第二十五話 治療院の一日 ――リッサの場合――・後編(ラビエスの冒険記)

   

 開院の時間となり、俺――ラビエス・ラ・ブド――たちの前に、本日一人目の患者がやってきた。

「おお、土産みやげ売りか。……なんじゃ、また風邪でもひいたか?」

 フィロ先生が『土産みやげ売り』と呼ぶ、顔見知りのおじさんだった。知り合いが患者として来院すると、だいたいフィロ先生は、いつも同じセリフで出迎える。

 彼は広場の露天商の一人で、主に乗合馬車で来る旅行者を相手に、土産みやげとなる品物を売って暮らしている。この辺りの特産品ということになるが、野菜や果物といった食べ物は他の露天商と重なってしまうため、もっぱら彼が扱うのは雑貨や小物ばかり。特にイスト村は辺境の山村であり、客も少ないだろうから、そんなもので生計が成り立つのか、いつも俺は不思議なのだが……。

「おや、今日は女のお手伝いさんまでいて、華やかですなあ」

 治療院に来た以上は、彼も病人のはずなのに、案外元気そうだ。いや、こうした軽口は、病人特有の空元気からげんきなのかもしれない。

「いやいや。リッサ嬢ちゃんは、わしやラビエス以上に、優秀な白魔法士じゃぞ。そういう目で見るでない」

「へえ、先生や若先生よりも……ですかい? そいつは凄い!」

 彼は大げさに驚いてみせる。やはり、空元気というより本当に健康そうに見える。

「まあ、論より証拠じゃな。リッサ嬢ちゃん、さっそく診断してみてくれ」

「わかった」

 フィロ先生に促されて、解析魔法アナリシで診断するリッサ。

「これは……。喉から鼻にかけて、特に鼻のあたりに集中して病原体が存在しているな。いわゆる鼻風邪だろう」

「これはびっくり! 俺が具合を説明する前に、どこが悪いか、当てちまいやがった! 本当に先生の言う通り、凄い女先生ですねえ……」

 もうリッサは『女先生』となってしまった。あれ、もしかすると『若先生』と呼ばれる俺よりも、ランクが上の扱いでは……?

「ふむ。ならば、おそらくマイナス型の病原体じゃろうが……。確認はしておこう。ラビエス、お前さんの出番じゃ」

「はい」

 俺は頷いて、道具を取りに準備室へ向かう。当然のように、リッサも俺についてきた。


 まず冷蔵庫の培養液を取り出し、無菌箱へ。

 無菌箱の中でガラス試験管に分注する俺を、後ろからリッサが覗き込む。

「なるほど。これが『ネクス村には必要な分だけ小分けして持参』ということか。この状態にして、冷やして持ち運んでいたわけだな」

 リッサの質問に対して、俺は黙って、首だけで頷いた。

 本来、無菌操作の最中さいちゅうは、なるべく喋らない方が良い。息と共に雑菌が吹きかけられる形になるからだ。だからといって、いちいちマスクをして実験する研究者もあまりおらず――ただし動物実験など実験の性質によってはマスク必須だが――、どうしても口を開く場合は、しっかりと後ろを向いて、息が入らないようにして話すことが必要となる。

「この先は、リッサもネクス村で見た通りの手順だ」

 俺は無菌操作を終わらせて、無菌箱の小窓を閉じてから、リッサに告げた。

 続いて、患者のところへ戻り、サンプル回収だ。今回は鼻風邪ということで、鼻水を一滴、サンプルとして採取した。ちなみに、健康人のサンプルとしては、俺とリッサとフィロ先生の三人分を用いた。

 それから再び準備室へ戻り、今度は培養槽で、回復呪文を用いて病原体の増殖。結果は想定通り。

「うむ。四本とも、同じ程度の濁りだな」

 俺より先に、リッサが口に出して納得している。

 そして診察室へ戻り、フィロ先生にも確認してもらう。

「やはり、じゃな。では、いつも通り、ラビエスにお願いするぞ」

「あれ、今度は女先生ではなくて、若先生が診て下さるんで?」

「おう、こういうのはラビエスが得意じゃからのう」

 フィロ先生に言われて、俺は少し誇らしげな気分で、解毒魔法と回復魔法で治療する。魔法はイメージに左右されるくらいだから、もしかしたら、術者の気分というものも需要な要素ファクターになるのかもしれない。

「おお! すっかり良くなった! 若先生、ありがとう」

 土産みやげ売りのおじさんは、俺に感謝した後、リッサの方を振り向いて、

「女先生も、ありがとな! 女物のアクセサリーなんかもあるから、今度、うちの店に来てくれよ。だいたい毎日、広場で店を開いているから。……今日のこともあるし、安くしとくぜ」

「そうか。では近いうちに、ぜひ寄らせてもらおう」

 社交辞令なのか、そうでないのか。

 リッサの言葉に、おじさんは満足したように笑顔を浮かべて、帰っていった。


 それから何人か、風邪程度の患者が続いた後。

「おお、妖精亭か。また、いつものところが痛み出したのかの?」

「はい。今日も、よろしくお願いします」

 近所の酒場の主人が、お腹をさすりながら入ってきた。フィロ先生は彼のことを、店の名前『妖精亭』で呼ぶ。

 頭の薄い、髭面の男性に対して『妖精亭』という呼び名は似つかわしくないと俺は思うのだが、まあ、それはいい。問題なのは、顔見知り相手なのに、フィロ先生の対応が普通とは違うことだ。

 つまり。この患者は、風邪などとは違う、慢性的な持病のある常連客なのだ。

 今まで俺がフィロ先生の手伝いをする日に彼が訪れたことはないが、フィロ先生から、話だけは聞いていた。彼の病気は……。

「妖精亭。今日はお前さん、ついとるぞ。なあ、リッサ嬢ちゃん、こいつを診てやってくれないか?」

「わかった」

 フィロ先生に促されたリッサが、解析魔法アナリシを唱える。

 魔法をかけられた酒場の主人は、フィロ先生を――そしてフィロ先生に言われて動くリッサを――深く信頼しているようで、口も開かずに、されるがままだ。

「うむ。悪いのは……この部分だな」

 診断結果を見てリッサが指し示したのは、患者の腹部。もう少し詳しく述べるならば、上腹部の右側だ。

「おお、そうです。そこですよ、痛いのは」

 酒場の主人は、軽く驚いた後、フィロ先生に対して、

「さすがは先生のお弟子さんですな。魔法で、具合の悪い部分がわかるなんて」

「いや、わしの弟子というわけではないんじゃがのう」

 今日のリッサは、『女先生』と呼ばれたり、『先生のお弟子さん』と言われたり……。まあ『姫様』扱いされるよりは、リッサも嬉しいに違いない。

「やはり、肝の臓を患っておるのか。リッサ嬢ちゃんの診断でも同じか……」

 しみじみと呟くフィロ先生。

 この結果は、彼の想像通りというわけだ。

 俺も以前にフィロ先生から聞かされていた。酒場の主人は、肝臓を駄目にしている、と。

 こうした臓器障害は、俺には、どうにも出来ない。それはフィロ先生も理解しているから、俺が治療院にいる日は、なるべく俺が対処できる患者だけに来て欲しいのだろう。酒場の主人には、あらかじめ「できれば水曜と土曜は避けるように」と言ってあったようだ。だから今まで、俺は、患者としての彼とは顔を合わせることがなかったのだ。

「すまんな。結局、新しいことは何もわからんままじゃ」

「いえいえ。こちらとしては、いつも通り治療していただければ……」

 少し恐縮気味の患者に対して、フィロ先生が、解毒魔法と回復魔法を試みる。これが、どれほどの効果なのか不明だが、

「せっかくだから、今日は大盤振る舞いじゃ。ラビエス、リッサ嬢ちゃん。二人も、同じように治療してみい」

「はい」

「わかった」

「え? 三人がかりで、やっていただけるんで?」

 きょとんとする患者に対して、まずは俺が挑戦する。


 肝臓の具合が悪いといっても、その原因は様々だろう。ウイルス性の肝炎の可能性だってある。

 だが、この世界の環境では、肝臓の病理切片を入手するのは困難だ。原因の特定は不可能と言っていいだろう。「ウイルス性かもしれない」というくらいの想定で、解毒魔法を使うしかない。

 ちなみに。

 元の世界で俺が研究していたウイルスの中に、肝炎ウイルスは含まれていなかった。近縁のウイルスの中にも、肝炎を引き起こすものは皆無だった。

 俺は医者ではなく、ウイルス学者だったので、ウイルスを分類する場合、ウイルスが引き起こす症状ではなく、遺伝子型に基づいた区分となる。今使った『近縁』という言葉も、あくまでも「遺伝子型が近い」という意味になる。

 だから、俺の専門は脳炎を引き起こすウイルスだったが、近縁のウイルスは、全く違う病気のウイルスばかり。一番近い、兄弟か従兄弟いとこに相当するウイルスは、口内炎のウイルスだったし、親戚筋にあたるウイルスは、致死的な出血熱だったり、おたふく風邪だったり、麻疹はしかだったり……。

 その辺りのウイルスまでは、教科書で学ぶだけでなく、自分の研究の参考にするために実際の研究論文を読んで、研究データに目を通したりもしたから、かなり詳しい自信がある。だが、肝炎ウイルスに関しては、さっぱりだ。それこそ、教科書レベルの知識しかない。

 それでも。

 一応、頭の中で肝炎ウイルスをイメージしながら、俺は解毒魔法を唱えた。続いて、回復魔法。

 俺が終わると、リッサの番だ。どういうイメージを思い浮かべたのか不明だが、彼女も、解毒魔法と回復魔法を試みる。

 こうして三人に治療された結果、酒場の主人は、

「いつも通り、少し痛みがマシになった気が……」

 一瞬の間を置いて、

「……いや。わずかですが、いつもより『マシになった』度合いが大きいような気がしますな」

 俺たちに感謝して、帰っていった。

 おそらく、それはプラシーボ効果――患者の思い込み――だと思うのだが……。


 こうして、三人で患者の対応を続けるうちに、夕方となった。そろそろ本日の診察も終了である。

 フィロ先生も「もう終わり」といった雰囲気で、

「リッサ嬢ちゃん、今日はありがとう。本当に、助かったわい」

「いや、こちらこそありがとう。私としても、今日は色々と勉強になった。市井の治療院というものは、こういう感じなのだな……」

「また、手伝いに来てくれるかのう?」

「そうしたいのは山々だが……」

 ここでリッサは、一瞬、俺に意味ありげな視線を向けてから、

「……私たちは近々、次の冒険旅行に出発するからな。戻ってくるまでは、手伝いに来る機会は作れないと思う」

「そうか、また旅立つのか……。では仕方ないのう」

 いやいや。

 おそらくリッサは魔王討伐の件について言っているのだろうが、そんなもの、まだまだ先の話ではないか。だから、俺だってフィロ先生にも告げていないくらいだ。いきなり話をすっ飛ばしてもらっては困る。

 俺は、慌てて訂正した。

「いや、冒険旅行といっても、今すぐという話ではないですよ。当分は、現状のまま……」

「ん? なぜだ? ラビエス、何を言っているのだ?」

 リッサから、思わぬ反論が来た。

「当面の目的地も決まったではないか。西方にあるという、ガイキン山を目指すのだろう?」

 昨日マールからも「冒険旅行に出発するなら、色々と準備もある」と言われているのに、もう忘れてしまったのだろうか。あるいは、最初から耳に入っていなかったのだろうか。

「いやいや、リッサ。正確な場所は調べていないが、少なくとも、歩いて行ける距離じゃないだろう。ならば、馬車が必要だ。いや正確には、馬車はあるけれど御者がいない、という状態だから……」

「ん? 馬車はあるのか?」

 しまった。

 完全に、失言だった。

 馬車の話は、今のところ、マールにしか話していなかった。まだリッサには伝えていないし、伝える必要もなかったのに。

「ああ。それなんだが……」

 ラゴスバット伯爵から馬車をいただいたこと。しかし御者は帰ってしまったこと。

 俺が事情を簡単に説明すると、

「そうなのか! では、問題は解決したではないか!」

 大げさに両手を広げて喜ぶリッサ。

 リッサ、ちゃんと俺の話を聞いていたか? また何か、変な思い込み癖でも発動したか?

「いや、だから言ったろう。御者がいない、と」

 御者の確保は、簡単なようで難しい。

 なにしろ、俺たちは冒険旅行に出るつもりなのだ。

 ただ馬が扱えるだけではなく、俺たちの冒険旅行に付き合ってもらえる人間でなければならない。普通は、その人の本来の仕事があるから、他人の旅行に時間を拘束されるわけにもいかないだろう。

 特定の仕事に就いていないフリーの人間、それこそ、冒険者ならば可能だろうが……。馬を扱える冒険者など、簡単に探し出せるだろうか? そんな冒険者ならば、他の冒険者に雇われる前に、自分で冒険旅行に出ているのではなかろうか?

 こうした状況を、噛み砕いて俺が説明すると、

「心配する必要ないぞ、ラビエス。その条件に合致する、まさにぴったりの人物がいるからな」

 リッサが驚くべき返答を口にした。

「どこに……?」

「目の前に」

「は?」

 意味がわからず戸惑う俺に対して、リッサは、胸を張って言い切った。

「御者なら、この私に任せろ。乗馬は貴婦人レディ心得たしなみだ。馬の扱いには、自信があるぞ」

   

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