第三十一話 新たなる旅立ち・後編(ラビエスの冒険記)
俺――ラビエス・ラ・ブド――たちは、昼食の
「リッサ、一応、言っておくわ」
馬が走り始める前に、マールが正面の小窓から、御者台のリッサに声をかける。
「そろそろ、街道が二つに分岐するところに差し掛かると思うけど……。右へ
「大丈夫だ、それは私も理解している。北へ行く道は、ネクス村やラゴスバット城へ続くのだろう? それでは里帰りになってしまうからな」
元の世界で俺は「女性は地図を読むのが苦手」などという差別的な偏見を耳にしたこともあったが、少なくともマールとリッサには、当てはまらないようだ。二人とも、しっかり位置関係を頭に叩き込んできたらしい。『地図を読む』どころか『地図を記憶する』ことが必要になってくるこの世界では、これくらいでないと、冒険者なんてやってられないのだろう。
午後の旅が始まってしばらくの間、俺もパラのように、外の景色を眺めることにした。相変わらず同じ緑の景色ばかりだが……。
確かにマールが言った通り、少し進んだところで、街道は二つに分かれていた。ただし、均等に分岐するY字路ではない。あくまでも西へ進むのが本筋で、そこに北への枝道がくっついている、という感じだった。
前回ネクス村まで馬車に揺られた時は、この『枝道』の方へ入っていったのだろう。あの時は、何も意識していなかったが……。
あらためて考えてみると、今ここでネクス村へのルートから外れるということは、今から進む街道は、俺にとって未知の道ということになる。それに気づいたら、なんだか少し緊張してきた。
突然。
「ようやく、私たちの本格的な冒険が始まるのよ」
マールが、ぽんっと俺の肩を叩く。いや『肩を叩く』というより、優しく肩に手を置いた、という方が正しいか。
どうやら、俺は少し体を
「ああ、そうだな。わくわくするよ」
「もう、無理しちゃって。ほら、リラックス、リラックス」
マールの手の温もりによって、俺は、心の中の硬直が解きほぐされるような気分になった。
ちなみに。
向かいに座っていたパラは、いつのまにか窓の外を見るのは
夕方。
空が赤くなり始めた頃に、リッサは、再び馬車を停めた。
「一日、お疲れ様です。ありがとう、リッサ」
「いや、これくらい何でもないぞ。むしろ楽しいくらいだ。なにしろ、冒険旅行だからな!」
リッサへの
夕食の前にテントを用意してしまおう、というわけだ。このテントの組み立てにどれくらい時間を取られるのか、俺にもマールにもわからない。もし食事を先にして、テント設営に手間取るうちに、暗くなったりしたら大変だ。そうした事情は、特に打ち合わせなどせずとも、マールも俺と同じ考えだったらしい。
「おお、テントの組み立てか! やり方は知っているのか?」
「まあ、一応ね。私とラビエスなら、大丈夫だと思うわ」
リッサの問いに対して、言葉以上に自信ありそうな表情で、マールが答えた。
「では、お二人にお任せします。リッサ、私たちは邪魔にならないように見ておきましょう」
「そうさせてもらおう」
パラとリッサの会話を聞いて、俺は二人に声をかける。
「ああ、今日のところは、二人は何もしなくていい。ただ、出来れば俺たちの作業を見て、手順を覚えてくれると助かる」
俺――厳密にはオリジナルの『ラビエス』――とマールの故郷は、緑あふれる田舎村だった。『村』の範囲内、つまりモンスターが出没しない安全なエリアに、キャンプ場まで存在するくらいだった。
だから二人は小さい頃に、野外キャンプの経験がある。二家族合同の、ちょっとしたキャンプ旅行だ。その際、それぞれの両親からテント設営の手順も教わった。冒険旅行用のテントではなく、一般的なレジャー用のテントだったが、まあ基本は変わらないだろう。
もちろん、これはオリジナルの『ラビエス』の話であり、俺はそれを『思い出した』記憶の中でしか知らない。実際に俺自身が体験した出来事ではなかった。
ただし、元の世界にいた頃の俺も、自然が大好きな人間だった。本格的にアウトドアを趣味にしていたわけではないが、ハイキングや山歩きには、頻繁に出かけていた。キャンプについても興味や関心はあったし、そうして聞きかじった知識と『ラビエス』の記憶とを繋ぎ合わせれば、マールと協力してテントを組み立てるくらい、何とかなるはずだ。
「この辺りでいいかしら?」
「ああ、そうだろうな」
雨が降ってきた時のことを考えて、水はけの良い場所に設営しろ、という基本があったはず。だが俺たちの場合、とにかく緑の草原だ。どこも『水はけ』は同じだろう。また、木陰が推奨されていたような気もするが、それは諦めよう。
とりあえず、他の旅人の通行も考慮して――まあ今まで別の馬車とすれ違ったことはないのだが――、邪魔にならないように、街道から少しだけ離れた場所を設営地として選んだ。
「まずは、テントを広げることだな」
俺は、あえて手順を口に出した。
横で見ているリッサとパラに教えるためでもあり、自分自身に確認するためでもある。それと、もう一つ。
「昔キャンプをした経験は、ちゃんと『思い出して』いるのね?」
「ああ、大丈夫だと思う」
俺が間違っていないことを、マールに確かめてもらうという意味もあった。
たたんであるテントを広げた次は、ポールの準備。
「これを引き伸ばして……」
持ち運ぶ際はコンパクトに収まっていたポールを、テントの軸となる長さにまで伸ばす。
「……ここでいいんだよな?」
「どう見ても、そこね」
いかにも「ここに入れろ」と言わんばかりについている、テントの
「おお!」
「テントがテントになりましたね!」
言葉としては不自然だが、見物人二人の言いたいことはわかる。それまで平面的に広げられていた、
一応、大まかな形としては完成だが、まだこれではテントしては不安定。
「これかしら?」
「これも、そうだろうな」
マールと二人で、テントとポールを固定するフックらしきものを探し出し、がっちり引っ掛けていく。
さらに。
「これは、安物のテントじゃないから……」
「これで……完成か?」
「まだ部品が余っているようですが……」
リッサとパラが言葉を交わしているように。
テントそのものは出来たと言えるかもしれないが、最後に、テントを地面に固定する作業が残っている。寝ている間にテントが飛ばされたりしたら、一大事となるからだ。
マールと手分けして、テントの四隅を
オリジナルの『ラビエス』の記憶によれば、垂直ではなく斜めに
「あら。ちゃんと覚えているのね」
安心したように、マールが笑顔を浮かべる。
そして、今度こそ本当に、テントが完成した。
「これで終わり!」
宣言したマールに続いて、
「ふう……」
一息ついた俺。その袖を、くいくいっとパラが引っ張る。
「まだ、少し部品が残っているようですけど……?」
見れば、確かに余りの
「ああ、これね。これは、おそらく……」
マールが、その
「……こう使うんじゃないかしら?」
言いながら、マールは、その
なるほど、俺たちが寝ている間に、何かに驚いて馬が走り去ったら大変だ。でも繋いでおくための木や柵のない平原地帯では、こうしたものが必要になるのだろう。
「では、今度こそ、本当に終了だな」
初めて使うタイプのテントだが、一時間もかからずに完成した。よかった、よかった。
出来上がったテントを眺めながら、俺たちは夕食をとる。
食事が終われば寝るだけなので、もう実質的には、冒険旅行初日の終わりのようなものだ。
俺とマールとパラの三人は馬車に揺られただけであり、今日一日、一番大変だったのは御者役のリッサだったはず。だがリッサは、疲れたどころか、むしろ何もなかったことが不満のようで、それを言葉にした。
「冒険旅行といっても、結局は、モンスターと戦うこともないまま一日が終わるのだな」
「そのことなんですが……」
パラが食事の手を止めて、提案する。
「この先、岩場地帯に入ったら……。少し馬車から離れて、野外のモンスターと戦ってみませんか?」
「あら。パラがそんなこと言うなんて、珍しいわね。どうしたのかしら?」
マールと同じく、俺も少し奇異に感じた。
少なくとも、パラは好戦的な冒険者ではないはず。「二足歩行のヒト型や四つ足の動物型は苦手」と言っていたくらいだ。そんなパラが率先して「戦ってみよう」とは……。
パラは軽く笑いながら、
「ほら、二人でダンジョン探索に出かけた時に、マールさんが
ああ、なるほど。
あの
「それならば、岩場地帯に行くまで待つこともあるまい。早速、明日にでも、その辺のモンスターと戦ってみようじゃないか」
なるべく早く戦いたい、という様子のリッサ。いくら乗り気であっても、さすがに「今から」と言い出さないだけの
それに「岩場地帯まで行かずとも」というのは、俺も同意できる意見だった。
すると、パラが軽く左右に首を振りながら、
「いや、マールさんの
「それは凄い」
俺は思わず口走ってしまった。
なにしろ、パラの『封印されし禁断の秘奥義』と言えば、あの『炎の精霊』フランマ・スピリトゥを葬り去った爆炎魔法だ。副次詠唱付きの火炎魔法だ。あれを、さらにパワーアップするとは……。
いや、考えてみれば、今度の相手は風の魔王。顔を見たらすぐに逃げ出すとしても、それなりの攻撃力を用意しておくことは、一種の『備えあれば憂いなし』になるだろう。
もちろん、あくまでも魔王のような強敵対策に限定してほしい。あれは、普段からホイホイ使ってもらっては困る魔法だ。そもそも『封印されし禁断の秘奥義』と呼ぶくらいだから。
「なるほどね。あの魔法の向上実験なら、確かに草原地帯では、やりたくないものだわ」
「そうです。草原地帯で使って、もし燃え広がったら、大変じゃないですか」
マールとパラは、二人で納得している。俺も『西の大森林』での火災の光景が頭に浮かび、二人に同意したくなった。木でも草でも、とにかく燃えそうなものなんて存在しない場所で、安全に注意して
だが、あの火事を直接その目にしていないリッサだけは、俺たちの考えがピンと来ない様子。それより早く戦いたい、という気持ちで、少し不満のようだが……。
「では、こういうのは、どうだろう」
俺は、思いついた折衷案を口に出してみる。
「マールの
さらに俺は説明する。
明日は、まず、もう少し早めにテントを設営しよう。ただし馬車やテントの近くではモンスターも現れないので、準備が出来たら、そこから少し離れる。もちろん馬車もテントも見失ったら大変なので、モンスターと出くわすまで、ひたすら街道に沿って歩く。街道沿いなら、迷ったりせず、いつでも戻れるはずだ。
そしてモンスターと戦った後は、変に欲張ったりせずに、一回の戦闘で終わりにして、戻って夕食。それからテントで眠る……。
「どう思う? 我ながら、悪くないプランだと思うのだが」
俺の提案に、真っ先に飛びついてきたのはリッサだった。
「良い話ではないか! いっそのこと、明日だけと言わずに、明日から毎日の日課にしよう!」
「まあ、明後日以降のことはともかく、とりあえず明日は、そういうことで構わないかしら」
少し興奮気味のリッサとは対照的に、マールが冷静に話をまとめてくれた。
夕食を終わらせて、その
それぞれ寝袋を持って、四人でテントに入る。数人用のテントなので、四人で使う分には、余裕があり過ぎるほど広くもないが、手狭に感じるほどでもなかった。
冒険旅行のテント泊というのも、物珍しいのだろう。リッサが真っ先に、テントに入っていった。そのため、自然と、リッサの寝場所が一番奥ということになる。
「では、私はリッサの隣に」
そう言って、パラはリッサの隣を確保。
残りは、俺とマールだ。
ネクス村の宿屋でも感じたことだが、出来れば俺は、女性に挟まれて眠るという形は避けたい。恥ずかしいというか、緊張するというか、とにかく快適な睡眠の妨げになると思うのだ。
そんな俺の胸中を察したのだろうか、あるいは、何か別の意図――それこそ『やきもち』のような感情――があったのだろうか。俺が何も言わなくても、マールが先にテントに入り、パラの隣に寝袋を置く。
これで、俺は一番端となった。
そうした配置で、四人は並んで寝袋に入り……。
「おやすみなさい」
パラの挨拶に続いて、皆それぞれ小さく「おやすみ」と口にして、目を閉じる。
そう、一日の終わりだ。
俺たちの初めての長期冒険旅行、その初日は、こうして幕を閉じた。
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