第二十八話 旅立ちの準備・前編(ラビエス、マールの冒険記)

   

 火曜日。

 俺――ラビエス・ラ・ブド――にとって、今日は冒険に出かける日だ。

 日曜は礼拝に参加するだけでお休みなので、月曜・水曜・土曜と週三回フィロ先生を手伝うことになった以上、ダンジョン探索も週三日しか出来ないことになる。「週三日も」ではなく「週三日しか」と感じてしまうのは、以前は『冒険者』と『治療師』の日数的な比率が4対2、つまり2対1だったのに、今は3対3、つまり同じになってしまったからだろう。これでは、もう「あくまでもメインは『冒険者』」とは言えない気が……。

 とりあえず。

 朝食を済ませた俺は、いつものように、待ち合わせ場所の広場へと向かう。

 俺は昨日、マールとパラのダンジョン探索組とは別行動だったため、具体的な本日の予定は知らない。昨日のダンジョンがどこだったのか、それすら聞いていないので、本日のダンジョンもマールたちに決めてもらった方がいいはずだ。

 そんなことを考えながら広場へ行くと、既にマールたち三人は噴水のところで俺を待っていた。

「おはよう、ラビエス」

「おはようございます!」

「おお、ラビエス! おはよう」

 今朝のリッサは、妙に嬉しそうだ。いや、リッサだけではない。パラも、いつも以上に明るい感じだ。二人とも、何か言いたげな顔にも見えるが……。

 とりあえず、俺は三人に挨拶を返す。

「おはよう、みんな」

 そして改めてリッサに視線をやって、俺は気づいた。

 リッサの前髪のヘアピンが、少し変わっていることに。

 昨日までのリッサは、単純な銀色の棒みたいなヘアピンを使っていた。それが今朝は、左側だけ、黒い模様のついたヘアピンになっている。よく見ると、模様はコウモリのようだ。

 なるほど、コウモリ大好きなリッサだから、コウモリのアクセサリーを見つけて、買って、早速それを使っているというわけか。だから、この態度なわけか。

 真っ赤な髪が美しいリッサだ。髪だけでなく、武闘服まで赤いリッサだ。全体が赤のイメージな中、黒いアクセサリーは目立つし、よく映える。気づいてみると、むしろ一目で気づかなかった方が不思議とさえ思えてくる。

 そして。

 ヘアピンを新しくしたならば、今まで使っていたのは、どうしたのか……。そこに思い至った時点で、パラの変化も理解した。今までリッサが使っていたヘアピンの一つで、パラも前髪を留めているのだ。

 こういう場合……。俺は、どう対応するのが正解なのだろう? 女性としては、気づいて欲しいものなのか? 似合ってるよ、くらいは言って欲しいものなのか?

 いやいや。

 いきなり女性の容姿の話を始めて、女性陣から――パラは例外だったようにも見えたが――総スカンを食らったモックの例もある。モックとは違って、既に俺は三人と親しいとはいえ、迂闊なことを口にして、立場が悪くなったら大変だ。

 それに。

 褒めるのが正解だったとしても。

 リッサやパラに対しては正解でも、マールに対しても正解とは限らない。

 先日「最近のマールは以前より少し嫉妬深いかも」なんて思ってしまった以上「下手に二人を褒めて、俺が二人に好意を示しているとマールに誤解されたら、どうしよう」という心配も湧いてくる。

 女性三人が一緒の冒険者パーティーで、人間関係を悪くするわけには……。

 いやいや。

 考え過ぎだぞ、俺。

 自意識過剰だぞ、俺。

 そこまで気にしていたら、それこそ『女性三人が一緒の冒険者パーティー』なんて、やってられないではないか……。

 そうやって頭の中が、ぐるぐる渦を巻いていたら、

「何か気づいたの、ラビエス?」

 マールが俺に、助け舟を出してくれた。


――――――――――――


「おはよう、みんな」

 私――マール・ブルグ――は、幼馴染ラビエスの挨拶を聞いて、ふと思ってしまう。やっぱり男の子は、女の子とは違うのね、と。

 女の子ならば、リッサの新しい髪留めに、真っ先に気づくだろう。でも、彼の声の響きには、変化に気づいたような雰囲気は含まれていない。

 ……と思ったのだけど。

 ラビエスが、リッサの髪に目を向けた。続いて、パラにも。

 そうやって、ちらちらと二人を見比べている。

 どうやら、一瞬は遅れたものの、さすがにラビエスでも気づいたらしい。リッサのコウモリピン、やはり目立つのね。

 でも。

 ラビエスは何も言わない。

 どうしたのだろう?

 リッサは仲間なのだから、軽く「可愛い髪留めだな」くらい言ってあげればいいのに。

 ラビエスは、ちょっとだけ困ったような顔で、私にも視線を向けている。いや、私は何も、新しいアクセサリーも装備もつけていないのだけど……。

 ああ、なんだか少しもどかしい。

 ただ、こういうラビエスもまた、私には可愛く見えてしまう。でも彼の困り顔を「可愛い」と感じるのなんて、きっと幼馴染の私くらいでしょうね。

 とりあえず。

 困っているのであれば……。

「何か気づいたの、ラビエス?」

 私が声をかけると、ラビエスは、あからさまにホッとした様子で、

「ああ、うん……。リッサ、ヘアピン変えたんだな」

「おお! ラビエスも気づいたか!」

 あらまあ、リッサったら。

 さっきから「早く気づいてくれ、なぜ気づかないのか」という顔をしていたくせに。

「どうだ? 似合うか?」

「そうだな。リッサらしいヘアピンだな、って思ったよ」

 すると、今度はパラが、自分の前髪右側を指差しながら、

「どうです?」

「ああ。リッサとパラ、お揃いだな」

「そうなんですよ、ラビエスさん! これ、リッサからのプレゼントです!」

「ああ、うん……。それは良かったな」

 パラのあまりの喜びように、ラビエスは少し引き気味なくらい。

 あらあら、こんなラビエスを見るのも面白い。


――――――――――――


 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、適当に「ああ、うん」と返事しただけなのに、パラは嬉しそうに事情を説明し始めた。

 話を聞いて、

「なるほど、そういう経緯か……。面白いものだな」

 あの土産みやげ売りの露天商から、リッサが買ったというのであれば。

 彼女が昨日治療院で働いたことが、早速、思わぬ形で役立ったことになるだろう。

 それにしても。

 友情のあかしとは……。

 これは、女性独特の感性ではないだろうか。

 それまで身につけていた物を、二人で分かち合う……。

 男の場合の、例えばスポーツ選手のユニフォーム交換とは、似ているようで少し違う気がするのだ。

 女性の、こういう部分。こればっかりは、男には理解できない感情だろう。

 おそらくオリジナルの『ラビエス』も、これには同意してくれるに違いない。


 まあ、それはともかく。

「それで、今日は、どのダンジョンへ行く予定だ? 昨日の行動を踏まえた上で、何か考えてあるのだろう?」

 マールに丸投げするつもりで尋ねると、

「それなんだけど……」

 マールが、ちらっとリッサに目をやった。

 それを受けてリッサが、堂々と言い放つ。

「今日は、ダンジョンには行かない。冒険旅行の準備をする日だ」

 え?

 俺の唖然とした表情を見て、マールが軽く笑いながら補足してくれた。

「冒険旅行の準備、なんて言うと大げさだけど……。とりあえず、馬車を見てみよう、とリッサが言い出してね」

 ああ、そうか。

 俺が昨日、口を滑らせた結果が、これか。

 しかし……。

 馬車を見てみるも何もないだろう。

 まだ目にしたこともない新しい馬車、というわけではなく、イスト村まで来るのに乗ってきた馬車ではないか。今さら何を……。

「ラビエス、そんなに不思議そうな顔はしないでね。さあ、行きましょう」

「まあ、マールがそう言うなら」

 俺が納得したのを見て、

「冒険者組合で管理しているのだろう?」

 リッサが『赤レンガ館』へ向かって歩き出す。

「待ってください、リッサ!」

「ほら、私たちも行くわよ」

 リッサを追うパラに続いて。

 マールに手を引かれる形で、俺も歩き始めた。


 窓口で一声かけると、

「馬車は、この奥にあります」

 お姉さんが、わざわざ大倉庫まで一緒に来てくれた。窓口を一時的に不在にする方が、大倉庫の扉の鍵を俺たち冒険者に預けるよりは良い、という判断なのだろう。

「馬は隣の厩舎で管理していますので、確認したい場合は、そちらへ」

 簡単に説明しながら、扉を開けた後、彼女は窓口へ戻っていった。

「うわあ。広いですねえ」

 パラが感嘆の声を上げる。

 確かに、冒険者組合の建物だけあって『大倉庫』という名に恥じない広さだった。これならば、収納力も抜群だろう。色々な物が雑然としまい込まれているが、まだまだ空きスペースは十分といった感じに見える。

 左右の壁の上側には窓もあるし、天井にも採光用の小窓があるので、倉庫内は十分に明るかった。

 少し見回しただけで、見たことも聞いたこともないような機械まで置かれているのがわかる。もちろん機械といっても工学的な機械ではなく魔法式の機械だが、俺の元の世界の工学機械と同じように動くのであれば、もうそれは立派な『機械』だろう。

「あれが、私たちの馬車だな」

 倉庫の右奥へ、ぐんぐんリッサが進んでいく。

 そこに、例の無駄に豪華な馬車が、でんと鎮座していた。金色の縁取り装飾が施された、純白のキャビン。村の中でも目立って恥ずかしい馬車だったが、馬を外してキャビンだけにしてあると、いっそう輝いて見える。こんな、誰もいない倉庫の中だというのに。

「ラビエス、マール、パラ。ちょっと来てくれ」

 リッサに手招きされて、俺たち三人が近寄ると……。

 彼女は、キャビンの下の方を調べているようだった。乗っていた時には気づかなかったが、キャビン下部には、結構な収納スペースがあったらしい。長期の冒険旅行などで大荷物がある場合、それを入れておくためだろう。

「ほら! これを見てくれ!」

 せっかくの収納スペースだが、既に半分くらいは占拠されていた。まず目に留まったのが、いくつかの布袋だ。どれも、中身が詰まってパンパンに膨らんでいる。

「なんですか、これ?」

 不思議そうに覗き込むパラ。

 俺とマールは、互いに顔を見合わせた。

「おそらく、これって……」

「ああ。そうだろうな」

 言葉を交わしながら数えてみると、布製バッグは、全部で五つ。大きいのが一つと、それよりは小型なものが四つ。俺は、まず、その小さい方を引っ張り出した。

「リッサ、開けさせてもらうぞ」

「ああ、確認してみてくれ」

 馬車の中に保管されていたのだから、これもラゴスバット伯爵家から与えられたものに違いない。そう考えて、一言リッサに断ってから、俺は布袋の中身を取り出した。

 俺とマールの予想通り。そして、広げて見せたことで、パラにもわかったらしい。

「ああ、寝袋ですね!」

 そう。同じものが四つ。つまり、俺たち四人用の寝袋だ。

 長期冒険旅行ともなれば、一日以上、村に立ち寄れない状況も頻出するだろう。つまり、それは宿に泊まれないということだ。寝袋くらい、必要になる。そして、寝袋だけではなく、もちろん……。

「やっぱりね」

 中身を確認したマールの声。彼女は、寝袋の方は俺に任せて、リッサと共に一番大きな布袋を調べていたのだ。

 それは、組み立て式のテントだった。

 しかも。

「あら! これ、馬車旅行用の簡易版じゃなくて、徒歩旅行でも使える正式版じゃないの!」

「え? マールさん、それって……。モンスターが寄ってこない、というテントですか?」

 一応知識としては、パラも知っていたらしい。

 そう。

 この世界では、テントと言っても二種類存在するのだ。

 安いテントは、馬車旅行の専用となっている。テント自体にはモンスターを避ける力はないが、馬車を牽引する長行馬ちょうこうばの方にそれがあるので、馬車の近くでテントを張れば、モンスターに襲われずに済む。

 一方、正式版と呼ばれる高価なテントは、テントだけでも、モンスターが近寄ってこないらしい。長行馬ちょうこうばのたてがみを編み込んでいるから、とも言われているのだが……。長行馬ちょうこうばのモンスター回避は「モンスターが嫌がるモノを放出し続ける」という仕組みのはずだから、たてがみだけで十分というのは、少し理屈に合わない気もする。結局おまじないレベルなのではないかと思うのだが、それでも正式版テントがモンスターに襲われたという話は聞かないから、理屈はどうあれ、とにかく大丈夫なのだろう。

 まあ、俺たちの場合、馬車で行く旅なので、簡易版で十分だったわけだが。それでも高価な正式版を用意してしまうのが、いかにも伯爵家という感じがする。


 さらに調べると、テントや寝袋に加えて、簡単な調理器具や食器なども見つかった。この世界のキャンプ道具が、一通り揃っていたのだ。ご丁寧に、簡易トイレの組み立て式キットまで用意されていた。いや組み立て式トイレといっても、実際には、ひらけた野外で用を足す際に使う、衝立ついたてに過ぎないわけだが。

「これで……。あと足りないのは、食料品のような消耗品だけかしら」

「ほら! もう、いつでも出発できるではないか!」

 マールの言葉を聞いて、リッサはとても喜んでいる。今すぐにでも旅に出よう、という雰囲気だ。

「待て待て。目的のガイキン山に関しては、まだ『西方にある』としかわかってないぞ。闇雲に西へ向かって走り出したところで、迷子になるだけだろう?」

「では、まず地図で確認する必要がありますね」

 俺の話を聞いて、建設的な意見を持ち出すパラ。

 ああ、もう、どうやっても、この流れは止められそうにない。


 俺たちは『赤レンガ館』の窓口へと戻り、まず、馬車の検分が終わったことをお姉さんに告げた。

 彼女が倉庫を施錠しに行っている間、四人で窓口で待つ。

「そういえば、誰が地図を持っているのだ?」

「誰も持ってないわ。だから、こうして、ここで待ってるのよ」

「地図は、ここの窓口で見せてもらうのです」

 リッサの疑問に対して、女性二人が答えている。これも、伯爵家の姫様であるリッサと、俺たち庶民の冒険者との、感覚の違いだろう。

 俺の元の世界とは違って、この世界では、地図は貴重品だ。まあ位置関係の適当な、雑な地図ならば、普通に道具屋でも売っている。でも、そんなものを頼りに冒険旅行に出たら、いつまでたっても目的地に辿り着けず、下手したら荒野をさまようことになってしまう。だから冒険者は、旅立ちの前に正確な地図で、しっかりと位置関係を把握しておくことが重要となる。

 その『正確な地図』を管理しているのが、冒険者組合の各支部だ。だから俺たちも、窓口のお姉さんに頼んで、ここで見せてもらうわけだ。

「あ、戻ってきましたよ」

 パラの言う通り、お姉さんが帰ってきた。

「あら。わざわざ、ここで待っていなくてよかったのに」

 彼女は、俺たちの用事が倉庫だけだったと勘違いしている。

「ああ、違うんです。俺たち、もう一つ頼みたいことがあって……」

 厳密には、その『もう一つ』は、最初に窓口に来た時には、まだなかった用件なわけだが。

 とりあえず、俺が事情を説明すると、

「では、いよいよ本当に、魔王討伐に出発するのですね……。はいはい、地図ですね。今、とって来ますから、少しお待ちください」

 お姉さんは、いったん奥へ引っ込んでから、地図を手に、再び出てきた。

 窓口に付随した台では狭いので、少し離れた場所にある、大テーブルへと移動する。

 そこでバサーッと地図を広げるお姉さん。

「さあ、どうぞ」

 彼女の言葉を合図に、俺たちは地図を覗き込んだ。

   

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