そんな中。
山頂の中央には、三本の剣が刺さっており、その剣のまとまりを中心として風が渦を巻いていた。まるで小さなハリケーンのようだが、それをジッと凝視しながら、一人の男が座り込んでいる。男の周りにも、風が吹いているように見えた。
「やはり、ここにいたのか……」
口にしたのはリッサだけだが、おそらく四人全員が、同じことを思ったに違いない。
その男は、モックだった。
彼は、俺たちに気づいて、ゆっくりと立ち上がった。意味ありげな笑みを口元に浮かべながら、話しかけてくる。
「おお、ラビエス。それと、その仲間たちではないか。よく来たな。ちょうど今、儀式も終わったところだ」
立場の上の者が下の者に話しかけるような口調だった。違和感がある。以前は、こんな話し方をする男ではなかったのに。
それに、雰囲気もおかしい。まるで、山頂のこの異様な気配が、彼を中心として彼から噴き出しているかのようにすら思えてくる。その『気配』が空に立ち込めて、暗雲という形になったかのような……。
ふと、かつての彼の言葉を思い出す。直後に冗談として笑い飛ばしたが、一度は自分で「実は人間ではなくてモンスターなのかもしれない」と口にしたのだ……。
俺がそうやって考えている間に、リッサが、モックに言葉を投げかけていた。
「おい、モック。どうもおかしいぞ。元から変な奴だとは思っていたが、いったい何があった?」
これに対して、モックは素直に答える。その口元を、さらにニヤリと歪めながら。
「余は、思い出したのだ」
自分のことを『余』と言い出すとは……。その正体が気になって、俺は思わず尋ねてしまった。
「記憶を取り戻したのか? モック、お前は、いったい何だったんだ?」
モックは俺に目を向けて、決定的な言葉を口にする。
「余は、魔王だった。この大陸を支配する、風の魔王だったのだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます