第三十九話 氷の壁を越えて・前編(ラビエスの冒険記)

   

「ああ、みなさん! ようやく戻ってきたのですね!」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――が呼びに行くまでもなく、窓口のお姉さんの方から、広場の馬車のところまで出てきてくれた。村の冒険者の誰かが、この目立つ馬車の到着を、彼女に伝えたのだろう。

「わざわざ出迎え、ご苦労様です」

「いや、出迎えとか、そういうんじゃなくて。実は……」

 俺の挨拶に対して、少し彼女は表情を曇らせるが、すぐにいつもの営業スマイルを浮かべて、

「ああ、そうですね。まずは、お帰りなさい。とりあえず、大倉庫を開けますので、そちらへ馬車をしまってください。その後、お話がありますので、四人全員で組合の方へ……」


 リッサが馬を操り、白い馬車は大倉庫に入っていく。まだマールとパラは馬車の中なので、俺は窓口のお姉さんと二人で、倉庫の前で待つ形になった。

 彼女は何か用事のある口ぶりだったが、用件を話すのは、四人が揃ってからにしたいようだ。代わりに、世間話のような口調で、尋ねてきた。

「そういえば……。冒険旅行は、どうでした? 魔王討伐、成功しましたか?」

 いやいや、窓口のお姉さん自身、そうは思っていないだろう。

 俺は軽く笑いながら、

「まさか。魔王の顔すら拝めませんでしたよ。魔王がいるかもしれないという山に登ったのですが、そこにいたのは結局、魔王じゃなくて、リッサのペットだったドラゴンで……」

「ペットだったドラゴン?」

 驚いたような顔で、その言葉を繰り返すお姉さん。

 確かに、普通はドラゴンを飼ったりしないから、いきなり言われても意味がわからないはずだ。『ペットだったドラゴン』という言葉がスムーズに口から出てしまう俺も、リッサから妙な影響を受けたのかもしれない。

「ああ、説明不足でしたね。まだドラゴンが雛だった頃、ラゴスバット城で飼われていたそうで……。ただし、少し成長したら城から飛び去ってしまい、リッサとしても今回が久々の再会だったようです。それはそれは喜んでいましたよ」

「そうですか。リッサさんが喜んでくださったのなら……」

 珍しくリッサのことを『姫様』ではなく『リッサさん』と呼ぶ。少しだけ「あれ?」と思ったが、

「おお、ラビエス。今日は、ここで解散か? まだ何かあるなら、もう少し待ってくれ」

 ちょうど、そのリッサが馬車から降りて、こちらへ歩いてくるところだった。

 なるほど、お姉さんはそれに気づいて、リッサに聞かれても構わないように『リッサさん』という言葉を選んだようだ。

 リッサは、長行馬ちょうこうばを引いていた。倉庫の中で、馬車から外してきたのだろう。他の者は馬を扱えないので、大切な長行馬ちょうこうばを厩舎まで連れていくところまでが、御者であるリッサの仕事になるようだ。

 そのリッサの後ろからは、マールとパラもついてくる。

「まだ解散じゃない。とりあえずは『赤レンガ館』で話し合いだ」

 窓口のお姉さんを指し示しながら、俺は三人に向かって告げた。

「この人が……。俺たちに、何か用事があるそうだ」


 窓口のお姉さんと一緒に『赤レンガ館』へ入っていくと、食堂スペースにいた冒険者たちが、ざわざわと騒ぎ始めた。こちらを見て、何やら噂している感じだ。

「おい、帰ってきたぞ」

「あれが例の、火事っか?」

「あの娘の火力なら、おそらく……」

 はっきりと聞き取れた言葉は、これだけだったが……。

 どうやら、俺たち四人の中でも、特にパラについて話しているようだ。『火事っ』とか『あの娘の火力』とか、いつぞやの『西の大森林』の話に違いない。

 とりあえず。

 俺たちは、窓口のお姉さんに連れられて、窓口近くの大テーブルへ。冒険旅行の準備をしていた頃に、組合から借りた地図を広げたテーブルだ。

「まずは、座ってください。そして……」

 お姉さんに言われるがまま、俺たちが座ると、

「とりあえず、これでも飲んで、一息入れてください」

 お姉さんが手配していたようで、組合の事務員らしき女性が、お茶を運んできた。俺たちに軽く会釈すると、女性事務員は、すぐに窓口の奥へと引っ込む。いつもは奥の方で事務仕事をしており、俺たち冒険者とは、顔をあわせる機会もない人物だった。

「ねえ、ラビエス。なんだか様子が変じゃないかしら」

「ああ。ずいぶんと仰々しい感じだな」

 俺とマールが小声で言葉を交わしていると、

「こんな重要人物ブイアイピー対応……。かえって怖いですね」

「そうなのか? そのあたりの感覚、私には、よくわからないが……。ふむ。これも、学ぶべき点なのだろうな」

 パラとリッサも、思い思いの感想を口にしていた。

「さて、みなさん」

 俺たちが飲み物で喉を潤したのを確認してから、お姉さんが本題に入る。

「実は、冒険者組合から、あなたたちに対して依頼があります」

「おお! 仕事の依頼か!」

 嬉しそうな声で、真っ先に飛びついたのはリッサだった。

「どんな仕事だ? わざわざ指名ということは、私たちにしか出来ない仕事なのか?」

「それは……」

 いきなり口ごもるお姉さん。

 四人を代表してリッサが受け応えをしてくれるなら、俺としては好都合だ。窓口のお姉さんはリッサの正体を知っているだけに、強気な態度には出られないはずだから。最初に『重要人物ブイアイピー対応』をされる時点で、何か胡散臭い感じもあったが、今回に限っては、リッサに任せれば安心ということだ。

「みなさん、村の様子がおかしいのには気づきましたか?」

 お姉さんは、そこから話を始めることにしたらしい。俺たちが馬車の中からでも感じた、あの不穏な気配の話だろう。

「言われてみれば……。なんだか元気ない感じだな。私たちの馬車が通りを走っても、以前ほど注目されなくなったのは、見慣れたからではなく、村人自体に活気がないためだったのか」

「そう、その話です。リッサさんがおっしゃる通り、みんな『元気ない感じ』ですよね」

「そんなことより……」

 お姉さんは村の一大事について話そうとしているようだが、リッサは『そんなこと』と言い出した。

「……私としては、村の外の方が気になったぞ。東の山脈の上に浮かんでいる暗雲、あれは一体、何物だ?」

「ああ! それも関係した話です! というより、あれが出現して以来、どうも村の様子が……」

 そして。

 窓口のお姉さんは、その詳細を語り始めた。


 異変自体が始まったのは、一週間くらい前。だが、そもそもの発端になっているのは、その少し前の、モックの行動なのかもしれない。

 そう、かつて俺たちに護衛仕事を依頼しようとした、あの旅人モックだ。結局、彼はパラの提案に従って、冒険者組合を通して正式に、警護をしてくれる冒険者を募集した。

 しかし、なかなか話がまとまらなかったらしい。もちろん、仕事を引き受けようとする冒険者もいたが、いざモックと直接面談すると、誰もが「この依頼人の仕事は、引き受けられない」と拒否してしまったのだ。

「まあ、モックさんは、あの通りのお人ですからねえ」

 と、個人的な感想を挟む、窓口のお姉さん。彼女もモックから、何か失礼なセクハラ発言を受けたのかもしれない。

 ともかく。

 それでもモックは、警護を引き受けてくれる冒険者が現れるまで、かなり粘ったらしい。結局は諦めて、依頼書の掲示もキャンセルして、単独で東の山脈に向かった。それが、今から十日くらい前のことだった。

「私としても、一度は窓口で業務対応したお客様です。誰も依頼の引き受け手が出てこなかったということは、冒険者組合がお客様の力になれなかったということです。その後、本当に一人で大丈夫だったのか、少しだけ気になったのですが……」

 それから二、三日して。

 モックが向かったはずの、東の山脈の頭上に、不気味な黒い雲が出現した。

 時を同じくして、村人たちの間に、気分が悪くなる者が続出した。

「あの黒い雲を見たせいで、気分が悪くなった……。そういうことですか?」

 途中で口を挟むのも悪いと思ったが、俺は、つい質問してしまった。不穏な存在を目にして心配で具合が悪くなるというのは、ある種の思い込みだろう。『やまいは気から』という言葉もある。

 しかし、お姉さんは首を横に振って、

「いいえ。冒険者と治療師を兼任しているラビエスさんが、その点を気にするのは理解できますが……。暗雲の出現に気づかぬまま、体調を崩した村人も結構います。ただの気のせい、とは思えませんでした」

 もう村中むらじゅうの治療師が大忙しだったらしい。さすがに冒険者は、それくらいで体を壊したりはしなかったが、熟練の冒険者たちは「ダンジョンでモンスターに襲われた時のような気分が、ずっと続く」と言い出した。

「ああ、なんとなくですが、それはわかります」

「村に近づいただけで、モンスター出現の気配を感じたからね」

 パラとマールが、お姉さんの話に頷きながら、それぞれ意見を述べる。

 俺も、あの時に感じた不安を口にすることにした。

「村に戻ったら壊滅していて、モンスターが村内を闊歩しているのではないか……。そんな最悪の可能性も、頭をよぎりました」

 しかし、

「そういうシャレにならない話は、遠慮してください」

 窓口のお姉さんは苦笑しながら、俺の言葉をバッサリ切り捨てて、話を続ける。


 事ここに至り、冒険者組合イスト村支部としても、事態を放っておけなくなった。

 実際に村が壊滅するというわけではないが、このままでは、村が村として機能しなくなるかもしれない。そうなれば当然、そこに拠点を構えるイスト村支部も、業務に支障をきたすだろう。

 直接関連する証拠はないが、タイミング的には、山に暗雲が現れたのは、ちょうどモックが山々の山頂の一つに到達したくらいの頃だった。

 そこで、彼が何かやらかしたのではないか、という噂も出始めた。

「まあ、モックさんが原因かどうかはともかくとして……。あの雲が怪しいのは確かですから、とりあえず山を調べよう、ということになりました」

 冒険者組合が正式に依頼を出し、それを受けて、冒険者が東の山脈に向かった。ところが山道の途中で、巨大な氷の壁に出くわし、行く手を阻まれてしまう。

 力自慢の武闘家や戦士が、腕力や剣技で壊そうとしても、とても破壊できなかった。炎魔法を得意とする黒魔法士が、火力で溶かそうとしても、歯が立たなかった。色々な魔法を扱える者が、他の系統の攻撃魔法で立ち向かっても、やはり駄目だった。

 腕に自信のある冒険者が全員チャレンジして、ことごとく失敗に終わったところに、俺たちが村へ戻ってきたのだった。

「冒険者の方々も、もちろん冒険者組合も、以前の『西の大森林』の火災は覚えています。ですから……」

 窓口のお姉さんの発言と同時に、その場の全員の視線が、一斉にパラへと向く。

「……パラさんの魔法ならば、氷の障壁も突破できるのではないでしょうか? どうか、お願いします。ラビエスさんのパーティーで、氷の壁を越えて、東の山脈の怪異を調査してください」


 当然のように、俺たちはこの依頼を快諾した。一つの冒険旅行を終わらせたところで、魔王討伐に関しては、次の指針も決まっていない。そちらは一時中断としても良かろう、という判断だった。

「本当に、モックが山に登ったことも関わっているとしたら……。彼の話を断って、一人で行かせた俺たちにも、少し責任あるからな」

「個人的には、あの男には、もう二度と会いたくないんだけどね」

「私もマールと同意見だ」

 俺の発言に対して、マールとリッサが、そんな感想を口にする。今でも二人は、モックを嫌っているらしい。

 二人とは違う意味で、俺も本当は『もう二度と会いたくない』と思う。なにしろモックには『転生者か否かを見抜く生きた判別装置』という可能性があるのだから……。


 仕事を引き受けたとはいえ、今すぐ東の山脈に向かうのは無理だった。もう夕方であるし、そもそも俺たちは冒険旅行から帰ってきたばかりだ。とりあえず今晩は、ゆっくり休んで疲れをとって、明日の早朝に出かけることに決まった。

 そんなわけで、俺が治療院に戻ると……。

「おお、ラビエス。ようやく帰ってきたか。お前さんがいない間、ここは大繁盛じゃったわい」

 疲れた顔のフィロ先生が、俺を出迎える。

「実のところ、治療院が繁盛するのは、わしとしても、あまり喜ばしい話ではないがのう」

「ご苦労様でした。冒険者組合で、俺も事情は聞きましたが……」

 早速フィロ先生に、明日から東の山脈を調べるという話を伝える。

「ふむ。ラビエスたちが行くのか……」

 明日は土曜日であり、本来ならば俺は治療院を手伝う日だが、状況が状況なので、それに関してはフィロ先生も何も言わなかった。まあ、前回の冒険旅行も金曜日に村に帰ったが、翌日の手伝いはお休みさせてもらっているので、これに関しては俺も特に心配していなかったのだが。

「なあ、ラビエス」

 フィロ先生が、何やら考え込むような表情で、口を開く。

「東の山脈に連なる山々の一つに、ウイデム山があってのう。若い者は知らんと思うが……。あそこには、かつて風の神様が降臨なさった、という伝説がある」

 初耳だった。若い者だから、というだけではなく、俺がこの村の生まれではないからかもしれない。

「だから年寄りの中には、ウイデム山を聖地として崇めている者も、結構いるくらいじゃ」

「では、聖地巡礼のような形で、登山する人も……?」

 しかし、東の山脈には手強てごわいモンスターも出現するという話だから、一般の村人が単独で行くのは不可能だろう。聖地巡礼ツアーみたいなものが行われるとしたら、その警護に冒険者が雇われるはずだが、そうした依頼書の掲示は、今まで見たことがない。

「いや、逆じゃ」

 フィロ先生は首を横に振って、

「むしろ恐れ多い、絶対に足を踏み入れてはいけない場所、とされておる」

 そして、いつになく険しい顔で、俺に向かって言い切った。

「もしも、そのモックという奴が、そんな神聖な地を荒らしたのだとしたら……。天罰を食らうのも当然じゃ。その悪戯坊主には、キツイお仕置きが必要じゃろうな」

   

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