第二十九話 旅立ちの準備・後編(マール、パラ、ラビエスの冒険記)

   

「さあ、どうぞ」

 私――マール・ブルグ――たちの前で、窓口のお姉さんが地図を広げてみせる。

 意外なことに、真っ先に地図に飛びついたのは、リッサではなく、私の幼馴染のラビエスだった。

 今までのラビエスの態度を見れば、彼が冒険旅行に乗り気でないのは一目瞭然。それなのに、こういう時だけ一番なのだから……。本当に可愛いものね。

「ええっと、どこがイスト村だ? ああ、ここか。だったら……」

「なんだ? ラゴスバット城は、ずいぶん上の方に書かれているではないか」

 もちろんラビエスに続いて、リッサも地図を調べている。

 私とパラは少し遅れて、

「では、私たちも見てみましょうか」

「はい、マールさん」

 一瞬、顔を見合わせてから、地図に向かった。


――――――――――――


 私――パラ・ミクソ――も、マールさんに促されて、地図に目を向けました。

 ネクス村やラゴスバット城での事件もあったので、色々と経験した気になっていますが、ここの窓口で登録して私が冒険者となったのは、ほんの半月ほど前の話です。一応、魔法学院時代に、冒険者の心得として地図の見方は学びましたが、こうして実際に冒険者組合所蔵の地図を見るのは初めてです。

 あらかじめリッサの言葉を聞いてしまったので、てっきり大陸全土の地図かと思いましたが、いざ見てみると違いました。この東の大陸の、特に北の一帯だけを記した地図のようです。

「ああ、ここがリッサのお城ですね」

「そうだ。私も、ラゴスバットが世界の中心ではないことくらい知っていたが……。それにしても、こうして見ると、北の僻地ではないか」

 そうです。『北の一帯だけを記した地図』でも、そのさらに北の一角が、ラゴスバット伯爵領なのです。リッサは少し不満顔にも見えますが、私としては、親友が大領主のお姫様であるより、辺境の小さな領主の娘の方が、まだ身近に感じられるので、嬉しいくらいです。

「これがイスト村。そして、こっちがネクス村か」

「その二つの間の距離なら、私たちでも実感できるわね」

 ラビエスさんとマールさんが話しているように、この地図には、縮尺や距離の目安などは記されていません。あちらの世界の地図とは違うのです。ごちゃごちゃと地名や施設名などが書き込まれているわけでもありません。ただ単純に、村や町、それらをつなぐ街道などが記載されているだけです。

 村と村の間のフィールドは、主に薄い緑色で、また場所によっては濃い緑色や黄褐色などで、カラフルに色分けされています。ちょうど、あちらの世界のRPGゲームで使う地図のようです。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――やマールは、パラやリッサに対して、冒険者として先輩面をしているように見えるだろう。だが、今まで冒険のために地図を見る機会など皆無だった。なにしろ、二人だけでやっていた頃は、ずっと村の中の慣れたダンジョン探索でお茶を濁していたのだ。地図なんて必要なはずもない。

 こうして見てみると……。

 まず、距離感がピンと来ない。元の世界の地図だって、見慣れない地名ばかりの場合、隅っこに書かれたスケールバーがなければ、正しい距離をつかめないだろう。

 この地図は、俺たちの住んでいる地域が載っているものだ。だが、隣村までの旅行が、冒険者としては過去最大の移動距離という俺たちなのだ。熟知している地名自体、非常に少なかった。

 とりあえず、その『熟知している地名』を足がかりにするしかない。

「これがイスト村。そして、こっちがネクス村か」

「その二つの間の距離なら、私たちでも実感できるわね」

 マールの言う通り。

 その距離を目安にして、目的のガイキン山と、イスト村との位置関係を、もう一度確認してみる。

 方向は真西。そして、この距離ならば、所要日数は……。

「これなら……。馬車で数日、といったところかな」

「目指すは、ガイキン山ですか?」

 どうやら俺たちが地図に不慣れだと見抜いたらしく、窓口のお姉さんが、話に入ってきた。彼女は、俺たちの視線や指し示す方向から、すっかり目的地まで把握していた。

「はい。ガイキン山です。そこが怪しいという情報がありまして」

 パラが、お姉さんの言葉を肯定する。

「馬車で数日、ねえ……」

 お姉さんは、呆れたような口調で、俺の言葉を繰り返してから、

「どなたに御者を頼んだのか知りませんが……。御者だって馬だって眠るのですよ? 不眠不休で走るわけではありません」

 言われるまでもなく、当然の話だ。

 一応、それも考慮した上で『数日』と言ったのだが、まだ計算が甘かったらしい。

「それに、あまり無理をして、馬に問題が発生したら大変です。最低でも一週間、いや十日くらいは、見積もっておくべきでしょう」

 こういう場合、詳しい人間からのアドバイスは助かる。素直に聞き入れるとしよう。

 俺は一言、感謝を述べようと思ったが、その前に、お姉さんが言葉を続ける。

「ところで、御者は、きちんと信頼できる人を確保できたのですね?」

 彼女は『信頼できる人』という表現を口にした。そう、信用できない人間を御者にしてしまうと、どこへ連れて行かれるかわかったもんじゃない。元の世界で、俺が外国の田舎町で暮らし始めた時、タクシーに関して「日本と違って、通りを流している個人タクシーは危険だから、タクシー会社に電話して信頼できるタクシーを寄こしてもらえ」と固く注意されたが、それと同じような問題だろう。

「大丈夫だ! 御者は私だからな!」

 お姉さんに対して、リッサが胸を張って宣言した。

 珍しく、お姉さんが少し絶句する。だがすぐに、いつもの窓口での態度を取り戻して、

「あら、リッサさんが……」

「そうだ。こう見えても私は、ラゴスバットの城で雇われていた頃、馬の扱いを教わる機会があってな」

 お姉さんがリッサの正体を知っていることは秘密であり、当然リッサは知らない。だから、あくまでもリッサは「ラゴスバット城で働いていた」という設定を貫いていた。

「そうですか。まあ、リッサさんがそう言うのでしたら……。ええ、リッサさんが御者をしてくださるのでしたら、安心ですね」

 言いながら、お姉さんは、ちらっと意味ありげな視線を俺に向けた。口からの言葉とは裏腹に「本当に大丈夫ですか?」と言いたげな目だ。『信頼できる人』という意味では、リッサで問題ないが、御者として馬を操る技術に関しては信じていないようだ。

 そうした会話が一段落したところを見計らって、マールが地図を見ながら、疑問の声を上げる。

「この黄色い地域は何かしら? 砂漠地帯?」

 マールが指し示したのは、目的地であるガイキン山の、すぐ近くに描かれた黄色の一帯だった。

「そのエリアに入ると、街道もないみたいですね」

 と、パラも指摘する。

 窓口のお姉さんは、再び地図に目をやって、

「ああ、そこでしたら、岩場ですね。ただし、それほど大きな岩が転がっている状態でもなく、比較的平坦だから、馬車も問題なく通れるはずです」

「ということは……」

 マールが、これまでの情報を整理して、あらためて口にする。

「ひたすら西へ行けばいいのね。岩場を越えると、目指すガイキン山と、そのふもとの村。……途中、道がない部分もあるから、方位磁針コンパスが命綱ね。迷子になったら大変だわ」

「それもそうですが、その辺りまで行けば、もう山が見えるのでは? 一応、イスト村から岩場地帯までは街道が続いているようですから、そこまでは問題ないでしょう」

「あら、パラの言う通りね」

 一人では気づかないこと、想像できないことも、これだけ人がいれば補い合える。

 こうして。

 冒険旅行の計画は固まっていく……。


 馬車と地図を見るだけで、結構な時間がかかった。今さらダンジョン探索に行く時間でもない、ということで、俺たちは『赤レンガ館』の食堂へ。

 まるで、日曜日のようだ。朝の礼拝の後に、ここで昼食となるのと同じだ。もう日曜気分で、料理だけでなく、俺はダークビールも注文した。

 そして、運ばれてきた料理をつつきながら、俺は三人に問いかける。

「なあ、みんな。本気で今すぐ魔王と対決するつもりじゃないよな?」

 そう。

 これだけは、前もって確認しておかなければならない。

「魔王がガイキン山にいようがいまいが、とりあえず山頂まで行ったら、イスト村に戻るよな?」

 俺の言葉を聞いて女性陣三人が顔を見合わせている間に、さらに俺は続けた。

「もし魔王がいても、あくまでも今回は偵察ということで、顔だけ見たら戦わずに帰ってくるよな?」

 あ。

 あからさまに、リッサが不満たっぷりな表情になってきた。黙っていられないようで、彼女は、それを口にする。

「ラビエス……。それは、あまりにも消極的ではないか?」

「だって、ほら。さすがに、まだ俺たちは、魔王を倒せるレベルじゃないだろう?」

 俺は慌てて、言葉を補足した。

「魔王の居場所さえ確認できたら、あとは地道にレベル上げをして、強くなってから挑もうじゃないか。魔王討伐なんて、一大イベントだからな」

「ラビエスさんの言うことにも、一理ありますね」

 おお、パラが俺に賛成してくれた。『地道にレベル上げ』とか『一大イベント』とかの言葉で、転生者であるパラは元の世界のゲームを思い出して、心がくすぐられたのかもしれない。実際のところ、レベルにしろ経験値にしろ数値化されていない以上、レベル上げの実感なんて難しいのだが。

 そしてパラに続いてマールも、俺の慎重論を支持してくれるはず……。

 そう思ってマールを見た俺は、少しだけ驚いてしまう。マールは、何やら考え込む顔をしているのだ。まさかマールは、俺ではなくリッサと同意見なのだろうか。

 だが、そんな心配は、すぐに杞憂となった。

「……そうね」

 考えた末、といった口調で。

 マールも、俺に賛成の意を表明する。

「確かに、負けるとわかっている相手に立ち向かうのは、それこそ無謀な話ね。いくら冒険者には危険がつきもの、といっても……。最初から命を捨てるような真似をするのは、さすがに愚かだわ」

 ここで、険しい表情を少し崩して、

「勝算あって挑んだ上で、それでも死ぬのは仕方ないでしょうけどね」

「おいおい、物騒なこと言うのはしてくれ」

 俺は、軽い感じで言葉を挟んだ。マールの口調が冗談っぽく聞こえたから、それに合わせたつもりだったが……。大丈夫だよな? マールの今のセリフ、本当に冗談だよな?

「まあ、そういう話だから……」

 どうやら、マールが話をまとめてくれるらしい。彼女は、リッサに向き直って、言い含める。

「たとえリッサ自身は戦いたくても、他の三人が撤退と決めたら、即座に撤退。いいわね? ……転移魔法が使えるのはリッサだけなのだから、それだけは厳守してちょうだい」

 その言葉を聞いて、俺は「あっ」と叫びたくなってしまった。

 マールが魔王討伐の話に賛成した時、俺は「マールらしくない」と感じたわけだが……。今、一つの疑問が解けた。マールは、最初からリッサの転移魔法をアテにしていたのだ!

 だが、本当に大丈夫なのだろうか?

 仮にも相手は四大魔王だ。本当に、転移魔法で脱出できるのだろうか。元の世界の漫画やアニメだったら「いったん魔王と対面してしまえば、もう魔王からは逃げられない」というのが常識なのだが……。

 だから俺は『あくまでも今回は偵察』と言った時に、「こちらの存在がバレないように、こっそり様子をうかがって、魔王に気づかれないうちに、そろりそろりと撤退する」という状況を想定していた。最初から、リッサの転移魔法など考えていなかったのだ。

 一方、マールは転移魔法頼りのようだ。つまり「堂々と姿を見せたところで、いざとなったら転移魔法があるから大丈夫」と考えているようだ。

 両者の考えには、大きな開きがある。いや「魔王からは逃げられない」という概念自体が、転生者である俺の思い込みなのかもしれないが……。

 俺と同じ転生者のパラは、どう考えているのか。こっそり彼女の表情をうかがうと、やはり俺のように疑問の色を浮かべて、じっと俺を見つめていた。


――――――――――――


 私――パラ・ミクソ――は、確かに耳にしました。

「あっ」

 非常に小さな声でしたが、ラビエスさんの、驚きの言葉です。

 ちょうどリッサに向かって話しているマールさんは、気づいていないようですが……。ラビエスさん、ちょっと迂闊ですよ。

 そう。

 同じ転生者である私には、ラビエスさんの考えていることが、手に取るようにわかりました。

 おそらくラビエスさんは、あちらの世界のRPGゲームに当てはめて考えているのでしょう。だから、マールさんの「転移魔法で魔王から逃げよう」というアイデアに、驚いたのでしょう。

 四大魔王といえばラスボス、いや四人いるので『ラス』ボスではないとしても、まあ大ボスと言うべき存在です。ゲーム的に考えれば、大ボスどころか中ボス相手であっても、一度戦闘状態に入ってしまえば、もう魔法で脱出することは不可能なはずです。

 それこそ、少し前に私たちが戦った『炎の精霊』フランマ・スピリトゥは、ダンジョンの固定モンスターだったので、中ボスに相当する敵でした。あの時、私たちは最後にリッサの魔法で脱出できましたが、あれは戦闘中ではなく、倒した後だったからこそ、転移魔法も使用可となったのでしょう。

 こう考えると、私もラビエスさんと同じく、マールさんのアイデアに対して「ちょっと待ってください」と言いたくなりますが……。

 はたして、そうでしょうか。

 この世界の魔法の適用ルールが、あちらの世界のゲームの場合と同じでしょうか。

 それはそれで、安直に考えてはいけないと思うのです。

 以前にリッサは、ラゴスバット城の寝室で、彼女の転移魔法について色々と教えてくれました。リッサの転移魔法オネラリは、ただダンジョンから脱出するだけの魔法ではありません。今のリッサには無理であっても将来的には、離れた村へも転移できるようになる魔法です。それを聞いた瞬間「その二つの魔法は、ゲームならば別物だろうに」と思ったのを覚えています。しかも究極的には、転移魔法オネラリは、ゲームで言うところの召喚魔法としても使えるという話でした。

 そう。

 ダンジョンからの脱出魔法と、戦闘中に使う召喚魔法を、同じ『転移魔法』として一つの魔法で済ませるゲームなど、聞いたことがありません。

 こちらの世界の現実の魔法のシステムは、あちらの世界のゲームのシステムとは、大きく異なるのです。

 ですから。

 私やラビエスさんのように、あちらの世界の感覚を引きずってしまう、転生者の考え方よりも。

 こちらの世界で生まれ育った、マールさんの直感的なセンスの方を信じましょう。

 マールさんが「転移魔法で魔王から逃げよう」と言うのであれば、それは十分実現可能な選択肢のはずです。きっと大丈夫なはずです。

 以上のように考えて、

「そうですね。マールさんの言う通りです」

 大きく頷きながら、私は言いました。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――の目の前で、パラは、わざとらしいくらい大げさに頷くことで、マールの意見を肯定してみせた。先ほど見せた疑問の色は、既にパラの表情から消えており、しかも、俺の方に意味ありげな視線を送っている。

 今の発言は一見、リッサに対するマールの「他の三人が撤退と決めたら撤退」という部分に対して「その通り」と告げたように思えるだろう。

 だが、俺に向けた視線も含めて考えれば、パラが同意したのは、むしろマールの「転移魔法があるから大丈夫」という見解の方だと思う。

 どういう思考の果てに、その結論に至ったのか、俺にはわからないが……。

 ああ、こういう場合、腹を割って話し合えないのが少しもどかしい。だが、まだ俺は「実は俺も転生者で……」と直接パラに打ち明けて色々と語り合う気持ちには、とてもなれなかった。

 ともかく。

 リッサは、パラの言葉を表面的に受け取って、

「まあ、パラまでそう言うのであれば……。そうだな、先輩冒険者であるマールやラビエスの判断には、私も従おう。まだまだ私は、経験不足だからな」

 とりあえず納得してくれたらしい。

 これで、少しは俺の気持ちもラクになった。

 だが、こうして決まった今後の予定について、後でフィロ先生に告げる必要があるわけで、それを思うとまた気が重くなる。

 冒険旅行から戻ったばかりなのに、また新しい冒険旅行へ出発するなんて、言い出しづらいよなあ……。


 ところが。

 治療院に帰って、フィロ先生に伝えると。

「おお、構わんぞ。冒険者の本分は冒険じゃからのう。それも、広い世界を駆け回ってこその『冒険』ではないか」

 案外あっさり、フィロ先生は理解を示してくれた。

 本当に、物わかりの良い老人だ。

 冒険者としては、この治療院に下宿できたことが、俺の――そしてオリジナルの『ラビエス』の――最大の幸運なのかもしれない。


 まだまだ準備もあるので、出発は四日後の土曜日ということになった。

 運んでいく食料の調達など、こまごまとした支度はマールたちに任せて。

 俺は、それまでの三日間――水曜日と木曜日と金曜日――を、治療院での仕事に充てた。そのうち一日は、リッサも手伝いに来てくれた。


 そして、土曜日の朝。

「ああ、さすがに少し……」

 ベッドで目覚めた時から、いつもと違う感覚があった。

 緊張感……。いや、興奮しているのかもしれない。子供が遠足や運動会の朝に感じる、あのたかぶりかもしれない。

 ともかく。

 いよいよ、本格的な冒険旅行に――魔王の居城を目指す旅に――出発する、その日を迎えたのだ。

   

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