第二十三話 怪しい旅人・後編(旅人モックの独白、ラビエスの冒険記)
俺――モック――は、最初に言ったように、大陸中を旅している。でも冒険者ってわけじゃない。だから『旅人』って自称している。
さて、この『旅』なんだが……。実は、いつから旅しているのか、俺自身よくわからない。
まあ、こういう言い方をすると、普通は「わからなくなるくらい昔から、ずっと旅している」って意味に聞こえるんだろうなあ。きっと、あんたたちも、そう受け取ってしまうに違いない。
でも、違うんだ。
本当に、俺にもわからないんだ。
だって、俺には記憶がないのだから。
ああ、この言い方も語弊があるかもしれないな。特に、あんたたち冒険者に対しては。
ほら、冒険者の間では『意識不明』とか『記憶喪失』って言葉は、特別な意味を持つんだろう?
聞いたぜ。病気や怪我で長期間『意識不明』に陥った後『記憶喪失』になる冒険者……。そういう例が結構あるって。
もちろん、冒険者だけでなく一般の人だって、長い時間意識を失ったり、何かの拍子に記憶を失ったりするかもしれない。でも冒険者の場合は、一定のパターンがあるんだろう?
意識を取り戻した直後は、何もかも――自分の名前すら――すっぱり忘れて、まるで生まれ変わったかのような状態。でも時間が経つにつれて、自然に少しずつ思い出していく。だから別に『生まれ変わった』わけでも何でもない……。それが冒険者の『記憶喪失』のパターンだ。
ほら、あんたたちも「その話なら聞いたことある」って顔してるぜ。
ところが、俺の場合。このパターンには当てはまらないんだなあ、これが。
意識不明だったわけでもないようだし、一年以上経過した今でも、名前以外ほとんど思い出せない……。
うん、少し具体的に、順を追って話そうか。
気が付いた時、俺は馬車の中だった。長距離移動の、乗合馬車だ。
最初は焦ったね。自分が誰なのか、自分がどこにいるのか、それすら不明だったから。
まず状況確認したくて、俺は周りを見回した。自分は馬車のキャビンにいる、そして何人かの同乗者がいるってことは認識できた。
ほぼ同時に、頭の中で声が聞こえてきた。
『お前の名前はモックだ。大陸全土を旅して回れ』
不思議な声だったね。少なくとも、馬車の同乗者が発した声と違うってことだけは、確実だった。
同乗者たちは、彼らだけで会話を楽しんでいた。邪魔するのも悪かったが、俺は言葉を挟んだ。
「すまないが、教えてくれ。ここはどこだ? 俺は今、何をやっている? 今まで何をしていた? 『大陸』って何だ?」
急に割り込まれて、彼らは驚いたように会話を止めてしまった。少しの間、黙って顔を見合わせてから、堰を切ったように話し始めた。
「今まで挨拶一つせず、ようやく口を開いたかと思えば……」
「気持ちの悪いやつだな。頭でもおかしくなったか?」
「どこって……。どう見ても、ここは馬車の中だろう」
「大陸縦断馬車に乗っている以上、今までもこれからも、やることは一つだけ。旅さ」
「あんたがどこから来て、どこへ向かっているのか。そこまでは知らん。あんたは俺たちと話そうともせず、ずっとそこに座っていたからな」
「おいおい。まさか『大陸』が何か知らずに、大陸縦断馬車に乗ったとは言わんよな?」
「まあ、北の大陸や南の大陸、西の大陸なんてものもあるが……。俺たちにとって『大陸』といえば、ここ東の大陸に決まっている。他の大陸へ渡る手段がないからな」
彼らにしてみれば、それまで普通に座っていた俺が、突然おかしなことを喋り出したようにしか見えなかったらしい。
それでも、これだけの情報を与えてくれたのだから、彼らには感謝だ。
どうだい。
彼らの話から判断するに、俺は別に意識不明だったわけでも何でもなく、ただ、そこにいたんだ。それなのに突然、記憶喪失になったわけだ。冒険者さんたちのパターンとは、明らかに違うだろう? むしろ超常現象だろう?
とりあえず。
荷物を確認してみると、幸い、旅費だけは十分に持っていた。それまでの一切合切がわからないというのは不安だったが、頭の中の『大陸全土を旅して回れ』という声に従って、俺は馬車の旅を続けることにした。
まあ、これが最初の会話だっただけに、乗合馬車の同乗者連中には、あまり良い印象を持たれなかったようだが……。
理由はわからないが、俺に冷たいのは、馬車の連中だけではなかった。長い旅の間には、いくつかの村に立ち寄り、そこで宿をとる機会もあったわけだが、村の連中も馬車の同乗者たちと似たような態度だったと思う。俺のことを「かわいそうな記憶喪失!」として優しく扱ってくれる村人は、皆無だった。
ただ頭の中の声を受け入れるだけでは、主体性もないし、面白くもない。だから『大陸全土を旅して回れ』には従いつつ、俺は「自分の記憶を取り戻すための旅」という目的を設定してみた。
まあ、そのためには、とにかく見聞を広めることだ。好かれていないと自覚しつつも、俺は、なるべく多くの人間と知り合って、話をするようにしてきた。
そんな中、俺は誇大図書館の噂を聞いた。
真偽のほども定かではない、様々な伝承や逸話を集めた図書館……。そこへ行けば、何か手がかりになるような話も転がっているかもしれない。
そう思って立ち寄ってみたが、残念ながら、俺の助けになるような話は何もなかった。俺のような、特殊な『記憶喪失』の男の話なんて、全く載っていなかった。
ただし。
目的とは違ったが、そこで出会ったセラインという娘さんだけは、それまでの人々と違って、明らかに俺に優しくしてくれたな。
本当に、神々しいくらいに美しい女性で、水色の長髪が良く似合っていてね。そのサラサラと風になびく姿が、まるで神話に描かれた女神の挿絵のようで……。見た瞬間、水の女神かと思ったよ。
「何かお困りのようですね。苦労が顔に出ています」
そう、彼女の方から、俺に声をかけてくれたんだぜ。
「私に出来ることはありませんか? お手伝いしたいと思います。もちろん『なんでも』とは言えませんし、あまりの面倒事なら、私も巻き込まれたくはありませんが……」
最初に「面倒事は嫌!」と言ってくれるのも、正直で素敵じゃないか。
特殊な記憶喪失なんて、十分厄介な話で、嫌がられるかとも思ったんだが……。
せっかくなので、俺は包み隠さず、全て事情を話した。最初の馬車の中での、不可解な状況も含めて。
すると。
「まあ! それは大変!」
彼女は、俺を気持ち悪く思うこともなく、むしろ、あたたかい口調だった。それから、少し遠い目で、
「私にも、あなたのようなお友だちがいました。まだ故郷にいた頃の話です」
一瞬「俺と似たような記憶喪失の話か?」と期待したが、彼女の『あなたのような』は、別の意味だった。
「彼は、仲間内からも、あまり良くは思われず……。いじめられていた、という程ではありませんでしたが、あからさまに
俺が皆から冷遇されてきた点を、彼女は、昔の『お友だち』と重ねてしまったらしい。
「……でも、彼自身には、私の真意は伝わっていたと思います。それとなく何度も、こっそり手助けしてきましたから」
そして彼女は、俺に笑顔を向けて告げた。
「ですから。あなたのことも、なんとかしてあげたいと思ってしまいます」
ああ、ようやく俺に親切にしてくれる人が現れた……。
本来ならば、俺はホッとするべきだったかもしれない。
確かに、安堵感はあった。だが、同時に少しだけ、心がチクっと痛んでしまった。
その瞬間、俺は気づいたね。この短い間に、いつのまにか俺は彼女に惚れてしまったのだ、と。
おそらく一目惚れだったのだろう。
そして彼女に惚れたからこそ、彼女が俺自身ではなく、俺を通して昔の『お友だち』を見ていることに、俺は心が痛んだわけだ。自己中心的な感情だという自覚はあるが、まあ、仕方がない。恋心なんて、そういうものだろう?
ともかく。
「とはいえ、今すぐ私が、何か出来るわけでもありませんから……」
具体的には、彼女に出来ることはなかったが、とりあえず相談に乗ってくれた。
「旅を続けるのであれば……。一応、方向だけは決めてみたら?」
なるほど。
考えてみれば、俺は大陸縦断馬車を使って移動している。意識していなかったが、南から北へ向かって旅を続けている、という形になっていた。
「では『北へ向かう』ということでよろしいですね? まあ北といっても、縦断馬車ならば、厳密には真北ではなく少し東へも向かうわけですが」
ここで俺は、勇気を出して、一つ提案してみた。
「一緒に……。俺と一緒に、来てはもらえないか?」
「あらあら! ふふふ……」
彼女は、鈴音のような笑い声を上げてから、
「それは出来ません。私には私で、やるべきことがありますから。ふふふ……」
「じゃあ、逆に俺が、あなたに同行するというのは……」
「それも駄目です。私の用事は、秘密ですから。誰にも知られてはいけないのですよ」
彼女は人差し指を立てて、唇に当てながら告げる。
自然と、彼女の指に俺の視線が向いて、俺は初めて気が付いた。
なんと美しい指なのだろう、と。
ほら、『
「でも、たとえ行く道は違っていても……」
彼女は、俺が気落ちせぬよう、言葉を補足した。
「……あなたの幸せは、旅先から祈っております」
ここで彼女は、妖艶とも思える笑みを浮かべて、
「その私の祈りが、あなたに奇跡を起こすかもしれませんから」
そう、最後の瞬間、彼女は『妖艶』だったんだ。ただ美しいというだけでなく、少しゾッとする感じも含んでいたのさ。
結局、俺は彼女に、自分の気持ちを告げることは出来なかった。
だって仕方ないだろう?
何しろ記憶がないんだ。もしかしたら、俺は所帯持ちかもしれない。世紀の大悪人かもしれない。それどころか、実は人間ではなくてモンスターなのかもしれない。
……いや、こんなにペラペラ喋るモンスターなんて普通いないし、いるとしてもダンジョン奥のボス・モンスターくらいだろう? 外を旅して回っている時点で違うって、俺だって理解している。まあ、それくらい得体の知れない人間ってことさ。
そんな俺が彼女を人生の
「また、どこかで会えるかもしれませんよ」
彼女のその言葉に、一縷の望みを託して。
俺は泣く泣く――『泣きながら』ではなく『泣きたいほどの気持ちで』――セラインに別れを告げた。
そうそう。
あんたたちが関心を持っている『魔』の気配が強い山。それについての噂も、誇大図書館で読み漁った中にあったぜ。
ガイキン山ってところだ。そこが『魔』の潜む山だと言われているらしい。このイスト村からだと、しばらく西へ行った辺りにそびえ立つ山だな。俺自身は特に興味もなく、その山には立ち寄りもしなかったが……。
もっと詳しく知りたきゃあ、あんたたちが実際に行ってみるしかないだろうな。山の麓に小さな村があるそうだから、そこの住人が色々と教えてくれるだろうぜ。
誇大図書館を後にした俺は、セラインの言葉に従って、ひたすら北を目指した。
そうやって北上の旅を続けるうちに、また頭の中で、俺に呼びかける声があってな。
『北東へ進め』
今度は、そう言いやがる。
まあセラインにも「厳密には北東」と言われていたから、これはこれで構わないのだが……。
もしかすると、この頭の中の声。本当に『声』なのか、それとも俺自身の願望――彼女の勧めに従いたい――なのか、ちょっとわからなくなってきた。
ともかく、その『声』に従って旅を続けて……。
ネクスって村に辿り着いたのが、ちょうど二日前の、今頃の時間だった。そのネクス村で、あんたたちの噂を聞いたのさ。
あんたたちも、俺が行く少し前に、ネクス村に泊まったんだろう? そこで、誰にも治療できなかった病気を――『呪い』とまで言われた病気を――何とかしてみせたんだってな。
その後あんたたちは荷物を宿に残したまま、領主の城へ向かったそうだが……。俺が泊まった前日に、その城から、宿屋に使者が来た。あんたたちは城に泊まり、伯爵家で手厚くもてなされているから、荷物も引き取る、とのこと。
使者から話を聞いて、宿屋の女将さんは、たいそう驚いたらしいぜ。村での『呪い』の一件以上に、とんでもない活躍を城の方で
そんな状況だったからさ。俺も、あんたたちに会ってみたくなった。でも、俺自身が領主の城まで出向いたところで、そもそも城に入れてもらえるかどうかわからない。この通り、素性のわからぬ怪しい男だからな。
それで、あんたたちの帰りをイスト村で待とうと思って、昨日の明け方にネクス村を立ち、深夜遅くにイスト村に到着した。まさか、あんたたちが、もう村に戻っていたとは思わなかったがなあ。
俺は日曜礼拝に参加する習慣はないので、今朝は遅くまで宿屋で寝ていた。冒険者は普通、日曜の昼は組合の食堂で呑んでるって聞いたから、ここへ顔を出して……。こうして、あんたたちに出会えたわけだ。
それで、あんたたちに頼みたいことなんだが……。
少し、俺の旅に付き合わないか?
まあ、北へ北へと目指して、ここまで来たのは良いとして。
このイスト村は、辺境の山奥の村だ。北も東も――ついでに南も――山脈地帯に囲まれていて、これ以上は進めない。
だから、北の山脈と東の山脈に登ってみようかと思っているんだ。
なあ、それらの山脈の先には、何があるんだ? 大陸の端だから、海が見えるだけか?
それでも、ある意味、セラインに言われた「北へ向かう旅」の終点だと思って、行ってみようと計画している。
ただ……。
山脈地帯は、村の外だ。
ほら、村の外にはモンスターが出るだろう?
不思議なことに、俺には神様の加護か何かがあるらしく、普通に村の外を徒歩で旅しても、モンスターが近寄ってこなかった。だから時には馬車から降りて、ネクス村のような、大陸縦断馬車のルートから外れた村にも立ち寄れたわけだが……。
聞いた話によると、この村を囲む山脈地帯は、一般的な平野地帯とは比べ物にならないくらい怖いモンスターが出るらしいな。いつもの『神様の加護』も、そんなレベルのモンスターには通じないかもしれねえ。
だから、何やら凄いことをやってのけたというラビエスさんの冒険者チームを、警護の意味で雇いたいんだが……。
駄目かな?
――――――――――――
俺――ラビエス・ラ・ブド――たちが、旅人モックから聞いた話は、以上だった。
マールやリッサが何か言う前に、やんわりと俺から断ろうかと思ったが、
「無理ね」
「ああ、無理だな」
俺より早く、ばっさりと二人が切って捨てる。
「……やっぱり駄目か?」
「当然だ」
身も蓋もない返答のリッサに続いて、マールも、
「だって……。あなたは、北あるいは東へ向かうのでしょ。私たちの次の目的地は、『魔』の潜む山。あなたの話によれば、ここから西へ進むことになるわ。はい、残念」
パラは二人ほど積極的に反対の態度でもなさそうだが、二人の顔色を見ながら、モックに告げる。
「あのう……。私たちは無理ですが、他の冒険者の方々に頼んでみては? 冒険者組合に相談して、依頼書を貼り出してもらうという手もありますよ。ほら、そこに組合の窓口もありますし」
優しい対応ではあるが、やはり依頼は断る方向性だ。
「……というわけだ。すまんな、モック。貴重な話も聞かせてもらったのに、俺たちは助けになれない」
「そうか……。巨乳のお嬢ちゃんの提案通り、組合を通して正式に依頼してみるしかないか……」
モックは残念そうに首を振り、その場から去っていった。
それにしても。
モックの後ろ姿を見ながら、俺は考えてしまう。
彼の発言に対するマールやリッサの態度もあっただけに、モックが他人から嫌われるのは、彼自身の人柄によるものかと思ったのだが……。
村の外でもモンスターに襲われないというくらいだ。もしかすると、彼はモンスターが嫌がるフェロモンでも発しているのではないだろうか? そう考えた方が『神様の加護』なんて理由よりも納得できる。特にモックは、日曜礼拝にも参加しないくらい、『神様』とは無縁な男なわけだから。
そして。
本当に、そのようなフェロモンを出しているのだとしたら……。
そのフェロモンが、人間に対しても少し効いてしまっている可能性はないだろうか? 特殊なフェロモンのせいで、皆から嫌われているのではないだろうか?
だとしたら。
フェロモンに耐性のある例外が、三人いたことになる。俺とパラ、そして彼の話に出てきたセラインという娘だ。
その三人の中に転生者が二人とも含まれているのは偶然だろうか。もしかしたら、セラインも俺たち同様、転生者であるという可能性が……。
その場合。
モックという男は、転生者か否かを見抜く、生きた判別装置になり得るだろう。
……考え過ぎかもしれないが。
わずかでも可能性がある以上、俺も、これ以上モックには近づきたくないと思ってしまう。
俺がそんなことを考えている間にも、女たちは三人で、今後の予定について話し合っていた。
「では、決まったな。私たちは、まずガイキン山を目指そう。早速、明日にでも旅立ちを……」
「待ちなさい、リッサ。冒険旅行に出発するなら、色々と準備もあるわ」
「マールさんの言う通りです。しばらくは地道に、普通に村の中で、ダンジョン探索を重ねて……」
聞き流しそうになったが、俺は、ここで思い出した。
「そうだ、マール。言い忘れていたが、明日は、俺は参加できない。治療院の手伝いがある」
「あら? ラビエスが『治療師』になるのは、水曜日と土曜日のはずよね?」
「そうだったんだが……。しばらくは週三回ということになった」
「ああ、そういうこと。先日の冒険旅行で留守にした分の、代わりってことね」
さすがマール。そこまで説明せずとも、勝手に理解してくれた。
「では、明日は女性三人でダンジョン探索ですね!」
「おお! それはそれで面白そうだな!」
パラとリッサは、二人で盛り上がっているが……。
「ちょっと待ってくれ!」
俺は言葉を挟んだ。
水を差すのも悪いが、フィロ先生の頼みは無視できない。
「悪いが、リッサは俺の方に貸してもらえないか? リッサにも一度くらい、治療院を手伝って欲しいんだ。リッサには解析魔法があるからな。……どうだろう、リッサ?」
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