第三十八話 おみやげ(ラビエスの冒険記)

   

 俺――ラビエス・ラ・ブド――たちが魔竜に乗って村に戻ると、村人は皆、当然のように驚いていた。

 無理もない。村をおびやかしていた元凶が、村人の前に現れたのだから。

 彼らは最初、俺たちを遠巻きに眺めるだけだった。魔竜の背中から降りた俺たちが、彼らに近づこうとして一歩、足を前に踏み出すと、俺たちを取り巻く群衆の輪が、俺たちの動きに合わせて後退する。

「なんだか私たち、ずいぶんと警戒されているようです……」

「仕方ないんじゃないかしら? この竜を見せられてはねえ」

「わからない話だな。モコラは、こんなに可愛いというのに」

 女たち三人の言葉には、納得できるものもあれば、とても同意できないものもあった。

 そして村人を代表するかのように、宿屋の女将さんが、俺たちに近づいてくる。別に村の責任者というわけでもないだろうに、おそらく「俺たちと一番会話をした人物」ということで、この役を押し付けられたのだろう。

「お、お客さんたち……。これは、いったい……?」

 女将さんは、俺たちと魔竜を見比べながら、それだけ言うのが精一杯だった。

 そんな彼女に対して、苦笑しながらパラが告げる。

「安心してください。大黒魔竜は、村人に危害を加えません。こちらにいるリッサの、旧友ですから」

「きゅ、旧友? この恐ろしげな、大黒魔竜が……?」

 女将さんだけではない。集まった村人たちも、ざわざわと騒ぎ始めた。皆、とても信じられないという顔をしている。

 俺たちは、彼らに事情を説明した。

 リッサのペットだった経緯は簡単に済ませて、特に「この竜は、もうガイキン山から飛び去る」という点を、強調して語って聞かせた。

 すると、村人たちの様子が明らかに変わる。

「本当ですか!」

 まだ半信半疑といった態度だが、それでも、村人たちが喜んでいるのは明白だった。

 そんな空気に水を差すかのように、魔竜が「キヒィー!」と一声、鳴き声を上げる。

「ひっ?」

「きゃっ!」

 村人たちは、悲鳴と共に、俺たちから距離をとるが……。

「安心していいぞ! モコラは、ただ『本当です』と言っているだけだ。あと『今まで迷惑かけたようで、ごめんなさい』とも言っている」

「キヒィー! キヒィー!」

「モコラがいなくなれば、魔力に引き寄せられて集まっていた鳥型モンスターも、山から去ってしまうはず……。そんな話もしているぞ。良かったな!」

 リッサが、竜の鳴き声を通訳してみせた。まあ、ここの村人たちが、どれだけリッサの言葉を信じるのか、それは定かではないが。

 さらにリッサは、魔竜に歩み寄り、再び背中に上った。その行動の意図は俺にもわからず、不思議に思いながら見ていると、なんとリッサは、竜の背中から鱗を一枚、引き抜いた!

「おい! そんなことして大丈夫か?」

 さすがに、これは危ないと思って、声をかけてしまった。『逆鱗に触れる』という言葉が、頭に浮かんできたのだ。いくら温厚なペットだとしても、竜の鱗は何か「絶対に触れてはいけないもの」という気がしてしまう。

「ラビエス、安心してくれ。むしろモコラが、こうしろと言っているのだ。村の皆も、どうだ? 親愛の証として、モコラは自分の鱗をプレゼントしたいと言うのだが……。誰か、欲しい者はいないか? 今、私がやってみせたように、背中から引き抜くだけだぞ」

 リッサは、そんな提案をしたが。

 これは村人だけでなく、仲間の俺たちまで一斉に、手と首を横に振って、丁重にお断りさせてもらった。


 そして。

「元気でな! また、どこかで会おう!」

 飛び去っていくモコラに対して、別れを惜しむリッサが、いつまでも手を振っている。

 一方、村人たちには、当然『別れを惜しむ』なんて気持ちはない。彼らは、厄介者がいなくなってせいせいする、という顔をしていた。


 その夜。

 俺たちは、村を挙げての盛大な宴で、もてなされることになった

 別に俺たちが関わらなくても魔竜は山から消え去るタイミングだったわけだが、村人たちにしてみれば、まるで俺たちが追い払ったかのように思えたのだろう。最後にリッサが魔竜の鱗を抜き取った行為も、竜を手懐けたと示すためのパフォーマンスに見えたのかもしれない。

 宿屋の食堂に、村人たちが様々な料理を持ち寄り、俺たちに振る舞った。彼ら自身が日頃から口にしている家庭料理もあれば、来客向けと思われるよそいきの料理もあった。

 ガイキン村の料理は、予想以上に美味しかった。昨晩、宿で提供された食事も悪くなかったが、それ以上の味だ。こんな小さな村なのに、と不思議なほどだった。しかし考えてみれば、女将さんが「ここはガイキン山の観光客向けに出来た村」と言っていたくらいだ。観光客の中でも裕福な客のために、特別上等な料理なども用意されていたのだろう。

 そうやって料理に舌鼓を打っていると、

「ラビエスさんは、今日もビールですね」

 パラが、俺に話しかけてきた。

 いつものダークビールとは違うが、この村の地ビールも悪くない。

「ああ。パラも一口、飲んでみるか?」

「いや、私は……」

 相変わらずアルコールは苦手なようで、パラは、果物のジュースを飲んでいるようだ。

「まあまあ、そう言わずに……。ここの地ビールは、スタウト系ではなくエール系のビールだからな。しかも、エールの中でもアルコール度の低いタイプだ。ほら、色も薄いだろう?」

「ええ。見た感じ、ラビエスさんの好きそうなビールとは違う感じですが……」

「そうでもない。確かにスタウトのようなコクのある苦味はないが、代わりに、フルーティーな味と香りがある。ちょっとカクテルっぽいビールと思ってくれたらいい」

「いや、私はカクテルも飲まないので、そう言われても想像できなくて……」

「そうか。ならば、ジュースみたいなビールだと思ってくれ。そういう意味で、初心者にもオススメのビールだ」

「でも……」

 パラに対して、俺が一生懸命ビールの良さを語っていたら、反対側から、ポンと頭を叩かれた。振り向くと、マールが笑顔で、少し眉だけをひそめている。

「やめなさい、ラビエス。飲みたくない人に無理して酒を飲ませようとするのは、一番タチの悪い酔っ払いよ」

「ああ、悪かった。でも俺は、ただ単にビールの旨さを知ってもらいたくて……。ほら、それに、この村のビールは、ここでしか飲めないわけだろう? だったら、せっかくの機会を逃すのは惜しいから……」

「そんなに言うなら、パラの代わりに、私が飲んであげる」

 そう言って、マールは俺の手からグラスを引ったくって、グイッと一気に飲み干した。

「おい、マール! 全部飲むことはないだろう!」

「じゃあラビエスには、代わりに、私が飲んでいたのをあげる。これで、おあいこね」 

 俺の抗議に対して、マールは、先ほどまで口をつけていた方のグラスを俺に渡してよこすが……。

 よく見れば、その中身は、俺のと同じ地ビールだった。

「同じエールじゃないか!」

「そうよ。今日は私も、ワインじゃなくてビールを飲んでいたの。ラビエスの言う通り、ここのビールは口当たりの良い、飲みやすい味だったから」

 お互いのグラスに入っていた酒が同じものなら、いったい何故、交換する必要があったのか……。

「わけがわからん」

 そう言いながら、俺は、マールから受け取ったグラスに口をつける。うん、見た目だけではなく、味も同じ地ビールだ。本当に、意味がわからない。

「意味なんてないのよ」

 マールは、妙に嬉しそうだ。悪戯イタズラが成功した子供のような笑みを、口元に浮かべている。

 横で見ていたパラまで、なぜかニヤニヤして、

「ラビエスさんには、女心なんて、わからないでしょうからね」


 女二人から、少しオモチャにされたような気分だ。まあ、酒の席での話と思えば、そう悪い気もしないのだが……。

 そういえば、もう一人の女性であるリッサは、何をしているのだろう?

 見れば、リッサは村人たちと話すでもなく、手にしたものを眺めながら、少し寂しそうな表情を浮かべていた。

「リッサ、どうした?」

「ああ、ラビエス。なんでもないぞ。気にしないでくれ」

 俺が近寄ると、リッサは軽く笑ってみせた。

 ここで俺は、彼女が何をしみじみと見つめていたのか、ようやく気づいた。リッサの手には、魔竜からもらった鱗があったのだ。ペットだった竜のことを思い出して、あんな顔をしていたらしい。

「そうか。せっかく会えたのに、また、お別れだもんな……」

「いや。サヨナラでも、お別れでもないぞ。モコラは、ピンチの時には駆けつける、と約束してくれた」

 強敵とのバトルに、あんな大黒魔竜が加勢してくれるのであれば、確かに助かるのだが……。どうやって『駆けつける』というのだ?

「この『モコラの竜鱗』は、その約束の証なのだ。再会の日まで私は、この竜鱗をモコラだと思って、肌身離さず持っていようと思う」

 そう言ってリッサは、自分の胸元に『モコラの竜鱗』を突っ込んだ。

 いやはや。

 俺も、漫画やアニメでは、そうした仕草をする巨乳キャラを何度も見てきた。だが、あくまでもフィクションの中の話だと思っていた。実際に目の前でそれをやられると、ちょっとギョッとするというか、ドキッとするというか……。

 まあリッサとしては他意はなく、文字通り『肌身離さず』持っていたい、ということなのだろう。


 一夜明けて。

 冒険旅行としては十三日目、曜日としては木曜日の朝。

「ありがとう!」

「また来てください! いつでも大歓迎します!」

「次に来た時は、新しいガイキン山です。景色の素晴らしい観光地である、本当のガイキン山をお見せします!」

 俺たちは、村人たちの感謝の声に見送られて、ガイキン村を後にした。

 魔王の居城を確認するという、本来の目的は果たせなかったが……。出発前の「魔王がガイキン山にいようがいまいが、山頂を確認したら、イスト村に戻る」という予定に従って、俺たちは、イスト村への帰路についたのだった。

 しばらくは街道もないので、来た時と同じように、マールは御者台でリッサの隣に座り、方位磁針コンパスで方角を確認している。少なくとも岩場地帯を抜けて街道に入るまでは、そこからマールは動けないだろう。

 だから、しばらくの間、キャビンに乗っているのは俺とパラの二人だけだった。やはり、御者台に面した小窓は開けたままにしてある。「キャビンの中の二人と御者台の二人が、すぐに連絡し合えるように」というのが主な理由。さらに俺個人としては「パラと二人きりで内緒話ができる状態は嫌」というのもあった。このあたりの事情も、往路と同じだ。

 今、小窓から御者台の様子を見てみると……。

 マールは真剣に、手にした方位磁針コンパスと進路前方に目を向けていた。むしろ手綱を握るリッサの方が、余裕のある感じだ。もうすっかり長行馬ちょうこうばの扱いにも慣れたらしい。

 表情を見ても、リッサは楽しそうだ。結局魔王の姿を見ることなく村に戻るのだから、魔王討伐に乗り気だったリッサは、もっと落胆しても不思議ではないのだが……。

「リッサは、今回の冒険旅行に満足したみたいですね」

 パラが、ふと呟いた。俺と同じ疑問をいだいたのだろうか。

 しかしパラに目を向けると、彼女の顔に困惑の色は浮かんでいない。むしろ微笑んでいる。

「満足……できたのかな?」

「もちろんですよ。リッサには、おみやげもありましたから」

 一瞬、パラの言葉の意味が理解できなかった。この旅行で、土産物などないはずだが……。そう思ったところで、気づいた。「リッサには」という言葉の意味に。そう、俺たち三人には何もないが、リッサだけには『おみやげ』があったのだ。

「ああ、あの『モコラの竜鱗』か」

「そうです。思いがけない再会を果たした、その証ですね」

 思いがけない再会。

 確かに、それはリッサにとって大きな収穫だったはずだ。詳しく聞いたわけではないが、リッサが冒険者になって大陸を旅して回りたいと考えていた動機の一つが、昔のペットのドラゴンと再会することだったのだろう。それが実現したというだけで、魔王云々の話など吹き飛ぶほどの喜びだったに違いない。

「そうだな……」

 昨夜リッサが『モコラの竜鱗』を胸の谷間に挟み込んだ光景を、ついつい俺は、頭の中で思い返していた。どうやら俺にとって『モコラの竜鱗』は、あの時の様子を思い起こさせるシンボルになってしまったらしい。


 帰り道でも、行きと同じく、夕方の戦闘は日課として続けられた。ただ馬車に揺られるだけの毎日では、冒険者としては体がなまってしまうと思ったからだ。

 出てくる敵は、ウィスプ系とゴブリン系ばかりだった。やはり青ウィスプ、緑ウィスプ、普通のゴブリンは、最後まで戦わずに途中で逃げ出す始末。一方、黒ウィスプとランスゴブリンは、きっちり俺たちに倒されるまで付き合ってくれた。

 なお、岩場地帯でのパラの副次歌唱の試行は、復路では行わなかった。改善点は明確になったものの、どういう感覚で詠唱したら実行できるのか、具体的にはわからなかったからだ。ならば、とりあえず今は往路での実験だけで十分だろう、と四人の意見が一致したのだった。また、もしもパラが『封印されし禁断の秘奥義』を試みると、翌日彼女の目覚めが極端に遅くなるため、一日に移動できる距離が短くなる、という理由もあった。

 そのため、帰路は往路よりも時間短縮になった。ただ帰るだけなので、特に急ぐ理由もないはずだったのに。

 それだけ、パラの起床が遅くなることによる時間のロスが大きかったのか。あるいは、御者リッサの気分が良くて、馬車のスピード自体が来る時よりも上がっていたのか。

 往路は出発日から十一日目まで丸々十一日かかったのに対し、復路は十三日目から二十一日目までの九日間。冒険旅行二十一日目、金曜日の夕方になる頃、馬車は見慣れた『西の大森林』に差し掛かった。

 普通ならば「帰ってきた」という感慨に浸るところだが……。

「なんだか、おかしな気配がしませんか?」

 キャビンの窓から外を眺めていたパラが、少し険しい顔で、こちらを振り返る。

 ちなみに、岩場地帯を抜けて街道を走るようになってからは、マールもキャビンに戻ってきているので、今ここには三人いる形だ。

 そのマールが一瞬、俺と顔を見合わせてから、

「あら。パラも気づくようになったのね」

「そうだな。ダンジョンやフィールドで、モンスターが出現した時の気配に似ている」

 一応、俺はそう返しておいたが……。

 これをもって「モンスターの気配に気づくようになった」と言ってしまうのは、まだ早計かもしれない。

 モンスターの気配に似ているのは確かだが、似ているだけで、少し違う。うまく言えないが、漠然と広がる大きな気配だ。ある意味、ダンジョンのモンスター以上にわかりやすい雰囲気だと思う。

 いったい、イスト村で何が起きているのだろうか。

 まさか、帰ったら村が壊滅しているなんてことは、ないだろうな……?


 村に入ると、いっそう強く、不穏な空気が漂っていた。

 そうはいっても、通りを歩く村人もいるし、両側の建物の窓も普通に開いている。ただ、人々の表情は明らかに暗かった。

「やっぱり、変ですね」

「そうね。ちょっと心配だわ」

 もう俺は余計な口は出さずに、おしゃべりは女たちに任せることにした。

 そして。

 馬車は、スタート地点の中央広場に帰り着いて、そこで停車した。もちろん、最後には冒険者組合の大倉庫まで行く必要があるのだが、それには、窓口のお姉さんに倉庫の扉を開けてもらう必要がある。だから彼女を呼びに行くために、いったん俺一人が、馬車から降りたのだが……。

「おい、ラビエス」

 御者台に座ったままのリッサに声をかけられて、俺は足を止めた。

「なんだ? 今から俺は、窓口に行くつもりなのだが……」

「ああ、それは頼む。それより……」

 リッサは、東の方角を指し示しながら言った。

「馬車の中からでは、気づかなかっただろう? 見ろ」

 確かに、キャビンの中にいた俺たち三人より、御者台にいたリッサの方が、視野は広かったのだろう。キャビンの窓からでも外の景色は見えたが、それでは視線の角度に制限があったはずだ。

 リッサの指先は東の山脈に向けられているので、そちらに目をやると……。

「あっ!」

 俺は、村の不穏な気配の正体を悟ったような気がして、思わず叫んでしまった。

 そう。

 山の上に、山脈一帯を覆うようにして、不気味な黒い雲が浮かんでいたのだった。

   

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