第二十六話 冒険者の日常 ――パラとマールの場合――・前編(パラ、マールの冒険記)

   

「朝です!」

 私――パラ・ミクソ――は、ベッドの中で目を開けると同時に、毎朝の日課として、自分に言葉を投げかけました。

 ラゴスバット城の時のように、同じ部屋に誰かいる場合は、私も恥ずかしいので躊躇します。でも、ここは女子寮の自室です。私だけです。いくら独り言を口にしても、誰にも聞かれる心配はありません。

 ならば、積極的に、自分とおしゃべりしましょう。声を出すことで、ますます目も覚めるはずです。

「今日もダンジョン探索です。今日は、マールさんと二人で冒険です」

 確認するかのようの口にしながら、窓のカーテンを開けました。

 美しい青空です。いつもより、少し早く目覚めたみたいです。

 私は冒険者の格好に――いつもの黒魔法士姿に――着替えて、食堂へと向かいました。


 朝の食堂には、既に何人かの冒険者の姿がありましたが、まだマールさんもリッサも来ていないようです。だいたいマールさんは、私よりも先に来て食べていることが多いのですが……。それだけ、今朝は私が早起きだったということなのでしょう。

 カウンターで料理を注文して、トレイにのせて、適当なテーブルへ。私の朝食のメニューは、もうすっかり決まりきっています。

 いつものように、ベーコンエッグ、トースト、穀物粥グリッツ、パンケーキを食べて……。

 そして最後に、デザートの果物です。これだけが、日替わりメニューです。今日の果物は、桃でした! このイスト村に来て、私が最初に口にした果物です。

 あの時とは違って、半分に割って種の部分をくり抜き、皮を剥いた桃です。パッと見た感じ、缶詰の桃にも見えますが、そうではないでしょう。桃の産地で、わざわざ缶詰の桃を食卓に出すとは思えません。

 完全に熟しきる前の桃のようで、食べてみると、少し酸味がありました。でも、これはこれで美味しいと感じたので、満足です。


 ちょうど、私が食べ終わった時でした。

「あら。今朝は早いのね、パラ」

「おはよう、我が親友パラ。なんだ、もう食べてしまったのか。一緒に食べたかったのに……」

 マールさんとリッサがやってきました。

「おはようございます、マールさん、リッサ」

 私は二人に挨拶をしてから、リッサに軽く謝ります。

「ごめんなさい、リッサ。今日はリッサだけ別行動だから、わざわざ待つのも変かと思いまして」

「そんなことはないぞ。別行動といえば別行動だが、そんな気の使い方は、それこそ変ではないか?」

「まあまあ。パラはパラなりに気を使ったようだし……。あんまり責めないであげてね、リッサ」

「いや、別に責めているというわけではないが……」

「わかってるわ。あまり大事おおごとに考えないでちょうだい」

 続いてマールさんは、私に向かって、

「確かに行き先は別になるけれど、とりあえず広場の待ち合わせ場所までは、一緒に行きましょう。私たち二人がダンジョンへ向かうのは、ラビエスの顔を見てから、ということでどうかしら?」

「ああ、それはいいですね!」

 私は笑顔で賛成しました。


 少しだけ、マールさんの心の中を想像してしまいます。

 私やリッサにとってのラビエスさんと、マールさんにとってのラビエスさんは、大きく意味が異なります。だってマールさんとラビエスさんは、幼馴染なのですから。幼馴染としては、一日に一回は顔を合わせておきたいのかもしれません。

 幼馴染の二人は特別なのだな、と私が今さらのように実感したのは、ちょうどイスト村に戻ってきた日でした。私とリッサだけを先に女子寮に入れて、しばらく二人で、玄関前で立ち話をしていたのです。

 その内容をわざわざ聞き出そうとするほど、私も野暮ではありませんが、次の日、マールさんの方から教えてくれました。窓口のお姉さんから、リッサの正体や扱いに関して、色々と言い含められた……。その連絡だったそうです。

 でも……。本当に、それだけだったのでしょうかね? それにしては、時間がかかり過ぎていたような、などと考えてしまうのは、私の邪推でしょうか。

 昨日も、女子寮の前で別れ際に、ちらっと二人で内緒話をしていたようです。

 もちろん、二人は『幼馴染』とは言っても、それは本来の『ラビエス』さんの話です。私が知り合った今のラビエスさんは、中身が別人の魂になっています。あれだけ必死になってラビエスさんは転生者であることを隠しているわけですから、当然、マールさんにも真実は告げていないのでしょう。

 マールさんが幼馴染と思っているラビエスさんは、本当は幼馴染でも何でもない。それどころか、この世界の人間ですらない。私と同じ、あちらの世界から来た転生者……。

 そう考えると、少し悲しくなりますが、それでも。

 確か、果物屋さんの話によれば、ラビエスさんが記憶喪失に陥ったのは、一年くらい前のはずです。ならば、それ以来この一年の間、マールさんと二人で冒険を続けてきたラビエスさんは、転生者である今のラビエスさんです。

 ですから。

 少なくとも、その間に冒険者仲間として、二人だけでつちかってきた絆は、嘘偽りのない本物でしょう。それはやはり、私やリッサとは違う、マールさんとラビエスさん二人だけの特別な関係なのだと思うのです。


 その後、食事を済ませた二人と共に、広場へ行きました。

 すでにラビエスさんは来ており、噴水の縁石に腰掛けて、ぼうっと空を眺めていました。

「おはよう、みんな。リッサだけじゃなく、マールとパラも来たんだな」

「はい。おはようございます、ラビエスさん」

 私たちもラビエスさんに挨拶を返して、たわいない言葉を少し交わします。それからリッサを彼に預けて、私とマールさんは、ダンジョン探索に向かいました。

 もちろん、まだ私はイスト村に散在するダンジョンに詳しくないので、細かい計画はマールさん任せです。本日の目的地は『ヒルデ山の洞窟』と呼ばれるダンジョンで、村はずれに位置するそうです。

「『ヒルデ山』なんて大げさに言っているけど、実際には山というより、小高い丘ね」

 村の中を歩きながら、マールさんが説明してくれます。

「しかも、洞窟ダンジョンがあるのは、山頂ではなく、その中腹あたり。洞窟内も、危険なモンスターは出ないわ」

 話を聞く限り、初心者向けのダンジョンのようです。

 私が黙って耳を傾けていると、マールさんは、少し遠い目で、

「私とラビエスが前回『ヒルデ山の洞窟』を訪れたのは……。半月くらい前だったかしら。そうそう、ラビエスが治療院を手伝う前日だったから、金曜日……。あら!」

 何かに気づいたのでしょう、マールさんは、ハッとした表情になりました。それから、私に笑顔を向けて、

「ちょうど、私の隣にパラが引っ越してきた日の、前日ね」

「ああ!」

 マールさんの言葉にあった『ラビエスが治療院を手伝う』は、私とラビエスさんが初めて会った日のことですね!

 私も、がらっと気分が変わりました。マールさんの思い出話が、急に身近なものに感じられたからです。

「色々ありましたが、私がイスト村に来て、まだ半月なのですね……」

「そうね」

 マールさんも、感慨深げに続けます。

「ラビエスと二人で、ただ村のダンジョンを回るだけの日々は、毎日が同じ繰り返しみたいなものだったけど……。パラとリッサのおかげで、ここ最近、私も初めての体験ばかりだわ。これこそ本当の『冒険』って気持ちになるくらい」

 ふふふ、と声を出して笑うマールさんでした。


 女二人でおしゃべりしながら歩くうちに、ヒルデ山に到着です。

 マールさんは小高い丘と言っていましたが、いざふもとから見上げると、小さいながらも立派な山に思えてきます。

「途中で道が狭くなる部分もあるから、二人横並びで行くのは、ちょっと危険ね。私が先に行くから、パラは、すぐ後ろをついてきて」

「はい」

 軽く説明しながら、マールさんは、立て札で示された登山道へ入っていきます。私は、彼女に従いました。

 進んでいくと、マールさんの言葉の意味がわかりました。確かに『ちょっと危険』です。登山道の入り口付近は明るい感じだったのに、いざ山道に入ると、鬱蒼とした木々に挟まれて、少し暗くなります。それを抜けると今度は、片側が山の斜面、反対側が崖といった感じになりました。あちらの世界の登山道とは違って、親切に転落防止用の柵が設置されているわけでもありません。足を踏み外したら、崖下まで真っ逆さまです。

 しかも、さらに行くと、道幅が突然、狭くなりました。山道自体も、大きく右へ曲がっています。大げさな言い方をするならば、この登山道で最大の難所なのかもしれません。

 実際、前を歩くマールさんの後ろ姿に、少し緊張した様子が見てとれました。いくら危ない山道とはいえ、たかが山道にそこまで警戒する必要があるのか、私の方が不思議に感じるくらいの雰囲気です。

「マールさん……?」

 私の中で疑問が膨らんで、つい、彼女の背中に声をかけてしまいました。


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――の耳に、パラの不思議そうな声が届く。ただ「マールさん……?」と名前を呼びかけただけの言葉だが、何か尋ねたいような口調だった。

 私の態度が、それほどあからさまだったみたい。

 我ながら馬鹿な話だと思う。

 ラビエスと一緒でもないのに、条件反射的に、身構えてしまうなんて。

 でも、これは体に身についてしまった習慣なのだろう。

 無理して笑みを浮かべながら、私は立ち止まって、振り向いた。

「やっぱり、私、変だったかしら」

「いや、変というほどではないですが……」

「昔……といっても、今から一年と少し前の話。珍しく私抜きで、ラビエスが別の友人と共に、冒険に出かけた日……。ここの崖で、彼は足を滑らせたの」

 今でも、思い出すだけでゾッとする。おそらく、パラに向けた私の作り笑顔など、もう壊れてしまったに違いない。

「しかも、その後も大変だったのよ。意識不明だったり、記憶喪失だったり……。ああ、それはパラも知ってるんだっけ」

 以前に『西の大森林』を前にして、そのような話をパラがしていたのを、ふと思い出す。

「はい! でも、それがこのヒルデ山だったとは、知りませんでした。私が聞いていたのは……」

 今度は、パラが事情を説明する番だった。

 イスト村へ着いて早々、露天商が声をかけてきたという話。その商人は、ちょうど治療院でラビエスに風邪を治してもらったばかりだったため、ラビエスのことをパラに語ったのだという。その中で、ラビエスの治療師としての評判だけでなく、何日も寝込んだとか、記憶を失っていたとか、色々と話題に出てきたそうだ。

「なるほどね。そこでパラは、ラビエスを聞き知ったわけね」

「はい。腕のいい白魔法士だと聞いて、早速、治療院に向かった次第です」

 イスト村に来たばかりだったパラが一体どこでラビエスの評判を耳にしたのか、私だけでなくラビエスも不思議に思っていたが、ひょんなことから、その疑問が解決したみたい。

「まあ、今ここにラビエスはいないわけだし。ここで私が緊張するのは、理屈に合わない話なんだけどね」

「そんなことないですよ、マールさん。私たちだって、足を踏み外すかもしれませんから。用心するに越したことはありません」

 言われてみれば、その通りだ。この場所で今まで私は、またラビエスが落ちるのではないかと無意識のうちに思ってしまうだけで、自分自身のことは考えていなかった。そういえば私だって、その可能性はゼロではないわけで……。

「そうね。まあ、ダンジョンへ行く途中で怪我したら馬鹿みたいだから、気をつけて行きましょう」

「はい!」

 パラは、元気よく返事をした。


 やがて私たちは、ヒルデ山の中腹にある洞窟まで辿り着いた。

 パラは入り口から中を覗き込んで、

「ここも、洞窟内部にヒカリゴケが生えているのですね」

「ええ、そうよ。洞窟ダンジョンの決まりみたいなものかしら。もちろん例外もあるでしょうけど」

 そう言って、私は先に入っていく。

 私が何も説明せずとも、パラは「黒魔法士なので自分は後衛」と認識しているみたいで、一定の距離を保ちながら、私について来る。

 こういう部分は、ラビエスと二人の場合と同じだ。もちろん、ラビエスと比べたら知り合ってからの日数は思いっきり浅いが、それでも十分『仲間』として信頼している。

 ただしラビエスと違うのは、彼女には回復魔法が使えないということ。もちろん私も使えないので、今日は二人とも、回復ポーション持参で来ている。このダンジョンで出現するモンスターの数を考えれば、十分量のはずだ。

 そうやって二人で進んでいくと……。

「パラ、わかる?」

「モンスターですか?」

 ああ、これもラビエスとは違う点だ。まだまだパラには、モンスターの気配を察知するのは難しいらしい。その意味では、やはり彼女は新米の冒険者。それでも私の問いかけに対して、すぐに「モンスターですか?」と返せるのは、見込みがあると言えるだろう。


――――――――――――


「パラ、わかる?」

 私――パラ・ミクソ――は、マールさんの突然の言葉に、少しだけ驚いてしまいます。何かあったのでしょうが、宝箱を見つけた、という雰囲気ではありません。ならば……。

「モンスターですか?」

「ええ。おそらくウィスプ系ね。このダンジョンで赤や緑は見たことないから、きっと青ウィスプでしょう」

 さすがに、マールさんは経験豊富です。気配だけで、モンスターの種類まで当ててしまいます。

 彼女の言葉通り、前方からモンスターが現れました。ふわふわと漂う、青い人魂のような塊が二つ……。二匹の青ウィスプです。

「ここは私の出番ですね」

「そうね、パラ。お願いするわ」

 しかし、私が頷くより早く、

「……いや、ちょっと待って。ごめん、パラ。前言撤回だわ。先に、私にやらせてもらっていいかしら?」

 マールさんは、自分で自分の言葉を否定しました。

 以前に『西の大森林』でも出くわしましたが、ウィスプ系モンスターを相手にする場合は、魔法で攻撃するのが定石です。物理攻撃では最小ダメージしか与えられないからです。

 それを承知しているはずのマールさん――戦士であるマールさん――なのに、「先に自分が」というのは、どういう魂胆なのか……。

 興味深く感じて、今度こそ私が頷くと、

「この機会に、試しておきたいことがあるの。本当に魔王討伐なんて冒険に出かけるならば……。絶対に、これを使う必要が出てくるでしょうしね」

 言いながら、マールさんが、腰の鞘から剣を引き抜きます。いつもならば、愛用の軽片手剣ライトソードですが、今回は……。

「さあ、あなたたち! この新しい武器の、試し斬りよ! 実験台になってもらうわ!」

 青ウィスプに向かって、宣言するマールさん。彼女の手には、真っ赤な剣。『炎の精霊』との戦いにおいて私たちも苦しめられた、あの炎魔剣フレイム・デモン・ソードが握られていました。

   

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